国東半島

 食べ物がおいしい季節となりました。

 ここ国東は、海と山の幸に恵まれたところであり、豊かな食生活に触れることができます。

 それは、総じて生活必需品が安く、それが、いわば昔のままを引きずって成り立っているからではないかと思われます。

 たとえば、街並みにおいては、私どもが幼い頃に育った昭和の風情が、今も、そのまま残っています。

 これは、豊後高田市にある「昭和の街」とは違って、自然に残されてきたものであり、その一切に不要なもの、誇大宣伝的なものがありません。

 そのことは、国東半島が、いわば「陸の半孤島化」した状態に置かれてきたことに関係しています。

 福岡から大分、宮崎へと導かれている国道10号線は、国東半島の南側、いわゆる「付け根」の部分を北から南へと貫いています。

 鉄道の日豊線も同じで、これらが物流の動脈を形成しています。

 これらの両側には山脈がいくつもあり、その中央部に、10号線や日豊線が設けられ、これらによって、国東半島は、ある意味で遮断された半島になってしまいました。

 昔は、これらの陸上交通があまり盛んではありませんでしたので、替わりに海の交通が主でした。

 この海上交通によって、魚などの物資が運ばれ、そのルートが宗教の伝搬にも利用されました。

 たくさんの神仏混合の寺院や遺跡があるのも、その名残といってよいでしょう。

 もう一つの重要な特徴は、この国東半島地震が森を育て、水をおいしくし、それらが海の幸を育てていることにあります。

 かつて、豊穣な海として知られていた瀬戸内海では、ヘドロが大きく堆積して、ほとんど魚が獲れなくなってしまいました。

 映画『崖の上のポニョ』の舞台となった「鞆の浦」でさえ、かつてほどの豊かな海の幸が、捕獲できないようになっています。

 魚の宝庫といわれた山口県の祝島沖も、漁獲量が10分の1程度までに減っています。

 しかし、国東半島沖は、この瀬戸内海とは大きく事情が異なっています。

海の幸

 その理由の第1は、豊後水道を伝って、南から新鮮な黒潮が北上してくるからであり、それが佐賀関沖で狭くなって、潮の3次元流動が盛んになることで大量の良好なプランクトンが生成されることにあります。

 この流れの半分ぐらいが、丁度、国東半島沖から別府湾に流れ込み、豊かな漁場を形成させています。

 第2は、国東半島が都市化されず、ほとんど昔のままで残存していることです。

 新幹線や大規模な高速道路がなく、そのために物流も国東半島の経済事情に則した程度に限られています。

 大分空港も、大分別府への通貨拠点にしかすぎず、国東に滞在する客は少数に限られています。

 しかし、この交通や物流の不便さが、かえって国東半島の良さを保たせ、その昔からの風情を養っているのです。

 しかも、これらは、新型コロナウイルス感染によるパラダイムシフトが起こり始めてから、その光彩をますます放つようになりました。

 ここが、自然と歴史が保有する力強さではないでしょうか。

 ヤリイカ一箱

 その力強さの一例を示しましょう。

 先日久しぶりに、国東安岐港の「魚競り」に行きました。

 水揚げされた魚も、かなりの種類と量があり、目を楽しませてくれました。

 「今日は、かなり多いね。日ごろない魚も出されているよ!」

 「何を買いましょうかね」

 「この前、スーパーで買ったヤリイカがおしかったので、今日は、ヤリイカがいいね」
 
 見渡すと、何箱ものヤリイカが並べられていました。

 めでたく、その一箱を手に入れることができました。

 その写真を示しましょう。

yariika
ヤリイカ

 やや小ぶりですが、色つやがよいヤリイカです。

 これが、トロ箱一つ分であり、相当な量です。

 これが競り値で700円、この3割が仲買の利益分、これに消費税が加わって1001円でした。

 一箱のヤリイカが1000円、これが国東の海の幸の力です。

 新鮮そのもので、柔らかいが弾力に富み、ほのかな甘みと旨みがありました。

 これぞ、国東沖のヤリイカなのです。

 刺身、天ぷら、パスタにしておいしくいただきました。

 (つづく)