満二歳を過ぎたユッツ、このところ著しい変化を見せています。
その第1は、「もう1回」といいながら、1本指を出す、この仕草を必ず示すようになりました。
最初の発見は、先日、風呂の横の通路が水浸しになっていたので、家内と一緒に腕を上げて宙ぶらりんの状態で、靴が濡れないように渡った時でした。
これを喜び、降ろされると同時に「もう1回」を要求し始めました。
ここは、狭いから、広いところに行こうと家内が誘っても動こうとしませんでしたので、そのまま腕を持って宙ぶらりんのままで中庭の広いところに行きました。
もちろん、その間もユッツはもう1回を繰り返しいって、楽しもうとしてしていました。
中庭に連れて行ってからも、この「もう1回」がかなり続き、その度に、私どもも喜んで存分に繰り返しました。
それでも、しつこさはユッツの方が数段上で、終いには、こちらが疲れてしまいました。
これは、しらたまちゃん兄弟においても同じであったことを思い出します。
したらまちゃんの「もう1回」が、ユッツの「もう1回」になりました。
ここちよさを、飽くなく追求する、これが大切なことなのです。
さて、これから、この「もう1回」を、いろいろな場合に適用して、それを完全にマスターしていくことができるようにしたいですね。
この「もう1回」は、ヒトとして生きていくうえで、非常に大切なことであり、これを何度も繰り返すなかで、その「ここちよさ」を深く認識し、頭の中に叩き込む必要があります。
勝負ごとに負ければ「もう1回」、研究でよい結果が出てこない時には「もう1回」、彼女に理解を得たいときにも「もう1回」など、これを繰り返して重ねていくうちに「粘り強さ」が出てきます。
これが脳を鍛錬させ、洗練された脳になっていくのではないでしょうか。
近頃は、この粘りがなくなった事例を多く見かけるようになりました。
かつての井深大、本田宗一郎、そしてエジソンのような人物は居なくなったのでしょうか。
この背景には、日本の製造業が衰退過程に入り、そんなまどろっこしい「ものづくり」よりも、「投資ファンド」の方が早くたくさん儲けられる、この考え方が「ファンド資本主義」と呼ばれています。
この影響を受け、若い方が、ベンチャー企業を自分で上場会社にしていくことをめざされていますが、意外と、その成功例は少なく、「柳の下のドジョウ」のようにはいかないようですね。
また、経済界のトップたちも、かつて先輩たちが築いてきた「もう1回」をいい続けてきた「ものづくり」の極意を忘れてしまったようです。
この乱れが、若者や子供たちにも押し寄せてきていて、「ものづくり日本」はどこに行ってしまったのか、と将来の不安すら漂っている昨今です。
ユッツ、そして、しらたまちゃんの「もう1回」は、粘りを産み出し、あくなきチャレンジ精神を鍛える可能性を有しています。
この「もう1回」をユッツと一緒に、とことん追求し、互いに、ここちよく過ごしていく、これが幸福の証明なのかもしれませんね。
(つづく)
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