S先生の遺本『自然に生きて』の著者である小倉寛太郎さんは、日本航空を退社した後に、東アフリカのケニアの首都ナイロビに移り住むようになりました。

 今度は、会社の命令で赴任したのではなく、自らすすんでナイロビへの移住を選んだことには積極的な理由がありました。

 ナイロビは、赤道直下にありながら標高は1700mもあるので、年中温暖な気候であり、夏の軽井沢によく似ているそうです。

 しかも、日中は夏、夜は秋のようで、蒸し暑い日本の夏の夜とは大違いです。

 生前の渥美清がアフリカが好きで何度も訪問されたそうですが、そのかれが、何がよいのかと聞かれたときに次のようにいっていました。

 「風が違うんだよ、吹いてくる風が・・・・」

 朝は湿度80%、太陽が照り始めると陸地が乾いて、風が吹き始め、湿度も50%以下になり、そこにまた風が吹く、きっと、この風をさわかに感じたのでしょう。

 夜になると寒いほどになり、ひんやりとした風が吹いてくる、これも気に入ったのではないでしょうか。

 四季がなく、いついっても夏の軽井沢に出会うことができることも、素敵に感じたのでしょう。


 このような自然のなかで棲むようになると、ヒトは自然の一部でしかない、そのことを直に感じるようになったそうです。

 「シマウマやライオンと自分は同じである」

 自然に、この思いを受容していったのでしょう。

 環境は、ヒトやその営みを変えていきます。

 私の場合は、日本の地中海と呼ばれていた国東に移り住んで9年目、その温暖でおだやかな気候が、身体に融合するようになりました。

 東京、大阪へは、すぐ近くの空港を利用すことができ、必要なものを購買するにはアマゾンという流通手段があり、ここでの不便は少しも生じませんでした。

 そして国東に慣れてくると、人、人であふれる大都会に入ると違和感や疲れを覚えるようになりました。

 さらに、現地の海の幸、野の幸に親しみ、こよなく愛するようになることで、食生活が大きく変容するようになりました。 

 健康指向が芽生え、それを育てることの大切さを知りました。 

 これは、私のささやかな体験ですが、小倉さんにとっては、もっと大きな変化がもたらされたのではないかと思われます。

 「自然に生きる」とは、「心の命ずるままに生きる」だけでなく、「自然とともに生きる」ことを実感したことだったようです。

 かれの自然研究は、まず、かれが棲む東アフリカが、人類の祖先の誕生池だったことを知ることから始まりました。
 
 年中が夏の軽井沢のような快適な気候のなかで、見渡せばサバンナの草原で動物たちが悠然と生活している場所は、人類の祖先にとっても棲みやすい快適空間だったのではないでしょうか。

 おそらく、このような最高水準の快適空間だったことこそが、人類誕生という快挙を用意したのではないでしょうか。 

 ここでは、ヒトは、自然の動物のなかのひとつにすぎず、大都市のなかで我が物顔に闊歩している人間とは大きく異なっています。

 しかも、その人間たちは、非自然のなかで、獣のように目をギラギラさせて働かされています。

 しかし今でも、アフリカのサバンナの世界においてはヒトは弱い存在であり、動物の進化においても相当に遅れた「種」にすぎないのです。

 このようにいうと、次のような反論が出てきそうですね。

 「そんなことはない。動物のなかで一番進化したのはヒトである」 

 ところが、かれの考えは、これとはまるっきり異なっていました。

 それらに、私は吃驚しました。

 その根拠のひとつが、ヒトの場合、相当な早産で赤ん坊が生まれてくることから、その赤ん坊は、自力では何もできないということでした。

 十月十日は、生まれてきてもよいという目安であり、その生まれてきた赤ん坊が動物として進化した状態であるかどうかは、別の問題であるというのです。

 たしかに、アフリカの動物たちは、母体のなかで十分に育ってから、この世に生み出されますので、すぐに自分で立ち上り、水を飲むことができます。

 しかし、ヒトは、その自力更生ができず、生まれてからも長い間育てていかなければ、二足歩行はむろんのこと、食物を自分で食べることもできません。

 なぜ、サバンナの多くの動物と比べて、ヒトが、なぜ、このように進化しない状態で生まれてくるのか?

 かれは、その最大の理由として、ヒトが二足歩行を始めたことではないか、という指摘を行っています。

 4本足と5本指、これは最も進化が遅れた原形だそうですが、それが二足歩行によって新たな進化を遂げるようになりました。

 手の指で道具を握り、動かすことで脳を刺激することによって、独自の脳の発達が促されるようになりました。

 また、視覚の発達によって、嗅覚の劣勢(犬の嗅覚はヒトよりも30倍優れている)を視覚で補いました。

 動物は、嗅覚によって異性に接近しますが、ヒトは、その視覚によって雄雌を判断し、異性を見分けることができるようになったのでした。

 女性は、男性に目立つように胸を膨らませ、口紅を付けるようになり、髪形や衣服を工夫するまでになりました。

 しかし、その二足歩行の代償として、骨盤や腰骨の発達が間に合わず、それが早期早産を余儀なくされたことが強調されていました。

 後50万年もすると腰骨の発達が進み、その暁には腰痛も無くなってしまうのだそうです。

 このように、自然のなかで同じ哺乳類を見ながら、ヒトの過去を調べる、この視点から未来を考える、これが、かれの優れた自然観、人間観の形成に結びついていったように思われます。

 折しも、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、この自然観、人間観が改めて根本的に問われるようになりました。

 コロナは、金や利権では動きません。

 武器や軍隊の脅しも利きません。

 金や利権、軍隊で人は動くと思ってきたのが、じつは、そうではなかったのです。 

 心の命ずるままに自然に生きたかれが、自然のなかで、自然の動植物とともに生きてきたことによって形成された自然と生活の哲学、これはとても参考になりました。

 S先生、この本を遺していただき、ありがとうございました(この稿終わり)。
 
oribu-11
オリーブの葉