記念の第4150回が始まります。

 これは、記事を毎日更新し続けて、11年余の歳月を経たことを示しています。

 何事にも飽きやすい私が、このブログに限っては、このような粘りを発揮できているのですから、ふしぎですね。

 これも、きっと光マイクロバブルの「おかげ」なのでしょうね。

 そう信じて、この記念シリーズを爽やかに、そして元気に始めましょう。

ニーズがわからない

 近頃、「ニーズが見えない」、「わからない」、「何をしたらよいのでしょうか」という話をあちこちで耳にします。

 なぜでしょうか?

 結論から先にいうと、これは「今だけ、お金だけ、自分だけ」に象徴的に示されている「新自由主義」とかいう「思想の末路」に陥っているからだと思います。

 この思想は、この言葉のように、過去を振り返らない、先のことを考えない、お金が入ればよい、儲け優先、みんなのことを考えることができないという、ある意味で決定的な弱さを持っています。

 これが、コロナパラダイムシフト(コロナのによって世の中が大きく変わること)によって、みごとに露呈してきました。

 そっと未開発の森の奥に潜ませておればよいものを、その「今だけ、お金だけ、自分だけ」によって乱暴に引き出されてしまった結果が、この有様なのです。

 それだけ、罪なことをしでかしたのだと思います。

 そのことを知られたくないからでしょうか。

 最近になって「自助、共助、公助」という、さも最もらしい、しかし、その意図が簡単に透けてしまうキャッチフレーズにもならない、「無味」が横行するようになりました。

 私は、まだ生まれてはいませんでしたが、あの戦争の時にも「自助」が真っ先にいわれ、戦争を行なうのも、負けたのも「自己責任」とされ、すり替えられました。

 「本土決戦」、「身を挺せ」、「一億総玉砕せよ」、これが、かれらが、大声で叫んだことでした。

 そんなことは、政府からいわれないでも、自分で解っていることです。

 それを、わざわざ最初に持ってきて強調するのは、なぜでしょうか。

 その理由は簡単です。

 それは、自ら堂々と「公助」を真っ先にいえない、いう知恵もない、からではないでしょうか。

 戦時中は、食べるものがなく、自助のために、誰でも家の近くに菜園を持っていました。

 私の実家にも菜園があり、そこで育った野菜や果物を採りに行って、腹いっぱい食べた記憶があります。

 このコロナを契機として「自分で育てて、自分で食べる」の自家菜園が世界中で広まっています。

 一滴が、真に「大河」になり始めています。

 この象徴的な現象にも示されているように、世界中の誰もが、自分の命と生活の大切さに気付き、これまで横柄な顔で「今だけ、お金だけ、自分だけ」といって憚らなかった流れに背を向け始めているのです。

 もうひとつの重要な現象は、この「今だけ、お金だけ、自分だけ」の思想が、「ものづくり」を根こそぎ破壊し続けていることです。

 かつて、ものづくりが盛んなころには、「ものづくり日本は永遠に続く」といわれていました。

 ウォークマンやデジカメ、そしてゲーム機などが世界を席巻していた時代のことでした。

 ところが、それは遠い過去のものとなり、そんな日本の活躍ぶりを知らない若い世代が、多くを占めるようになりました。

 ある経済学者は、この目を覆うばかりの日本の電機産業について、それは「崩壊過程に入りつつある」という指摘をしていました。

 どうやら、上述の「ニーズが見えない」、「ニーズがわからない」は、かつて「ものづくり」において飛ぶ鳥を落とす勢いを持っていた企業のなかで起きているようです。

 若手が、上司に、こういうと「それなら、現場にいって探してこい」といわれるのだそうです。

 しかし、現場にいっただけでは、その重要なニーズを簡単に見つけることはできません。

テ・チャングム

 最近になって、かつて愛聴した韓国ドラマ『宮廷女官大長今(テ・チャングム)』を再度視る機会がありました。

 ここで、スラッカンという宮廷料理を行う女官になったチャングムは、ほかの誰にもできない能力を有していることを指摘されます。

 それは、「味を描く」能力でした。

 幼いころから、同じく宮廷料理人であったお母さんに鍛えられ、その味を描く能力が磨かれました。

 同じ料理であっても、素材や料理法を工夫して、このような味付けをしようということをリアルに描くことができたから、周囲が驚くような料理を創造することがっできたのです。

 この「味を描く」ことは、「ニーズを知り、開発の味を描く」こととほぼ同じです。

 創造の原点は、違う対象物においても同一性を見出し、それを発展できるかどうかにあります。

 ニーズに出会い、その重要な内容を知ることができるかどうか、それは、そのニーズを踏まえて、どう開発ができるかの絵図を頭のなかに描くことにかかっているのです。

 チャングムは、その味を描くことを母に教え鍛えられ、そして実際に、その描き方を自分で試し、その二十数年間において、みごとに洗練させていったのです。

 この探究は、医女になってからも、ますます鍛えられ、誰も考えつかない治療法を、その現場から見出していくのです。

 かのじょにとって、現場は、ニーズの宝庫であり、それを知り、ふれることで、その描き方を頭のなかに生み出すことができる、ここに、かのじょのすばらしさと凄さがあるように思われます。
 
 朝鮮のチャングムにできたことを、ものづくりが好きな日本人ができないわけがありません。

 その秘訣は、好奇心にあふれる子供たちや若者が、一見不可能なことであっても、それに挑み、そこに粘りを発揮することで、アイデアを鍛え、洗練させることを身に付ける、これが重要なのです。

 かつて、そのものづくりに熱中し、没頭した井深大、本田宗一郎、豊田佐吉など、偉大な先輩いたではありませんか。

 チャングムが「味を描いた」ように、現場のニーズを知り、深掘りすることで、開発の味を描くことができるようにする必要があります。

 これが可能な老若男女において続々と排出できるようになれば、新たな時代の「ものづくり日本」を創出できる可能性が生まれるのではないでしょうか。

 その意味で、足下のニーズの泉を掘り当てることが重要です。

 その掘削の目を養い、身に付けましょう。

 次回は、この泉を掘ることについて、私の具体的な場合に分け入ることにしましょう。

 (つづく)

haze
ハゼの実が赤く色づきました(近くの森で)