はじめに(5)

   その第2は、この技術の創成が、企業や大学からではなく「高専」という実践的教育の場から出現したことにある。周知のように、高専では実践的な教育研究が重視されてきたことから、その技術思想が実際の装置開発においても非常に有効であった。

   この20年を俯瞰すれば、製造業を中心に数千社の規模でマイクロバブル技術の導入と試験がなされ、その結果として、数々の貴重な成果が生まれてきた。やがて、これらは、中小企業や大学、あるいは他の試験研究機関にも波及していった。

   その普及に伴って、わが国には少なくないマイクロバブル研究者集団が形成されるようになり、たとえば日本混相流学会の年会では常に立見席ができるほどの盛況ぶりであった。また、それらの成果を踏まえて、マイクロバブルの関する全国的な技術シンポジウムが開催され、最近では、専門の学会組織の誕生、国家の支援を受けたプロジェクトの発足にまで至る発展を遂げるようになった。

   以上の青い文字の部分は、前述の「マイクロバブル」に関する専門書『マイクロバブル(ファインバブル)のメカニズム・特性制御と実際応用のポイント』の最終第4章において「マイクロバブル技術の誕生とその発展」の「はじめに」の文章の後半部分です。

高専から生まれた技術

 マイクロバブル技術(後に「光マイクロバブル技術」と呼称)は、なぜ「高専」から誕生したのでしょうか?(疑問①)。

 そして、なぜ、これだけ広く、深く、生活や産業のなかに普及していったのでしょうか?(疑問②)。

 さらには、「5、6年もすると消えて無くなる」といわれていたものが、実際には、四半世紀以上にわたって生き抜き、持続的発展を遂げているのでしょうか?(疑問➂)。

 疑問①については、それは、私の職場が高専であったからですが、単に、それだけに留まらない問題があったように思われますので、そのことについて少々の解説を加えておきましょう。 

周知のように高専は、実践的な技術教育を教える高等教育機関として50年以上の歴史を重ねてきました。

この創設は、1960年代における高度成長期において予想された技術者不足(労働力不足)に備えて産業界から強い要望があったことで実現されました。

このときの教育目標の一つが「実践的技術者を養成する」ことでした。以来、高専においては、その技術者教育の根幹となる「実践性」が常に問題になり、その教育研究が真摯になされてきました。

今思えば、安易な決断でしたが、それでもかなり勇気を要することでした。

この指向と成果は、当初にあった2つの他の教育目標であった「大学に準ずる」、「中堅技術者の養成」論を放棄させました。

すなわち、大学に準ずる(実質的には大学と同じ教育を短期間に行うことでした)のではなく、高専独自の教育を遂行する、単なる中堅ではなく、開発型の技術者をめざす道を選んで進むようになりました。

しかし、一方で、教育目標には加えられなかったものの「即戦力」の技術者を養成するのだという考えも根強く存在していて、未だに、それを強調したがる関係者がいます。

あるとき、その「即戦力」論者に、こう質問したことがあります。

「あなたのいう『即戦力』とは、『即』の戦力なのか、それとも『即戦』の力なのか、どちらですか?」

かれは、これに答えることができませんでした。周知のように、日本の企業においては、技術系の新入社員に対しては長期の養成期間があり、その経験を経て現場や開発部門に配属されていきますので「即」の戦力は必要とされていません。

 また、「即」の戦力は、すぐに不要な戦力になってしまうこともあるので、ここには危険な側面が存在しています。

 一方、「即戦」は、すぐに戦える力のことですが、20歳の若者が、すぐに戦えないことは誰の目にも明らかなことです。

このように考えれば、すぐに解ることを回避して、その意味を探究しないままに、まさにオームのように「即戦力」を公言してはばからないことには、小さくない技術者養成論における「貧困」が存在しているように思っていました。

この問題の本質は、どのようにして「『即戦』の力」を具体的に養成していくかを究明していくか、にあるように思われます。

この問題の証明は、高専の技術として国民の皆さんに広く愛されるようになった「高専ロボコン」など(「プログラミングコンテスト」、「デザインコンテスト」ほか)において明らかなように、かられは「即戦の力」を競い合い、洗練させたことでなされました。

            実践的技術者教育を発展させる鍵
 さて、実践的技術者教育における「実践性」とは何でしょうか?
 この問題に、より深く分け入ることにしましょう。
 高専50年余の年月のなかで、その中ごろまでは、実践的技術者教育とは実験実習の時間を多くすることであるとされてきました。
 この時間の多さは、必然的に実験実習の中身をどうするかを考えさせ、しだいに充実させることに結びついていきました。また、何を新たに、その実験実習に組み入れるかにおいて考える機会を与えることになりました。
 この集約点が、高専5年生における「卒業研究」でした。4年生までに培われた実践力をさらに発達させることが、この「卒業研究」において問われることになりました。
 「卒業研究において、いかに実践力を磨くか?」
 この問題は、卒業研究で何を研究し、どう成果を出すかに依存していました。若い高専教員においては研究成果を新たに生み出すことが望まれていましたので、未知の課題に関わって研究を遂行することで、その実践性が磨かれることになりました。
  実質は半年間という少ない期間において、卒業研究のなかで、高専5年生と一緒になって研究を行う中で実践性を高め、高専教育を仕上げていくことが、高専の真摯な教員の重要な課題になっていきましたので、そこから次の3つの創出がなされるようになりました。
 ①設置基準上では、教育機関であり、研究機関ではないとされていた高専において、卒業研究を通じて研究がなされるようになり、その実践的な教育が研究と一体化していきました。
 従来は、教育と研究が対立するものとして考えられていました。
 それが、高専では、大学以上により直接的に、そしてより深刻な矛盾として問われたことから、その問題解決が鋭く実践的に試されるようになりました。
 ②この矛盾の激化は、次の問題が浮上してきて、さらに深刻に、そして先鋭化していきました。
  1)教授への昇格基準がより厳格化され、博士取得なしでは教授になれないようになりました。
  2)専攻科の設置に伴って、教員の研究業績がより厳しく問われるようになりました。これは、研究業績を上げなくてもよい高専から、研究業績が必要な高専への実質的な転換を意味していました。
 これらの外因は、「教育と研究の対立」から「教育と研究の両立」への転換を促すことになりました。
 ➂上記の研究的作用が加わるなかで、実践的技術者教育の課題は、実践的な研究の課題とより密接に結びつくようになり、そこから新たな実践的技術開発の課題が創出されるまでの発展が得られるようになりました。その典型的事例の一つが、「光マイクロバブル技術の創生と発展」だったのです。
 この技術が、高専から誕生したという事実は、それほど広く深く認知されていませんが、これは、今後の光マイクロバブル技術の発展に伴って、より広範囲に、そして深く認識されていくでしょう。
 また、この実践的技術者教育と研究のなかから、この技術が誕生してきたことは、その実践的技術者教育が、「技術開発とは何か」という問題にも深く関係していることを示唆していることから、この問題の本質的究明が重要であることを浮かび上がらせました。
 ところで、このマイクロバブル技術(光マイクロバブル技術)は、その後の四半世紀において、どのように発展し、どのような展開の特徴をしめしてきたのでしょうか。
 次回は、その問題に焦点を当てて、より深くに分け入ることにしましょう(つづく)。

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