とうとう、新型コロナウイルスが世界中に蔓延することによって、本格的な経済的恐慌が起こり始めました。

 これは、かつて経験をしたことがないような「巨大なバブル崩壊」ともいえます。

 この大恐慌によって、すべてがストップし、生活と産業が深刻な状況に陥り始めています。

 今回の大恐慌の特徴は、先のリーマンショックの時に、まず金融機関の破綻によって危機が始まったのに対し、今回はまったく異なっていて、人の動きが止まり、それによって商品の売り買いが極端に減少していることにあります。

 これに加えて、大幅な原油価格の低下でエネルギー産業の破綻が顕著になってきました。

 世界の経済に大きな影響を与えているアメリカの経済においては、ダウ平均株価の急激な暴落が始まり、多くの企業において借金のための金が不足し、FRBは何度も、その膨大な返済金のためにドルを湯水のように供給し始めました。

 アメリカ本土のみならず、世界中において米ドル不足になり、その煽(あお)りを受けて、日本では「株安と円安」が同時に起こっています。

 この経済的恐慌における株価の推移を観察して、私が驚き心配していることは、アメリカのダウ平均株価の急落が、日経平均の株価の減少に、よく類似していることです。

 また、この株価の下落傾向が、日本の製造業、不動産業、銀行などの株価落ち込み傾向にもよく似ていることです。

 この悪しき同期傾向は、不幸にもアメリカの株価の急落がより一層進行することになれば、日本の株価にも連動することによって、わが国は計り知れない打撃と破綻を被ることを示唆しています。

 このような先行き不安のなかで、新型コロナウイルスの災禍を乗り越え、新たな、そして確かな「ポストコロナ時代」を創生していくことが非常に重要な課題となっています。

 その創生において最も重要なことは、全企業のほとんど大半を占める中小企業が、コロナ災禍による大恐慌(これを『パニンデミック』と呼んでいる)のなかでも、それを振り払って、たくましく生き抜いていけるようになることです。

 この課題を解決し、さらに発展させていくために、最も必要なことは「技術開発力をより洗練させる」ことではないかと思われます。

 日本の活路のひとつは新技術の開発にある、といえます。

 知恵と工夫に富んだ「技術開発力」を養成していくには、まず「技術開発とは何か」を深く探究していくことが重要です。

 こういうと、中小企業においては、そんな余裕は時間的にも財政的にもありません、あるいは高専においては、基礎的な知識を教えることで精一杯、とても技術開発に取り組むことはできません、という反論めいたことが聞こえてきそうです。

 しかし、これは余裕がないからできないとか、他に教えることがあるからできない、という次元の問題ではありません。

 わが国には、大変立派な先人がおられます。

 若き日の本田宗一郎、井深大がそうだったように、仕事をしながらも開発力を磨き、発展させたのがかれらであり、これを学びながら、中小企業や高専で丸ごと探究できるようになることが、今一層求められているのではないでしょうか。

 かつて、私は若くして高専教員になりましたが、そのころは研究を重ねて博士になることが目標でした。

 それを達成した後は、スタッフ2名に博士になっていただくことが次の課題になりました。

 幸いにも、この目標を達成することができましたが、そのころから、技術を教える高専において「開発型の技術者養成」という教育目標をどう実現していくかが、非常に重要であると思うようになりました。

 同時に、この課題は、高専が地域にどう根ざして地域貢献を成していくかの問題とも結びついていきました。

 この指向を抱くようになった1980年代になって、地元の中小企業のみなさんとの交流が始まりました。

 そこで私が最初に理解したことは、次の2つでした。

 ①技術の現場を知り、中小企業の社長さんらと付き合うなかで、自分の技術力の無さをいやというほど認識させられました。

 これでは、高専の教員として恥ずかしいと感じ、同時に、何が不足していたのかを深く考えさせられました。

 技術の現場を知らない、これが致命的な欠点であることを思い知らされたのでした。

 ②技術開発力とは何かをまるで理解できておらず、その技術開発力を磨く経験もしていませんでした。

 高専は、「実践的技術者の養成」を創立以来の目標にしてきましたが、その実践が何かを知らず、そして実践の経験が真に未熟なままだったのです。

 これらを深く反省し、地元の親切な中小企業のみなさんと一緒に共同研究を行い、それを発展させることで新たな技術開発に取り組むようになりました。

 そのひとつが、マイクロバブル(最近は「光マイクロバブル」と呼んでいる)技術なのです。

 幸いにも、これは極めて優れた技術および科学的シーズであったことから、この研究開発に邁進することで、その成果が次々に実を結ぶようになり、日本はおろか世界的規模で拡大していくことになりました。

 高専で生まれた技術が、世界に拡散していった事例としては、私の見るかぎり初めてのことであると思っています。

 私が、この技術を世の中に公表したのは1995年であり、それから四半世紀が経過しました。

 なかには、「5年で衰退する」といっていた学者もいましたが、この技術の発展は、その批判を振り払い、今尚、持続的な発展を遂げています。

 幸運なことに、私自身も、その開発の隊列の中の一人として、その開発事業に参加できているという栄誉を感じています。

 そこで、これらの経験を踏まえ、ここでは、まず「コロナ災禍における技術開発とは何か」を深く考察し、それを、これからの高専教育に役立てるヒントにしていただくことをめざします。

 また、その技術開発力の洗練さをどう向上させ、世の中のみなさんが求める技術開発とその成果としての技術商品の在り方についても検討していきたいと思います。

 おそらく、「今だけ、自分だけ、お金だけ」に頼って、世界中で物を売っていけばよいという「新自由主義」の時代が、この新型コロナウイルス災禍によって脆くも、そして一挙に崩れ去り、時代は新たな潮流を求めていくのだと思います。

 この変化の中で、日本中が変わっていくことが自然になり、高専も、その影響を大いに受けることになるでしょう。

 若い高専生にとっては、この変化は、災禍ではなくチャンスの到来であるとも考えることができます。

 それを実現させるには、高専教員の頭の中のパラダイムシフトが極めて重要であり、それができるか否かで、高専の真価が深く問われることになるでしょう。

 この未曾有の危機のなかで、それを根本から救う手段の一つが、優れた技術開発である、この信念に徹した技術者教育のあり方が真摯に探究されることが求められているように思われます(つづく)

ichou-0429
銀杏の若葉