天高く馬肥える秋、ここ向陽台の空は、雲一つない晴れです。
朝夕が涼しくなり、清々しい陽光の温かさを欲しくなって、窓のブラインドを開けました。
今日は、内孫のユッツの2歳の誕生日です。
近頃は、太鼓を叩き、「となりのトトロ」の歌を唄うことができるようになりました。
音程がしっかりしていて外れません。
この音感のよさは、優れた音楽環境のなかで育まれるのでしょう。
先日、ユッツの誕生日を前にして、ユッツの父母から相談がありました。
誕生日のお祝いとして、一緒に、子供用のドラムを贈るのはどうですか、という依頼でしたので、即座に賛成しました。
今朝は、それを早速開封したのでしょう。
そのユッツの打音が聞こえてきました。
今日は、うれしいことに、そのドラマーの雄姿を見ることができますね。
「今日は、めでたいので、白兎米で赤飯を炊いたらどうでしょうか?」
「いいですね。そうしましょう」
そして夜は、手作りケーキで「ハッピーバースデー」の歌で祝うそうです。
生まれてすぐは、やや元気がなく、しばらくの間は病院生活でした。
しかし、今では、よく食べよく遊ぶ元気な子になりました。
子供用の玩具には目もくれず、家の中にあるすべてのものを見つけては自分の遊び道具にしてしまう特技を持っています。
最近は、アレクサで「ピカチュー」を呼び出し、会話をするのが好きです。
何を大きな声で叫んでいるのかと思っていたら、その正体が「ピカチュー」だったことを知り、特殊な言語で会話をしていたことに驚きました。
写真は、今日のユッツです。良く動くことから、顔が引き締まり、より細面の幼児の顔になっています。
先ほど、ユッツの誕生祝の品物を紹介しましたが、じつは、密かに、私のプレゼントを探していました。
昨年は、佐賀の幸楽窯で作られた鯛の小皿セットでした。
この時から、誕生日には、大きくなってからも使える記念のものを贈ろうと決めていましたので、今年も実行するつもりでした。
ところが、上記のような提案がありましたので、それを優先させました。
これを、「しばらくの猶予時間をいただいた」と解釈して、これから、その記念のプレゼント探しを再開します。
毎日使うことができて、大きくなってからも記念として残るもの、初回の満1歳の時は、「鯛の小皿」でしたので、しばらくは、このシリーズものがよいのかなと思って、その探索を楽しんでいます。
ところで、これからユッツが、小中学生、高校生、大学生になっていく時代とは、どのようなものなのでしょうか。
すでに昨年から、新型コロナウイルスを開始とする「感染症の時代」が始っています。
この危機は、弱者ほど、地方ほど深刻の度合いを深めて迫ってきています。
これらの弱者や地方は、この40年間吹き荒れてきた「新自由主義の嵐」のなかで、ますます弱められ、衰退させられてきました。
昨年、ユッツが通うことになる小学校が統合され、その一つが廃校になりました。
ここでは、高齢者の死亡者が、新たに生まれてくる赤ちゃんの数と比較して常に数倍ある、ものすごい人口減少が起こっています。
農業、中小企業、サービス産業など、いずれもが不振で、その抜け出す道が不明なままで、時が徒に過ぎています。
しかし、ここに来て、猛烈に吹き荒れていた「新自由主義の嵐」が、コロナの襲撃を受けてやや弱まり、そう遅くない時期に「穏やかに治まっていくのではないか」と推理するようになりました。
周知のように、コロナの嵐が吹き荒れているのは大都会とその周辺であり、ここには、その影響がほとんどありません。
すなわち、ここは、コロナの嵐が吹き寄せてこない「安全地帯の一つ」なのです。
その安全地帯で、コロナによっていただいた考える時間をしっかり利用して、私が得た結論は、以下に示しましょう。
「コロナの嵐は、これからも吹き続け、その度に、その感染と蔓延池においては、不安と恐怖を感じながら、本来不要な社会的距離を確保しながら、見えない敵と闘っていかねばならない。
その結果として、『コロナへたり込み』と『コロナあきらめ』が地上を覆うようになり、最後には、逃げることができない方々のみが大都会に留まる。
このような環境においては、コロナに真正面から立ち向かうことはできない。
むしろ、このような安全地帯でこそ、それが可能になるのではないか。
まずは、その考えのパラダイムシフトが重要なのではないか」
これから、その「思い」を少しずつですが、前に進めていきます。
あと4年で、ユッツは小学校1年生、このころになると、ずいぶんと「物わかり」がよくなっているでしょう。
そのときは、上記の「私の思い」がどうであったかを、そして「その後どうなったか」を、やさしく、そして、わかりやすく、少しづつ伝えていくことにしましょう。
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