テレビ放送を見ない生活

 あることがきっかけで、テレビ放送を見ない生活を始めて約2か月が経過しました。

 普段から、あまり見ないようにしていたのですが、お昼のニュース番組やBSの報道1930、そしてNHK大河ドラマをよく見ていました。

 しかし、それらもすべてシャットアウトして、一切を視聴しないようになりました。

 情報に遅れる、世間離れになるなどの一抹の不安はありましたが、いざ視聴をやめてみるとそれが全くの杞憂であったことが明らかになりました。

 世間の情勢については、新聞を見るだけで十分に間に合いました。

 すなわち、情報において少しも遅れることはなく、したがって、いささかも「情勢ボケ」にもなることはありませんでした。

 反対に、むしろ見ないことによるメリットの方がいくつもあるのではないかと思いました。

 その第1は、だらだらとテレビを視聴する無駄な時間が無くなったことで、時間の節約と有効利用が可能になったことです。

 昼ご飯を食べるときに、ちょっとニュース番組を見ようか、この軽い気持ちがよくありませんでした。

 結局は、それを見続けてしまって後味の悪い状態で午後の仕事に取り掛かる、これがいつものパターンでした。

 第2は、単に時間が無駄になるだけでなく、その情報でイライラが募ることになっていたことでした。

 今のメディアは、基本的には政府を真正面から批判することはできず、たまにキャスターがやや抵抗気味の発言をするのみで、むしろ、政府の代弁者となった評論家が政府の意図や方針を解説し、さらには都合が悪いことが起こると弁解までして「お茶を濁す」役割を演じています。

 TBSの番組のT氏、NHKのI解説員などは、その典型といってよいでしょう。

 これらの「よいしょ発言」や「ごまかし」のテクニックだけは上手くなって、平気ですり抜けてしまうので、これが、おもしろみを大きく低減させています。

 また、やや批判的な評論家は、露骨な方法で番組から降ろされてしまい、発言の機会を奪われてしまっています。

 これを巧妙に切り盛りしていたのが、新たに政府のトップに就任した方のようで、これから、さらに、この流れが加速されていくでしょう。

 第3は、単にイライラが募るだけではなく、その情報に引っ張られてしまうことです。

 これはとても恐ろしいことであり、それらの情報が集積されると、それが有効な吸引になって、頭の中の一角を支配するようになってくるのです。

 しかも、この情報は、馬鹿げたくだらない情報ほど有効に効いてくるので、そこに焦点を当てて、たまには批判的なポーズを装いながら、その愚民化のための情報を垂れ流すことを徹底しているようです。

 第4は、この情報引っ張られ現象によって、しだいに集中力が低下し、物事を深く考えないようになってしまう恐れがあることです。

 これこそ、愚民化政策で一億国民を家畜のようにしてしまう作戦に嵌ってしまうことになりかねません。

 この愚民化のイデオロギーに細心の注意を払うようにしましょう。

 これらは、今のテレビを通じた情報操作から距離を置き、逃れることによって初めて解る現象であり、その大切さをよく理解することができたように思われます。
 
「新しいデスクトップ」

 
 先日のモニターに続いて、新しいデスクトップパソコンが届きました。

 まだ、オフィスなどのソフトがインストールされていませんが、それでも何とか、本ブログが書けるようになりました。

 さて、このデスクトップを見て、その外形がかなり小さくて、軽くなっていたことに少々驚きました。

 それだけ、スマートになっていることで技術革新が日々なされているのだと思いました。

 また、このパソコンに接続されたLGの4Kモニターの画面はきれいでくっきりしていて、これで画面文字の読みづらさが一挙に解決されました。

 これによって、家内から拝借していたノートパソコンを返却することができるようになりました。

 おかげで、これまで以上に仕事ができそうな気分になりましたので、より一層の奮闘努力が必要ですね。

 (つづく)


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生きている国東沖で獲れたヒラメ(国東安岐港の競りで)