『失敗の本質』

 東京を中心にして、新型コロナウイルスの感染拡大が再び始まっています。

 昨日は、1900人を越え、この異常な感染下で、東京オリンピック2020が強行されようとしています。

 この強行においては、命とオリンピックのどちらを優先させるのかが根本的に問われています。

 昨今の東京における2000名近い感染者の出現という事実は、オリンピックが終わるころに、その数に達するであろうという能天気な専門家の予測をみごとに外しました。

 高度な予測科学が発達しているなかで、このように外れっぱなしの情けない事態は、なぜ、見境もなく起こるのでしょうか?

 ここには、かれらが、一応の科学者という立場にありながら、真摯に科学に向き合うことができないという根本問題があるように思われます。

戦争目的がなかった

 さて、最近になって、名著『失敗の本質』戸部良一他5名を読み始めました。

 周知のように、これは、先の大戦における「日本軍の組織論的研究」を示したものです。
 
 ノモハン事件から沖縄戦までの日本軍の大規模作戦が悉く失敗していった共通の特徴がみごとに分析され、明察されています。

 その第一の特徴として、日本軍には、それぞれの大規模作戦において明確な目的設定がなされていなかったという、驚くべき実情が明らかにされていることです。

 これに対してアメリカ軍には、その具体的な目的設定がきちんとなされ、その達成に必要な実践がなされていったという、まるで正反対のことが挙行されていたのでした。

 この目的設定が明確でなく、あいまいなままにしておくという行為は、どういうものなのでしょうか。

 何万、何十万という兵士たちの命がかかっている作戦なのですから、それが成功するかどうかについては、厳密な議論と検討が行われることは当然のことでした。

 そこでは、その成功のために作戦の内容をよく考え、最適の方法を提案された方もいたようですが、それらはいつも少数であり、その大半は、それをあいまいにし、最後には廃棄するという「空気」に傾いていったのだそうです。

 「空気が読めねぇー」、「空気を読めよ!」

 じつは、これらは言葉は、最近の流行ではなく、すでに日本軍のなかで流行っていた思想だったのです。

 その典型的事例として、戦艦大和が沖縄戦に備えて、本土決戦のための盾になるという使命を受けて、沖縄に向けて出港していったことが示されています。

 この作戦会議においては、誰一人として、大和が沖縄まで到着できるとは思っていなかったそうで、頭のなかでは、その途中で自滅するショーを演ずることが解っていたというのです。

 今となっては、毎日2000字前後の文章を認めることが日課になり、私の習慣になりました。

 この自滅ショーのために、3000人を越える尊い命が失われてしまったのです。

 この時、米軍側の目的は明確でした。

 大和の周囲の戦艦や輸送船には目もくれず、大和のみを徹底して攻撃し、沈没させよという明確な目的が示されていました。

 さて、この大和の自滅は、恐ろしいほどの悲劇といえますが、じつは、これと似たことが現実に起ころうとしているのではないでしょうか?

 国会の党首討論会において、なぜオリンピックを強行するのか?と尋ねられた首相は、その質問にまともに返答することができませんでした。

 同じ言葉を壊れた人形のように繰り返すのみの返答者の頭のなかには、じつは「何もなかった」のではないかと思われます。

 このオリンピック誘致の際には、世界中に「復興五輪」をアピールしていました。その五輪の目的は、いったいどうなったのでしょうか?

 この五輪を行うことによって、東日本大震災の復興が進んだのでしょうか。

 「アンダー、コントロール」

 と大見得を切ったセリフは、とっくの昔に引き去って、今なお、アンダー、ノーコントロール状態が持続し、挙句の果てには、汚染水のタンクの放出まで行おうとしているではありませんか。

 「最小経費での五輪」問題は、どうなったでしょうか?

 すでに3兆円という巨額の経費を費やしており、節約どころか、「浪費五輪」に向かって爆走しているのではないでしょうか。

 おまけに、無観客試合になったために巨額の払い戻し金が必要になります。

 さらには、ホテルなどの宿泊予約がキャンセルになり、この経営も大変な赤字を生み出すことでしょう。

 オリンピック後は、このバブルが弾けて経済悲惨があちこちで発生するでしょう。

 第3は、コロナ危機のなかで、五輪というたくさんの人々を国内外から集めるイベント主義は、そのコロナ感染をますます拡大させ、日本中を危機に貶めることになるでしょう。

 命は、五輪よりもはるかに重く、尊いものです。

 非常事態宣言下で、異常なほどの感染者急増を前にしてますます、その軽重が鋭く問われるようになってきています。

 いくら、テレビの放送を通じて若者たちの活躍ぶりを目にし、耳にしても、もし彼ら、彼女らが新型コロナウイルスに感染していたら、どうなるのだろうか?

 この想いが消えることなく頭のなかを過っていくのは私だけでしょうか。

 もっと安全で安心な社会のなかで、彼ら、彼女らが競い合う場を正しく提供する、これが大人してやるべきことであり、情けない利権や政権浮揚の道具に振り回される五輪であってはならないはずです。

 さて、上記の『失敗の本質』の最初に指摘されていることは、先に大戦における日本軍には、明確な戦争目的がなかったことでした。

 この問題は、先の戦争において行われたすべての大規模作戦において共通した特徴であったことが明確に分析されています。

 この特徴は、上記の五輪目的の喪失と欠如の特徴と非常によく似ているのではないでしょうか。

 このことは、著名な政治学者である山口二郎法政大学教授が、彼のネット番組において詳しく説明されていました。

 ヒトの考えというものは、そんなに変わるものではなく、むしろ、その目的観のなさは、ずっと戦時中から引き継がれてきたものではないかとさえ思われます。

 また、この無目的性に相反して米軍は、きちんと具体的な目的を設定し、その達成を目指して人も物量も徹底して投入していったことで次々に日本軍を攻略していったのでした。

 ここで、その明確な相異に関するエピソードを紹介しておきましょう。

 戦争当時、東京大学工学部航空工学科に有名なT教授がおられました。

 かれは、軍部に呼ばれて「戦時研究」をせよと命令されました。

 その研究テーマは、軍部がかってに決めていたそうで、彼に与えられたテーマは「ナビエ・ストークスの方程式を解け」というものでした。

 この式は、流体力学を勉強した方なら知っている式でありますが、それは非線形方程式であるために、未だに説くことができないものです。

 これを軍部が、いうように解けたとすると、飛行機や船、潜水艦の運行に関する画期的な技術仕様ができることになりますので、その意味では、すばらしい課題であるということができます。

 しかし、この課題を示されたときに、このT教授は、この「戦争は負ける」と即座に認識されたそうです。

 後にアメリカに留学されたT先生は、アメリカ軍が出した戦時研究のテーマを知って愕然とされたそうです。

 その研究は、馬に関することでした。

 戦争で馬を運送にために使うようになって、アメリカ国内で馬の数が減ることになる、そうしたら野球の球を馬の皮で作っていたので、球の数が減る、球が減ると野球の試合数が減る、そうするとアメリカ国民の不満が高まる、これによって戦争を止めよという声が増える、ここに至っては、問題になるので、馬の皮の問題を研究せよ、と命じられたそうでした。

 方や、いまだに説くことができない方程式を解けといい、一方では、馬の皮と野球のボール問題を研究せよといったのですから、この戦時研究の目的は、どちらが具体的で明確ですか?

 具体的な目的を語ることができない、ということは、具体的に作戦行動を実践することができないことを意味します。

 その意味で、目的を語ることができないことは、第一の「失敗の本質」現象といってよいでしょう。
 
 沖縄に向けて出港した戦艦大和が、沖縄まで到着することができずに、撃沈されるであろう、そのことは、当時の軍部の上層部はみな知っていたそうであり、そうであるがゆえに、自滅のショウを演ずるしかなかったのであれば、あまりにも無謀で悲惨な話ではないでしょうか。

 TOKYO2020の五輪が、戦艦大和のようにならないことを切に願っています。

 次回は、「失敗の本質」の第二法則について分け入ることにしましょう(つづく)。 
                 
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柳の小枝