これも新型コロナウイルスのせいでしょうか。

 あっという間に時が過ぎて月末になってしまいました。

 そういえば、今月のガイダンスを認めていなかったと思って調べてみると、やはりそうでした。

 ぎりぎりでセーフ、危ういところでした。

 さて、その第1は、新型コロナウイルスの件です。

 これ以上長引くと日本経済が持たないと思ったのでしょうか、当初の予定よりは数日早い「緊急事態宣言の解除」が行われました。

 これは、ドイツや韓国でも同じですが、この解除の直後に感染クラスターが発生し、その対応に追われています。

 おそらく、日本でもこのような事態になるのではないかと、多くのみなさんが心配されていました。

 そして、この心配な第二波が北九州市で発生し、東京都においても、その危険な兆候が現れ始めています。

 これらは、片や「日本モデル」として胸を張ってみたいみなさんと、できるだけ自分の選挙の時まで引っ張っていたい「コロナ狸」さんの両方の「安堵」をいとも簡単に打ち砕き始めています。

 コロナは、決して思惑通りには動いてくれません。

 また、あらゆる利権にも左右されません。

 すなわち、思惑や利権を頼りにされている方々にとっては、どうにもならない「厄介者」なのです。

 生物の体内に棲みつくが、自らは生物としての機能を持っていないという、生物と無生物の間にいるのがウイルスさんです。

 このウイルスさんは、世界中の生活と売り買いを一挙に停止させてしまいました。

 「今だけ、お金だけ、自分だけ」で横着に振舞っていた「新自由主義」さんを、足元から苦しめ弱らせ始めました。

 その意味で、今回の新型コロナウイルスが与えた影響は歴史に残るものであり、さまざまな角度から、これまでと今後の両方において考察を仕向けるものとなりました。

 ここでは、関連の記事を次に示しておきましょう。

 1)「徒然に光マイクロバブル・新型コロナウイルス」

 2)「ウルトラ・パラダイムシフト(3950回記念)」
 
 3)「超高齢化社会を生き抜くために(3900回記念)」

 新型コロナウイルスの災禍を勉強して記事化するためには、さまざまな角度から調べ、勉強をしていくことが当然のことながら必要となりました。

 同時に、この問題において光マイクロバブル技術が、どう関わればよいのかを考え、究明していくことも自然に重要な課題になっていきました。

 しかし、この後者の課題については、それぞれの時点での思い付きはあったにしても、それを科学にしていくには未だ不十分であり、探索を継続している段階に留まっています。

 また、この持続においては、単に考え続けるのみでは有効性が限られますので、可能な範囲で実践を積み重ねていくことが大切になります。

 上記1)においては、その実態とそこに内在する本質を究明していくことに努めました。今はネット社会ですので、重要でホットな情報を収集することができます。

 これにテレビにおける特集番組などを加えて、そのリアルな把握をめざしました。

 その結果、新型コロナウイルスがしつこい「致死ウイルス」であり、その対策を誤ると悲惨なパンデミックへと変化していくことを知りました。

 同時に、世界においては優れた対処法があり、それが「精密医療」という方法であり、この手法で成功している国と、これを採用できない遅れた手法に固執している我が国との対比が鮮やかに観えてきました。

 2)においては、この新型コロナウイルスのパンデミック(大流行)が経済恐慌(エコノミックパニック)を生起させていることに注目しました。

 このパニンデミックがもたらした不幸は、底知れずの深さと天文学的数字の経済的負債をもたらし、それが、ここ数年間にわたって人類を苦しめ続けるでしょうから、その過程で超大規模の変化が起こるでしょう。

 この変化が起こり始めている今、鮮やかに観えてきたのは、新自由主義の社会の脆弱さと跛行性であり、それを支えたグローバリゼーションは、その崩壊を大規模に、そして全面的に遂行させるための手段であったといってもよいでしょう。

 若者たちに、今だけだから、お金がすべてだから、それができるのはお前だけだからといわれて、儲ける場所を世界の隅々まで探させたことは何だったのか、それに罪悪感を覚えて少しは反省しているのか、と問いかけてみたくなりますね。

 これらの大きな変化と崩壊によって新しい時代が来ようとしています。

 このパラダイムシフトを真摯に受容し、そこから何を新たに見出し、具体的な実践をどう行っていくのか、これを追究してみたいと思います。

 長い人生においては、何が起こるか予測ができない部分がありますが、これも私を含めた多くの方々に与えられた運命ですので、むしろ、その運命から目をそらさずに、真正面から立ち向かうことも冥利のひとつといえるのではないでしょうか。

 幸いにも、私には、光マイクロバブル技術という頼りになる武器がありますので、これを存分に試してみようと思っています。

 そのために、自分自身の健康を増強し、たくましく生き抜くために知恵を絞り、工夫を凝らそうと思ったのが3)の取り組みでした。

 そう思って意識的な適用を追求してみると、いろいろなアイデアと変化が出てくるようで、なんだかそれ自身が楽しくなってきました。

 その意味で、この1)~3)については、しばらくの間連載を続けようと思っていますので、お付き合いをよろしくお願いいたします。

 第2は、まもなく4000回記念を迎えることです。

 振り返れば、3000回記念を迎えたのは、2017年10月30日のことでした。

 あれから2年半余の歳月が流れ、世相も随分と変わってしまい、この新型コロナウイルスを契機として「感染症の時代」が、いきなり始まりました。

 世界中の人々が、この認識に到達し、この災禍を覚悟して生きていく時代の開始であり、その意味で、人々の生活における情報交通がなされるようになりました。

 お金のための交通から、命と生活のための交通が開かれようとしています。

 これは、ある意味で開かれた未来への交通であり、ここに本質的指向があるのではないかと予感を覚えています。

 第3は、「光マイクロバブルとマイクロバブルフォームⅡ」についてです。

 最近では、私の記事のなかで最もよく読まれていますので、それを考慮してよりわかりやすく、そしてよりおもしろく書くことに心がけています。

 パートIを含めると大変長いロングラン記事ですが、読者がそれだけ多く、よく読まれているのですから、より一層洗練された記事にすることが求められているのだと思います。

 この2、3回は、誤ったマイクロバブルの知識に基づく技術によって現場に混乱が生まれていますので、それを考慮した執筆に心がけています。

 同時に、そのことを通じて光マイクロバブル技術の重要性を明らかにすることにも配慮していきたいと思っています。

 その他の連載記事については、来月のガイダンスで触れることにしましょう(つづく)。

ichou
銀杏の若葉