新型コロナウイルス感染のパンデミックによって世界規模の経済恐慌(パニック)が進むなかで、本ブログ記事における第4000回記念を迎えました。

 私は、このパンデミックとパニックの同時発生の現象を「パニンデミック」と呼んでいます。

 このパニンデミックに突入した時代に、どう対応し、立ち向かっていけばよいのかを真剣に考えていた最中、歯の治療を行っていた歯医者さんと治療後に少し話をする機会がありました。

 先生は、歯医者さんの集まりの責任者も兼ねられているそうで、みなさんとの話し合いのなかで、これからは、新型コロナウイルスだけに留まらず、ずっと何十年間も感染症が続いて起こることを覚悟しなければならない旨の発言をなさっておられました。

 「そうですか、今回の新型コロナウイルス感染問題を契機にして『感染症の時代』が長く続くことを覚悟して動かないといけないということですね」

 その時、私は、このように返事したのですが、その会話がより強い刺激となりました。

ーーー いったい、これから何十年と続く「感染症の時代」を、どう考え、どう立ち向かい、いかに生き抜けばよいのであろうか?

 さらに続けて、次の想いも湧いてきました。

ーーー この感染症に、私どもが開発してきた光マイクロバブルと、それを基礎とする技術は、果たして有効であろうか?

 有効であるとすると、それに、どのようにアプローチし、どう着実に発展させていけばよいのだろうか?

 当然のことながら、その探究を前向きに進めるという立場に、わが身を積極的に置くとすると、それは初めてのことではないのではないか、という思いが湧いてきました。

 考えてみれば、光マイクロバブル(後に、だれもがマイクロバブルという用語が普及して、何もかもがマイクロバブルと称されるようになりましたので、私どもが開発した超高速旋回式装置で発生させたマイクロバブルのことを、このように呼ぶことにしました)に関しては、常に未知の世界が待ち受けており、そこに、どう足を踏み入れるかが、真正面から幾度となく問われることになりました。

 それは、ある意味で「光マイクロバブルの試練」といってもよく、まずは、その試練に挑む「勇気」が必要となりました。

 ふしぎなことに、この勇気には、次のような予感めいた「思い切り」が伴っていました。

 「この問題を解決するには、光マイクロバブルのほかには何も思いつかない。ここは、心底から光マイクロバブルに頼るしかない」

 これは、

「頼むぞ光マイクロバブル、私には、あなたしかいない!」

という、ある意味で「神頼み」によく似た心情になっていました。

 その最初の試練が「広島カキ養殖」の改善でした。これについては、すでに何度か詳しい報告を行ってきましたので、ここでは、その概要を述べるに留めます。

 これを開始する以前に、私どもはダム貯水池の水質浄化に取り組んでいました。

 周知のように、ダム貯水池には上流の山野から流入した汚水が溜まりますので、その表層にアオコ等の植物性プランクトンが異常発生やすく、また、それが腐敗して貯水池底に堆積することで、そこに無酸素水域が形成されることでダム貯水池全体の水質汚濁が進行していきます。

 この低層の無酸素水域のみに、ダム全体の貯水をかき混ぜることなく光マイクロバブルを注入し、この有酸素化を実現することによって貯水池全体の水質を改善することをめざしました。

 この現地実験は、兵庫県を中心にしていくつかのダムにおいて実行され、重要な成果を生み出すことになり、この一連の研究成果をまとめられた道奥康治(神戸大学教授、当時)氏は、土木学会論文賞を授与されました。

 この研究開発において活躍したのが小型で高性能の光マイクロバブル発生装置でした。

 この成果の一部を踏まえて、地元のC技術コンサルタントと共同で研究開発を行ったのが広島カキ養殖改善でした。

 当時、この会社には大学の同級生のM君がいて、かれとの二人三脚で現場実験が始まりました。

 ここで、私は、カキの生物学的知識については乏しかったものの、装置開発においては、上述のようにダム貯水池の水質浄化においていくつかの現地実験装置を設計・製作していましたので、それをカキ筏に適用することは、そんなに難しいことではありませんでした。

 しかし、最大の問題は、「光マイクロバブルによって養殖カキが本当に救えるのかどうか?」にありました。

 この点については、何の実績もなく、見通しのないままに現地実験を行うという、ある意味で危険で、通常の学者であれば人一倍の勇気が求められました。

 もともと私は、その人一倍の勇気を兼ね備えた人物ではありませんが、その時に私を鼓舞させたのが、次の2つでした。

 ①現場のカキ漁師が、光マイクロバブルを視て、「これだったら、なんとか行けるかもしれん」といった。

 ②淡水光マイクロバブルの発生量よりも、海水光マイクロバブルの発生量が約5倍多く、この泡の多さがよい効果をもたらすのではないかと考えた。

 今、考えれば、この2つとも当てにはならないことでしたが、これに加えて「光マイクロバブルにかけてみよう」という思いがあったのだと思います。

 結果はすばらしいもので、それを得た理由も後になってよく解りましたが、そこで決断し、一歩前に踏み出さなければ、今日の「光マイクロバブルによる生物活性」という重要な作用効果を見出すことはできなかったでしょう。

 この決断は、直観(ひらめき)によるものです。

 そんなに信頼性のある確かなものではなかったのですが、真にふしぎなもので、その成果が、私の運命を切り拓いていく契機になりました。

 このとき、「私が頼るものは、光マイクロバブル、あなたしかありません」と良く思っていたことをよく思い出します。

 この思いを継続させ、より確信に導いていったのが、翌年から始まった北海道噴火湾におけるホタテ養殖改善であり、さらに翌々年から始まった三重県英虞湾における真珠養殖改善における現地実験でした。

 広島の時もそうでしたが、現場で貝が死んでいるのですから、それを防ぎ蘇生させようという実験でしたので、それこそ待ったなしの状態からの出発でした。

 そして、それが徐々に上手く行くようになりましたので(もちろん、現地にはいくつもの困難があり、それらを一つずつ乗り越えるなかで)、現地の人たちが喜び、地元のメディアも派手に取り上げてくださいました。

 これらの取り組みによって、私のなかに次の重要な意識変化が起こりました。

 「広島のカキ養殖で上手く行ったのだから、北海道のホタテにおいても同じことが起こるはずだ!」

 「広島のカキ、北海道のホタテの実績を三重のアコヤガイに適用できるにちがいない」

 当然のことながら、広島、北海道、三重では、現地の環境や養殖条件が異なっていましたので、それぞれにふさわしい工夫をすることが大切であり、そこに適用する装置の改良を次々に行っていきました。

 こうして、「私が頼りにするのは、光マイクロバブルさん、あなたしかありません。頼みますよ」という思いは、徐々に深まり、強固になっていきました。

 しかし、この確信は、海洋における二枚貝養殖の分野において得られたことでしたので、その他の分野においては、ほとんど及んでいない、いわば未知の状態でした。

 次回は、その2つ目の分野である植物において、それがどのように形成されていったかについて分け入ることにしましょう(つづく)。

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白バラ