光マイクロバブル水とは

 「光マイクロバブル水とは、光マイクロバブルが存在する水であり、それには、過去において発生していたものも含まれる

と、定義しておきましょう。

 最近といいましょうか。新型コロナウイルスが国内に蔓延し始めたころから、私は、光マイクロバブル水に凝っています。

 その凝り性は、時に、尋常ではないほどに進むことがあります。

 たとえば散髪の事例がそうです。

 学生時代(おそらく21歳の頃)に、日ごろはほとんど見ない、ある新聞紙の日曜版の紙面がふと目に留まりました。そこには、今はもう亡くなってしまった俳優の宇野重吉さんのインタビュー記事が掲載されていました。

 「私は、散髪屋に行ったことがない。髪の毛の格好がどうだこうだを気にしなければ、ハサミでバッサリと切ればよい」

といって憚らない彼の顔写真が大きく掲載されていました。

ーーー そうか。見てくれを気にしなければ、自分で髪を切ることができるのだ!これから、そうしよう!

 かれの大胆な発想が気に入り、その時以来、私は散髪屋さんに行くことを止めました。 

 なぜか私には、一度決めたら、それを長く続けるという習性があり、それが未だに続いているのですから、足掛け50年以上にもなります。

 一番困ったのは、結婚式の時であり、周囲は、せめて結婚式の時ぐらいは散髪屋に行けと強くいわれましたが、「それは気が進まない」と、その習性を断固として守り、家内の妹さんに髪の毛を刈ってもらいました。

 内心、結婚式の時も散髪屋に行かなかったのだから、それ以上のことはないと思って、今日まで、それを遵守してきました。

 世間では、これを相当な「頑固者」、あるいは「変わり者」というのではないでしょうか。

 同じようなことが、金や服についてもいえそうです。

 金については現金を持つことを止めました。たまに出かけて何か買ってこい、といわれたときには金をいただきますが、普段は金も財布も持たない、もちろんカードもそうです。

 このような生活を持続していると、金に関する執着心が萎えてきます。そして、「金はなくてよいもの」だという意識が芽生えます。

 必要な時に、金を家内からいただき、ものを買えばよい、ということが定着してしまうのです。

 それゆえ、私には、新自由主義の権化である「今だけ、金だけ、自分だけ」という概念が通用せず、完全な瓦解を遂げてしまったのです。

 もう一つ、私としてはおもしろいと思っている話題を紹介しましょう。

 それは、テレビ放送を一切視なくなったことです。これによって、何かとイライラが募っていた自分が消え去る、という「ゆかい」な現象が起きました。

 いざ、その視聴を止めてしまうと、その良さがよく理解できるようになりました。

 いかに、無駄で、浅はかな情報を耳にして、無意識に小さくない影響を受けていたか、に気づくようになりました。

 その情報の受容によって、さまざまなバイキンマンの侵入を許し、それが蔓延してイライラし、毒され、最後には白痴化へ向かう、この恐ろしい道をひたすら進んでいたのではないかと思い、ぞっとしました。

 それから、「情報は与えられるものではなく、得るもの」ですので、世間情報は、新聞紙一紙で十分に賄える、不足分はネット上で探せばよいことも判明しました。

 その代わり、アマゾンプライムで音楽を聴き、時々はおもしろそうな連続ドラマを拝聴するようになりました。

 これがよいのは、「その続き」を視るのに、1週間待つ必要がないことです。

 この情報過多に時代に、3分ではなく1週間も待てというのは真に酷な話とは思いませんか?

光マイクロバブル水コーヒー

 髪の毛に続いて、お金にも執着心がなくなり、齢を重ねるごとに、それが徐々に増えてきました。

 そのほかには、着る服がそうなり、同じものばかりを着ています。なぜかというと、あれこれを探すのが面倒になり、ついつい手前のものを選んで着るようになったからです。

 そんな脱現社会の傾向に抗して、最近、私が拘っていることが3つあります。

 その第1は、光マイクロバブル研究です。新型コロナウイルスが蔓延することから、その力点を大きく転換させました。

 もともと、自由に、そして深く、さらにはおもしろく光マイクロバブル研究を成し遂げようと思っていたのですが、それが現実に引っ張られて、本格的に心血を注ぎこむという状態にまでは至っていませんでした。

 高専を定年で辞め、国東にきてからは自由になる時間が増えましたので、とくに、2012年末から2013年の初めにかけて68日間の入院生活を経験してからは、その考え方を根っこから変えて、光マイクロバブル研究に深く親しむようになりました。

 この解放された自由時間をますます活用して、私の「自由の王国」をゆかいに楽しみたいと思います。

 第2は、そう高くないワインに拘って、昼夕食時における半グラス分をいただく習慣が定着したことです。

 もともとは、ドイツ留学の際に、その嗜好が始まったのですが、それが長続きをせず、数年ごとに再開する程度のことを繰り返していました。

 ところが、こちらに来て、ここ数年は、ワインクラブの情報をいただくようになり、1本1000円程度のおいしいワイン(時には、1500~2000円になることもある)を見つけることをうれしく思うようになりました。

 世界には、低価格であっても、まことにすばらしいワインがいくつもあり、本場のフランス、ドイツをはじめ、スペイン、イタリア、さらには、最近はスロベニアワインも気に入っています。

 しかし、このワイン好きは、それほど深いものにはなっていません。おそらく、趣味の域を出ておらず、「生活の友」とでもいっておきましょう。

 さて、その第3が、本日から始まる第4300回記念における最初の話題です。

 そのきっかけは、中津市にある病院との共同研究にありました。じつは、その帰りに、最近は必ずといってよいほどに立ち寄るところがあります。

 そこが、「FADY」という食品の専門スーパー内にコーヒー豆を売っているコーナーがあります。

 約30種類のコーヒー豆がずらりと並べられていますので、いつもこの前に立って、「今日は何にしようか」と詮索を行います。

 その時間が長いので、店員が必ず声をかけてきます。その時に、どんな豆がよいのか、売れているのかを尋ねます。

 その意見を参考にしながら、そこでようやく購入する豆の種類が決まります。

 それが決まってやれやれと思い、その次には、購入の際にいただいた100円引きの割引券で、その隣の喫茶において「本日のコーヒー」をテイクアウト、それを帰りの車にておいしくいただきます。

 もちろん、車中でのコーヒー談義も自ずと弾みます。

 その豆を持ち帰って、朝の会議の席にコーヒー淹れて出す、これが私の日課になりました。

 せっかくだから、格別のおいしいコーヒーを淹れよう、これが私の比較的強い問題意識になりました。

 この醸成において、もうひとつ重要な役目をもたらしたのが、光マイクロバブル水の研究でした。

 いかにすれば、おいしい水を造ることができるのか?

 これについても、以前から重要な問題意識として宿していましたので、その水を試すために、コーヒーは絶好の試験飲料になりました。

 かつて娘の亭主の弟さんが、山梨県の甲府でコーヒー喫茶を営まれていました。その彼が拘っていたのが、おいしいコーヒーづくりをするために、豆の自家焙煎を行うとともに、山手の方まで行って、おいしい湧き水を汲んで、コーヒーに用いていたことでした。

 その彼から、おいしいコーヒーの淹れ方を教えていただきました。

 上質のコーヒー豆、おいしい淹れ方の技術が備わっているのですから、残りは水の問題のみでした。

 その水づくりと水効きを長年やってきましたので、今度は、その「究極の水」を造ってみようと思い始めたのです。

 私の豊富な自由時間を利用して、最高水準のコーヒーを作り出し、会議の席で評価をいただき、その手法を日々磨き上げる、これに凝り始めました。

 日常の些事は、ますます無頓着に流れていますが、一方で一旦凝り始めると、どこまでも探究していく、これが私の性分のようです。

 この朝のコーヒー淹れに励むようになってから、私の脳裏に浮かんできたのが、井上ひさしの名作「きらめく星座」におけるコーヒーを飲むシーンです。

 一杯のコーヒーから
 夢の花咲くこともある
 街のテラスの夕暮れに
 二人の夢の灯がちらり、ほらりと点きました
 
 もののない戦争直前の一家で、みんなが分け合ってコーヒーをおいしく飲む、これこそ、幸福の姿でした。

 これに因んで、これからも、毎朝、せっせ、せっせと格別においしいコーヒーを淹れ続けることによって、光マイクロバブルの夢を花咲かせようと思っています。

 この新シリーズ、次回からの夢物語によろしくお付き合いください。

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私が淹れた一杯のコーヒー

 (つづく)