秋冬の「第三波」に備えて

 新型コロナウイルス感染の「第二波」のピークは過ぎたようですが、不気味なのは、東京において依然として100名、200名の新たな感染者が発生し続けていることです。

 この間の経過をやや振り返ると、新宿においてエピセンターが出現し、それが埼京線ほかの電車によって池袋や中野に広がっていきました。

 この感染拡大は、当然のことながら埼玉、神奈川、千葉など首都圏に伝染していきました。

 これらの感染拡大の傾向は、規模がやや小さいものの東京で起きた現象が、そのまま発生していることです。


 人口の規模、密度、自然の占有率、保健所の数などが、そのまま影響しているように思われます。

 一方、愛知県や大阪、主として新幹線を媒体として感染が拡大していったことが考えられます。

 また福岡や沖縄には、航空機による感染拡大が指摘されています。

 このなかで、数々の問題があぶりだされてきました。

 この数十年間において、保健所を減らせ、病院を減らせという嵐のなかで「コロナには対応せよ」という矛盾が顕わになりました。

 コロナは、貧困層や弱者に容赦なく襲いかかり、死亡者を増やしていきました。

 ここで、東京都において重症者の認定数の基準を黙って変更していたことも明らかになりました。

 姑息にも、不都合なことは平気で隠し、変更するという本質が露呈したのでした。

 相変わらず、新型コロナウイルス感染対策を講じない無策ぶりは、そのままであり、これが第三波、第四波を産み出す温床になっていき危険性を孕んでいます。

 大元の新型コロナウイルスの方は、次から次へと変異し、その進化を遂げていて、それが「東京型」、「埼玉型」という新種のウイルスに変化しているという指摘もなされるようになりました。

 これは、外国から持ち込まれなくても、日本国内でのウイルスの培養が進み始めたことを意味していますので、この感染拡大化、深刻化、長期化は避けられないのではないかと思われます。

 同時に、日本と世界の経済は、ますます衰退し、深刻化を遂げているようです。

 周知のように、経済は時間の関数ですから、その有効策が講じられないかぎり、時の経過に比例して転げ落ちていくしかないのです。

 未曾有の実体経済の停止に続く停滞は、あらゆる分野における天文学的な損失を産み出しました。

 その現象が与えたものは、弱者において現れ始めています。

 本日の新聞紙には、新型コロナウイルスの影響で解雇された累計数で5万人を超えたことが
示されていました。

 この4カ月で5万人ですから1か月あたり1.2万人が解雇されていることになります。

 この傾向は直線的に増加していますので、今後も増え続けるでしょう。

 また、財務省は、この4~6月の全産業における利益が前年度と比較して46.6%減少したことを発表しています。

 利益が昨年と比較して約半分減った、これは大変なことです。

 とくに、自動車販売の低迷で輸送用機械が76.1%も減少しました。また、飲食。宿泊などのサービス業が53.7%の減となり、厳しい経済動向が続いています。

 そして、より深刻なのは、新たな産業の創出や、それを下支えする新たなブレイクスルー技術が登場しなくなったことにあります。

 秋冬の「第三波」に備えて、コロナに関するブレイクスルー技術を創出することが焦眉の課題となっています。

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                  サツマイモの畑

           足下の泉

 「コロナの第一波が終えた後に日本経済はV字回復する」、このような期待を持って、実際は何もしない、このような方々が少なからずおられました。

 しかし、この「V字回復」への期待は、真に淡く、空疎なものでした。

 先が観えない新型コロナウイルス感染、それに連動した経済恐慌の深化、このような「感染症の時代」といわれている世の中を、私たちは生きていくことを余儀なくされています。

 しかし、「何をすればよいのかがわからない」、「手も足も出ない」と「へたり込んでしまう」方々が増え始めています。

 「何をすればよいのかがわからない」のであれば、それを自分で探しだせばよいのに、それができない。

 それは、自分で探し出すことを経験したことがないからで、ここに「今だけ、金だけ、自分だけ」を信奉してきた落とし穴があります。

 「手も足も出ない」、そうであれば「頭を出せばよい」、手足よりもお頭の方が大切で役に立つはずなのに、それができないということは、「頭が以下に役立つか」を体験したことがないからなのではないでしょうか。

 人間ですから、弱さが出てくることもあるでしょう。そこで悩み、苦しむことも無駄ではありません。

 しかし、もうそろそろ、それもよいのではありませんか。

 長い人生においては、そのように「へたり込む」時期があってもよく、私も若い時に何度か経験をしたことがありました。

 その苦渋のなかで、私が悟ったのは、足元をしっかり観て、そこにあるはずの「泉を掘れ!」という内なる声でした。

 「他所を眺めても何も得られない、足元を掘っていけば、そこに滾々と水が湧き出してくる泉があるかもしれない」 

 こう思い続ける中で、私は、光マイクロバブルを自分で創り出し、その出会いを果たすことができました。

 新型コロナウイルスという特殊性を考えると、それに直接関係する研究を行なうことはできません。

 しかし、それに関係するさまざまな分野の研究開発を行うことは可能なはずだ、こう思いながら、一歩一歩と前を向いて動き始めることにしました。

 詳しくは、別稿の「命と健康の『ものづくり』Ⅱ」において少しずつ紹介してきましたので、それらをご覧いただけますと幸いです。

 さて、足下にあるはずの泉の水を、より清らかに、そしてより大量に滾々と湧き出させるためには、どうすればよいのでしょうか?

 さらには、その水を多くのみなさまに、おいしいとごくごくと飲んでいただくようにするには、何をすればよいのでしょうか?

 これらの課題に、どう立ち向かえばよいのか、そんなことを深く思案し続けている今日この頃です。

 (つづく)

ichou
銀杏の若葉