春風や! 

南国の温かい陽光が降り注ぐなか、さわやかな春風も吹き始めました。

この陽気に誘われたせいでしょうか、日々の活動の質が高まり、その量も徐々に増えてきたようです。

さて、その活動のなかで、私が熱中していることを若干紹介しておきましょう。

まず、朝起きて最初に行うことが2つあります。

その第1は、最近再開した緑砦館(Green Fort House)に設置した装置のスイッチを入れて、それらを稼働させることです。

これは、これまでも続けてきた光マイクロバブルの植物活性に関する研究ですが、今年は、それをより科学的な究明を試みようと思っています。

その基礎として、手始めに、古い種を用いて、その発芽特性を調べてみました。

そのせいでしょうか、なかなか発芽がなく、かなりの長時間を要してしまいましたが、その光マイクロバブル活性に関しては重要な特性を得ることができました。

まもなく、その結果を踏めて、次のステージにおける実験を行う予定であり、これにおいて、より効果的な植物活性を引き出すことができるのかどうか、ここが重要な課題ではないかと認識しています。

植物の種の発芽に関するメカニズムには独特の性質がありますので、この問題にも分け入ることになるでしょう。

その次は、苗からの成長特性を究明することです。

すでに、光マイクロバブルによって根がよく成長することが明らかになっています。この成長プロセスにおける独特の作用効果が存在するのかについても、より科学的なアプローチが必要になるでしょう。

さらに、緑砦館に配備されている装置の稼働をより増やし、野菜や特別の植物の栽培を日々増やしていくことで、ミニ植物工場の在り方を研究していくことも重要です。

これにおいては、高生産性、確かな採算性、無農薬低肥料栽培による味の評価法などが重要な課題になるでしょう。

また、長年の課題である亜熱帯地方における高温障害、寒冷地方における低温障害の克服法を究明していくことも非常に重要な実践的課題といえます。

朝起きて行う2つ目の作業は、光マイクロバブル水の製造装置を稼働させることです。これは、今年採択された2つの研究開発に関係しています。

この水づくりにおいては、大変奥深い問題が潜んでいるよう、その糸口をなんとか開けないか、これが焦眉の課題であると考えています。

すでに何度も述べてきたように、光マイクロバブル水は、光マイクロバブルの物理化学的特性の反映物であると考えてよいでしょう。

この反映が何をもたらすのか、そして、それがどのような分野において役立つのか、これらを実践的に「究明していくことが重要です。

それは、単なる科学的究明を行うことではなく、それが実際に何に役立つのか、そして、それをどう利用するかの視点に基づく技術的探究が重要だと考えています。

すなわち、科学的にな究明と技術的開発を、より接近させて結びつけていくことをめざしたいと思います。

朝食を済ませてからは、朝の会議、本ブログ記事の執筆、午後からは、みんなで会社の作業室の生理、緑砦館における農作業を行います。

これは、すでに別稿において紹介されていますが、次々に必要な作業が生まれてきますので、ここは黙々と継続していくしかなく、身体を動かすことは健康に良い、植物と触れ合い、親しむことは精神的に癒されるという次元において、それを楽しみにすることが肝要かと思われます。

2つのお茶タイム

これらの作業が終わると、しばしの「お茶タイム」があります。朝の会議の冒頭におけるコーヒータイムに続いての2つ目の時間です。

ここで朝の会議のために淹れた「私の特性コーヒー」の残りをいただき、寛ぎます。

最近、いかに美味しいコーヒーを淹れるかについて相当に拘っており、それに関しては、どこかで記事にしたいと思っています。

世の中にはコーヒー好きの方がたくさんおられますので、その関心を深めていただく内容にできるとよいですね。

この「お茶時間」を前後して、現在実験中のサンプルを採取します。

一日1回の採取ですが、これを調べるのが、夕方から夜にかけての作業になります。

新たな分野に分け入る開発モノですので、その度に新たな傾向が現れると、必ずといってよいほどに、それまでの知見との衝突が起こり、試行錯誤を繰り返しています。

科学的には未知の問題が多く、加えて技術的にも未確立の事柄が多く、まるで暗闇のなかを彷徨いながら先に進むという体験を重ねています。

しかし、実験によって生み出された事実には嘘や過誤が存在していませんので、それが唯一の「頼り」になります。

この依拠が肝要でありますが、その情報が少なく、あやふやだと、自然に心細くなっていきます。

その現象が複雑で、変幻自在に変わっていく厄介なものであればあるほど、その不安は膨らんでいきます。

しかし、このような未知なるものを探求する際に生じる不安は、その未知の世界に足を踏み入れようとしてる際に必然的に発生する現象であり、それに一歩近づこうとしている証明でもあります。

どこに向かえばよいのか、それが解らないゆえに、とにかく一歩迫ってみようという意識の現われでもあり、それが間違っているかもしれない、後退ではないのかと思うことから、その感情が湧いてくるのです。

その試行錯誤のなかから、「そうだったのか!」という偶然の前進を理解できるようになり、そこで不安から確かなものに認識が変わっていくのです。

この偶然は、小さな出来事で起こる場合が多く、大抵は、それを大きな出来事と見なしておらず、その深い理解ができていないようです。

しかし、ここでおもしろいのは、その小さな理解が、その確実な全身に伴って大きな深い理解へと変化していくことです。

ヒトの最初の認識とは、その程度のものであり、そこから端を発し、その理解が深まることによって人間らしい新たな認識形成が可能になるように思われます。

さて、この数日間においては、その不安の真っただ中にあり、ここからめでたく抜け出ることができるかどうか?

それは、それを解消する実証を自分で可能にすることができるかどうか、の知恵と工夫にかかっています。

上手く抜け出すことができれば真に幸いです。

はたして、それを成就できるかどうか、これも不安かと問われれば、真に不安です。

しかし、その不安との同居はいつものことであり、きらいではありません。

こうして、私の研究所の仕事が進んでいきます。

小さな課題であっても、それに果敢に取り組むことができることは、現役としての最高に素敵なことであり、それが偶にゆかいな出来事に発展すると、さらに、「すばらしい哉」ですね。

(つづく)
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                                        裏庭に咲いていた菜の花