一昨日の記事の続きです。

 その第2は、検疫官の男性一人が検疫中に感染したことです。

 この検疫者たちが、船内で集まって準備をしている様子がテレビで報道されていました。

 これを視て驚いたのは、かれらが防護服を着ておらず、マスクと手袋をしただけの身なりだったからです。

 「まさか、この身なりで検疫を行なうのあろうか」

と思っていましたが、実際は、この身なりで行っていたことが明らかになりました。

 この検疫官が行ったことは問診票を書かせることと体温を耳元で計ることでした。

 いずれも、船内客のみなさんと接近しないとできない作業でした。

 この接近過程において、新型コロナウイルス菌を吸い込んだ可能性があると思われますが、これには、ほとんどのメディアの指摘や専門家の議論はありませんでした。

 この検疫官には、マスクをしていれば大丈夫、手袋をしていれば問題ない、30分以内であれば感染しないなどの非科学的で呑気な説明がなされていたのでしょう。

 そこには、それを指示した専門官がいたはずで、ここにこそ、その非科学的呑気性の大元の問題があるように思われます。

 水際で止めるという大作戦を展開しながら、その当事者自身が、その水際で感染するというお粗末な事態を招いているのです。

 なぜ、完全な防護服姿で検査をさせなかったのか、ここには相当な甘さがあったといわざるをえません。

 この甘さが、その後の感染者の急増にも関係しているのではないか、水際作戦といいながら、お粗末な水際になっているのではないか。

 どこが、本当にお粗末なのか?

 わずかに数分間であっても、そして体温を計っただけでも検疫官が感染したという事態を科学的に考察できていない、ここに重要な問題があります。

 この関係の専門の学会関係者や専門医からは、今回の感染は「空気感染ではない」ということが盛んにいわれています。

 しかし、今回の検疫官の感染においては、かれらのいう「空気感染」はおきていないものの空気を媒介して「感染が起きた」と考えるのが自然であり、そのようなことがなぜ起こったのか、それを仮説でもよいからしっかり科学的に考察することが非常に重要だと思います。

 「マスクをしただけでは感染する可能性がある」

 これを正しく教え、正しく恐れさせることが不可欠といえるでしょう。

 第3は、この検疫官に関して、最上司である加藤厚生労働大臣の呑気性についても論究しておきましょう。

 それは、記者会見の席でのことでした。

 メディアの記者が、今回の検疫官の感染に関して「きちんと防護していたのか?」と質問した時のことでした。

 かれは、この回答として、やや声を大きくして、

 「マスクと手袋をしていました」

といってのけました。

 残念ながら、その質疑応答は、それで終わってしまいましたが、私が記者であれば、次のように続けたでしょう。

 「マスクと手袋の件は、わかりました。私が聞きたかったのは、なぜ、防護服を着なかったのかということです。

 防護服を着て対応しておれば感染は防げたのではないですか?」

 加藤厚労相は、これに対しては、どう答えるのでしょうか?

 さらに私は、ここ尋ねます。

 「わずかな時間でしか接していない検疫官が感染したのですから、従業員は、もっと感染の確率が高いのではないでしょうか。

 従業員もマスクと手袋で対応されていますが、それで大丈夫でしょうか」

 さらに、大臣は、その返答に窮したでしょうね。

 その後の事態は、それが「大丈夫ではない」ことを証明し始めています。

 昨今の報道において専門家は、このクルーズ船を「コロナウイルスの培養装置」とまでいうようになりました。

 非科学的呑気性を本質的に打開する「正しく恐れる科学性」が発揮されることが重要だと思われます。

roubai
蝋梅