私の3.11

 私の3.11は、震災直後の5月の連休から始まりました。

 それは、幸いにも、科学技術振興機構に申請した「東日本大震災緊急支援プログラム」に採択されたからでした。

 その採択後の面談を終えて、最初に行ったのが、被災者のSさんに連絡し、その協力をえることでした。

 しかし、電話もつながらない、住所も解らないという状態でしたが、唯一の希望の光は、SNS上においてSさんの様子を知らせていた、岩手県のある酒屋さんがありました。

 頼める伝は、ここしかないと思って、このフェイスブックに尋ねてみると、親切にも、この酒屋のご主人が、かれの連絡先を知らせてくださいました。

 とにかく、現地に行って、かれに協力していただくことともに、現地の漁協にも支援をしてくださるようにお願いと海の使用許可を得る必要がありました。

 これらのお願いをなんとか済ませましたが、次は、どのようにして現地入りを行うかの問題がありました。

 ほとんどすべての交通機関が遮断され、現地大船渡の宿屋探しもできませんでした。

 そんな折、地元のある民放のテレビ記者さんが訪ねて来られました。

 私の復興支援のプログラムを実施することを報道した朝日新聞の記事を読まれたそうで、ぜひ同行取材ができないかという意向でした。

 この女性記者は、すでに震災後のいくつかの都市を視察し、取材を行って来ておられましたので、その様子を訪ねることができました。

 「大船渡は、どんな状況でしたか?」

 「一番被害がひどかったのが大船渡でした」

 この彼女の情報が、非常に役に立ち、私の不安を解消してくれました。

 そして、現地でのSカキ漁師さんと漁協訪問の取材に同行してくださることになりました。

 これらの情報を元にして、まずは、東京から東北新幹線に乗って一関まで行き、そこからレンタカーを借りて陸路で北上山脈を横断して、陸前高田に出て大船渡湾に向かうことにしました。

 一関駅では、せめて弁当は少し良いものを食べることにして、私と相棒は共に「ウニとカニを載せた弁当(三陸海鮮丼)」を買いました。

 陸路では二回目の大船渡行きでしたが、その初回は震災前でしたので、はたして無事に大船渡までたどり着くことができるかどうか、一抹の不安を抱えてのレンタカーによる出発でした。

 時は6月の初旬、北上山地の若緑は鮮やかで、この地がとても素晴らしいところであることを認識させられました。

 この山地をようやく切り抜け、海沿いの陸前高田市に入りかけたところで、問題が発生しました。

陸前高田市入り

 その陸前高田に入るときの橋が津波で流されていて、その川を渡るには、はるか上流まで遡上して繋がっている橋を渡るしかなく、そこから1時間以上もかけて上流に向かい、さらに1時間かけて戻ることになりました。

 このルートで同じように陸前高田入りをしようとしていた車は多数あって、それこそ数珠繋ぎの状態で車が黙々と運転されていました。

 ようやく陸前高田市に入ると、瓦礫が山積みされたままで、その右手の海岸沿いには、「北国の春」をヒットさせた有名歌手が経営するホテルが無残な状態で放置されていました。

 また、その奥には市民球場があり、そのほとんどが水面下に沈んでいました。

 ここの海岸線に沿った国道の両側にはきれいな家並みがあり、その南側には、あの有名な陸前高田の松並木があったそうですが、その様相は一変していて、平地と瓦礫の山が続くのみの悲惨な光景がありました。

 後に有名になる陸前高田の一本松は、そのまま生きている状態で残っていて、それが復興支援のシンボルとして聳えていました。

 この陸前高田市は、東の海岸から、なだらかに陸地が上昇していく平地に家屋が立てられ、そこを国道が通過していました。

 ここに大津波が押し寄せてきましたので、その町全体が丸ごと山手の方に押し流されていきました。

 この様子を後にビデオテレビ画像で拝見しましたが、その平地を走って逃げていくみなさんの様子が写されていました。

 産業としては、漁業と農業が主力であり、それが大津波で根こそぎ破壊されてしまったのでした。

 ここで車を止め、しばらくの間呆然としながら瓦礫の山の傍を歩きました。

 自然のものすごい力と共に、その恐怖を覚えて胸が締め付けられました。

2006年9月高田松原公園
高田の松原(3がつ11にちをわすれないためのセンターHPより引用)
 
 この大津波によって、地域のみなさんの生活と歴史を根こそぎ奪われてしまったことを深く認識させられました。

DSCN1340 (2)
奇跡の一本松と瓦礫(筆者撮影)

 この陸前高田市における被災を目の当たりにして、私は津波の恐ろしさに震撼させられました。

 この巨大な自然の破壊力に、どう立ち向かっていけばよいのか?

 この陸前高田から一つの峠を越え、目的地の大船渡市に向かう車中で、私の心は揺れ続けていました。

 (つづく)