感染拡大のルート

 先週の土曜日あたりから、花粉症のせいでしょうか、咳が多く出てくるようになり、慌てて薬を飲みました。

 この薬が強すぎたのでしょうか、1日中眠くなって、ほとんど朦朧としてしまい、考える力がなくなってしまいました。

 いつもは、その薬をハサミで半分に切って服用していたのですが、それを切らずに一錠のまま2日続けて飲んだことが「行き過ぎ」だったようです。

 昨夜からは、その半錠に戻しました。

 おかげで、ぐっすり寝ることができましたし、頭の方もすっきりしていますので、本ブログの執筆を再開することにしました。

 さて、コロナの第三波は、ピークを過ぎて減少傾向を見せ始めました。

 一時は、東京で新規感染者数が3000人、全国で1万人が出現するのではないかと危惧されましたが、幸いにも、そこまでには至りませんでした。

 すでに少なくない方々が、感染者数の増減傾向に関して言及されています。

 それは、人の動きの増減が感染者数のそれに敏感に反応していることです。

 東京都における感染者数の変化をみると、その急増は1月5日から始まっています。

 新型コロナウイルスの感染がPCR検査の結果として現れてくるのは2週間後ですので、その1月5日の2週間前は、12月22日です。

 丁度クリスマスの前であり、「Go To トラベル」も実施されていました。

 東京都における感染者数のピークは、今日までに次の3つの時期において発生しています。

 1月7日:感染者数2447人 その2週間前は12月24日、クリスマスイブの日です。

 1月15日:感染者数2001人 その2週間前は1月1日、初詣の日です。 

 1月21日:感染者数1471人 その2週間前は1月7日、学校が始まり、企業での仕事も本格的に始まったころです。

 このように、感染者数の増加は、人の動きの増加とほとんど連動しています。

 この急増を迎えて、政府は、12月28日に「GoTo」を中止、1月7日に「緊急事態宣言」を1都3県に出しました。

 そして、これでは治まらない状況に気づき、さらに1月13日に、それを11都道府県に拡大しました。

 それは、一都3県のみならず、全国的に感染者数が急増し、その宣言の必要性が各自治体から強く要望されたからでもありました。

 その全国的な感染者数は、どうだったでしょうか。

 1月9日 感染者数7790人 東京のピークよりも2日遅れです。

 1月16日 感染者数7071人 東京のピークよりも1日遅れです。

 1月21日 感染者数5621人 東京のピークと同一日です

 このように、東京の感染者数の増加が、全国の感染者数の増加にほとんど連動している傾向を示しています。

 最大の感染者数を出し続けていて、エピセンター(感染震源地)が定着している東京において、垂れ流しのように感染者が流出し、それが引き金となって新幹線沿い、あるいは航路沿いに感染を拡大させていることが明らかです。

 もうひとつの注目点は、東京都における感染者数のピークが、全国のそれと比較して、1~2日前と、非常に短期間に感染が伝搬していることです。

 念のため、1月7日以前の感染者数も調べてみました。

 そのピークの時期と感染者数は、次の通りです。

 東京都 12月31日 感染者数1339人 全国 1月1日 感染者数4540人 遅れは1日

 東京都 12月26日 感染者数949人 全国 12月27日 感染者数2945人 遅れは1日

 東京都 12月17日 感染者数821人 全国 12月18日 感染者数2803人 遅れは1日

 このように、12月において未だ感染爆発が起きていないときでも全国への波及遅れは1日でしかなく、短期間に東京での感染が、全国に伝搬していることが明らかです。

 これらの事実は、東京での感染拡大が、すぐに全国の主要都市に波及し、さらには、その大都市から地方都市に拡大していることを意味し、その根元である東京のエピセンターを壊滅させない限り、この感染拡大は、第4波、第5波と持続していくことを示しています。

 すでに、東京においても、従来の東京・埼玉型の新型コロナウイルスのほかに新種の英国型のウイルスも見出されています。

 この新型コロナウイルスは約2週間余の間隔で変異していますので、そこで感染力の強いウイルスが生まれることに伴って、さらなる感染拡大が起こっていくことになるでしょう。

国東の状況

 ここで、私の住んでいる国東市の感染状況を報告します。

 国東半島の大半を占めているのが国東市です。

 ここは、その地形的特徴から、かつての海上交通が盛んだったころを除いて、いわゆる、社会の物流から隔絶された地域です。

 それを可能にさせているのが、その半島の付け根に相当する地域に形成されている山々です。

 そのために、自然に交通が遮断され、その物流も、北九州から大分へと、その根元の部分を通過していくことになりました。

 豊後高田市は、その国東半島の付け根の西の地点にありますが、ここは、「昭和の町」が有名で、年間30万人の観光客が訪れるといわれています。

 たしかに、その町並みは、私が幼いころに育った「昭和」を想起させるに十分な工夫がなされています。

 アイスキャンデー屋さんや鉄腕アトムの本やグッズが店頭に並べられて、そこを訪れる観光客を楽しませています。

 しかし、それは人工的に「昭和」を想起させている空間であり、自然に、昭和の町が残存しているわけではありません。

 ところが、国東では、その昭和がそのまま自然に残っていて、これこそ真正の「昭和の町」だと思う空間が至る所に散在しています。

 もともと、国東には、外から物流を呼び寄せる需要が、わずかしかありませんので、そのままで、明治や昭和が、そのままで残っているのだと思います。

 先日も、昔懐かしい、昭和そのものの風情が残る狭い道路に家並みが続いている一角を車で過ぎていったことがありました。

 「これぞ、幼き頃に駆け回っていた昭和の風情だ!」

と思って、心温まるものがこみ上げてきました。

 このように、もともと今の世の中の流れからは、大きく外れた地域ですので、新型コロナウイルスの感染とも無縁の地域でした。

 ところが12月になって、あるN県から来られた方が無症状感染者であったために、その方から感染が伝播し、今では、合計で60名近い感染者数を数えるに至っています。

 この伝播は、飲み屋、飲食などに広がり、いまではほとんどの飲み屋や飲食業が営業を取りやめ、昼間の弁当のテイクアウトのみになってしまいました。

 このように、コロナとは無縁の地域であった国東において、それが持ち込まれて拡大し始めると簡単には治まらず、昨日も1名の感染者が報告されています。

 観光客→飲み屋→飲食業→家庭、これが今回の新型コロナウイルスが増加していったルートのようです。

 いったん発生すると、すぐには治まらない傾向にあり、これが、次の感染ルートとして、保育園や介護老人施設へと伝搬していくことが心配です。

 すでに、東京の新宿、渋谷区、中央区、港区におけるエピセンターからの感染拡大によって、保育園や介護老人保健施設での感染が多発しています。

 それゆえに、先進的な世田谷区の事例にあるように、この4区における全員PCR検査を行い、その結果に基づいて隔離保護を行うとともに、それらに対応する病院の人的および財政的支援を行う必要があるのではないでしょうか。

 感染者数が減ったとして、これまでのように何もしないで傍観するという「悪慣れ」を改善しない限り、事態は、さらに第4波、5波へと進化していくに違いありません。

 そうしなければ、その度に人々が苦しみ、それによって国が滅亡していく道を歩むことになるでしょう。

 (つづく)

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春を待つ