「非常識」は「常識」になっていく
当時の、そして今も、排水処理の「常識」は、エアレーションによって活性汚泥(微生物)を増やし、その微生物が排水を食べることによって水質浄化を行うものです。
このエアレーションにおいては、空気をぼこぼこと排水中に噴出させることで、その酸素成分を溶解させることで微生物を増殖させることを基本原理としています。
これをより効率よくするために、空気をできるだけ小さな泡として発生させようという試みが盛んになされてきました。
小さな空気の泡が発生できるようになると、その酸素を溶存させる効率が高くなるからであり、この微細気泡をいかに発生させるのかが、1980年代以降におけるエアレーション技術の中心的課題になってきました。
しかし、この空気泡の微細化は、そう簡単な問題ではありませんでした。
たとえば、小さな孔から空気を噴出させようとすると、空気を圧搾して送風する必要がありますが、その孔の径を小さくすればするほど圧力を高くしなければならず、これでは効率が悪く、コンプレッサーを運転する電気代が高額になってしまいます。
それでは、エジェクター方式はどうでしょうか。
ある程度の気泡の微細化は可能ですが、今度は、その発生量が足りないことから、これを大量に並べて使用することは不効率そのものです。
そこで、低い圧力で空気を送風し、その空気の塊を千切って、それをより微細化すようとする技術開発がいくつも行われてきましたが、それでも、その微細化された気泡のサイズは、せいぜい数百マイクロメートル(㎛)程度に留まっていました。
「微細気泡化」の困難
この空気塊の微細化の指向は、1)それをひたすら小さくすることによって、2)そのトータルの空気塊の表面積を増やし、3)それによって溶存酸素能力を高め、4)活性汚泥の量を増やし、5)排水処理効率を高めることをめざしたものでした。
この1)~5)のそれぞれの過程においては、次のいくつもの困難が横たわっていました。
1)気泡そのものを小さくすることができない
液体中の気泡においては、液体と気体の境界には界面があり、そこに界面張力が働いています。この界面張力は表面張力と同義語であり、この力は、その直径の二乗に反比例して大きくなります。
すなわち、気泡を2倍小さくしようとすると、4倍の界面張力が働きますので、それを千切って小さくするには、その4倍以上の力が必要になります。
それゆえ、これは気泡を小さくする困難が倍増していきますので、その解決が難しいのです。
気泡を小さくしたいということは、誰もが持つことができる願望ですが、そのその困難の解決は、ほとんどの方が実現できなかったことだったのです。
2)トータルの表面積を増やすことができない
たしかに、気泡を小さくすることができると、そのトータルの表面積を飛躍的に増やすことができますが、その微小化が不可能ですので、それを期待することができずに、単なる願望で終わってしまいます。
3)溶存酸素能力を高めることができない
当然のことながら、気泡の微細化が不可能ですので、その酸素溶存能力を高めることもできません。
したがって、4)と5)も実現できないということで、この技術開発はとん挫していたのでした。
ところで、この問題において重要なこととして、その空気供給量を大量に行うことがありました。
下水処理におけるエアレーション(曝気)においては、一つの装置において毎分100~数百リットルが供給されています。
このうち、空気中の酸素成分や約20%ですので、残りの80%窒素成分は、そのまま空気中に放出されてしまします。
それゆえ、酸素分は、せいぜい、それらの5分の1しかありません。
また、その酸素成分のすべてが溶解するわけではなく、「空気中の酸素が溶解するのは、よくて15%程度、通常は10%前後しか溶けない」とよくいわれていました。
すなわち、9割前後が空気中に放出されているという曝気技術に留まっていました。この供給は、ブロアやコンプレッサーによって行われていましたので、それらを回す電気代が、文字通り空中に捨てられていたと考えてもよいことでした。
「この無駄を何とか解消したい」と思って、少なくない技術者や研究者のみなさんが、さまざまな試行錯誤を繰り返され、研究開発に挑まれてきたのだと思います。
理想的には、二桁のマイクロサイズの気泡を大量(毎分100ℓ以上)に発生できるようにすることですが、この課題は未だに解決していない今日的な重要課題といえるでしょう。
私が開発した光マイクロバブル発生装置は(1995年に公開)、この気泡の微細化技術の問題に、「重要な一石」を投じることになりました。
少なくないみなさんが、さんざん苦労して挑んだ開発だったようでしたので、この開発は、驚きと共に受容されたようでした。
そして、上記の1)が実現されたことから、次の2)以降の課題が検討されることになりました。
この検討は、それまでの推測を多方面から乗り越えるものであり、真に豊かな色彩を放つものでした。
満開のミモザアカシア
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