昨日、中津市に出かけ、おそらく今年最後の「師走の実験」を行ってきました。
前回は、中津駅前の鱧料理屋「丸清」で昼定食(800円)を相棒と一緒にいただいてから実験を行う医院に行ったので、今回も同じパターンで昼食をしようかという話になっていました。
しかし、途中で実験用具を購入したこともあって実験開始時間に間に合わなくなり、コンビニで「むすび」を買って軽く昼食を済ましました。
おかげで、待ち合わせの時間通りに到着、すぐに実験要領の打ち合わせを行いました。
「基本的には、前回と同一の実験を行い、その画像データをきちんと記録したいと思います」
こういって、まずは予め製造してきた光マイクロバブル水の実験から開始しました。
前回は、同じ光マイクロバブル水を製造して2時間後の実験でしたが、今回は約1日前に製造したものでした。
結果は、同じで、光マイクロバブル水の製造後の時間差による違いはありませんでした。
これを踏まえて、合計で8通りの条件を変えて、それぞれの実験を継続していきました。
これらの個別条件における実験の結果は、ほぼ前回の実験で得られた特性と同一の傾向を示しましたので、その傾向に基づくデータの収録をきちんと済ますことができました。
しかも、このデータは動画ですので、その時間的変化を自動的に追跡することが可能です。
これから、この貴重な動画の解析を丹念に行うことになりますので、ここからどのような本質が生みだれるのか、未知のベールがどのように剥がされ、どう明らかになっていくのか、この作業は非常に楽しいことになりそうですね。
ほぼ予定した実験を終え、次回の打ち合わせを行いました。
すでに2回の基礎実験を終え、その切り込みにおける全体像が朧気ながら見えてきたことから、これをどう確かなものとして仕上げていくのかという段階に入り始めたといってよいでしょう。
このような新たな糸口が見えてきた時には、次の明確化が必要になります。
1.新たな糸口となる「特性」の再確認、それを裏付けるデータ取り、そのより明確化を行なう。
2.この入口の糸口に関する同一実験を行いながら、その糸口における解明点を確認しながら、その適用範囲をより拡大し、その特性に関する再確認と適用範囲をより広げていく。
しかし、ここで微妙な問題の存在に気付くことがあります。
よくある認識のパターンは、次のようなものです。
最初における新たな入口の究明が起こることで、それまでの科学的認識が大きく変わる可能性がでてきます。
冷静に考えてみると、確かに、これはすばらしい最初のブレイクスルー(突破)になるのですが、この入口は狭く、その範囲内における認識の突破にすぎないのです。
そこで、この最初のブレイクスルーの認識をより深く、確かなものにしていくために、その追実験や拡大実験が重要になります。
これが上記の2回目の実験に相当していますが、ここでは同一の重要な傾向を示しながらも、どこか微妙に違う問題が観えてくることがあります。
「おやっ、何かちがうな!なぜであろうか?」
このような疑問が生じてくるのは、ある意味で当然のことで、その理由は次のように考えられます。
①もともと、断片的で、ある意味で限られた条件における入口突破ですから、その突破においていくつかの偶然が重なり、それらが功を奏して出現した現象でしかないのです。
②それを成し遂げるまでに至った科学的認識においては、いくつかの重要な認識が重なっていますので、そのことに気づかずに、あるいは重要と思わずに行ってしまった実験だった可能性があったのかもしれません。
③そこで、この科学的認識のずれを重要視するのか、それとも「大したことではない」と受け流してしまうのか、この模索がなされるようになります。
④それは、科学的な直観に関するものですが、それを軽視して、後者の取り扱いになってしまうと、それが再現できなくなり、とんでもない失敗に陥ってしまうこともあります。
最初の小さなズレや違いが、そのうち膨らんで、その科学的本質から離反してしまう、このようなことが光マイクロバブルにおいても偶に起こってきたことでもありました。
その際、重要なことは、その最初の入口突破のブレイクスルーの認識をより深く、普遍的な価値あるものとしてさまざまな角度から検討し、確かなものにしていく作業を積み重ねていくことです。
同時に、その普遍的法則性、技術的特性を踏まえて、その適用領域を広げていくことが可能かを検討していくことが重要です。
これに関しては、ほとんど未知の科学分野になりますので、その基礎からの勉強が求められます。
今は、便利な時代になりましたので、インターネットから、その関連情報を初歩から、あり程度の専門領域にまでにおいて収集することができます。
その上記の入口におけるブレイクスルーの視点から、その情報収集と検討を行なっていくのです。
この過程においては、
「なんだ、すでに確立済みの技術ではないか」、
「いや、待てよ。光マイクロバブルの視点に基づいては究明されていないのではないか?」
という二つの反応が生まれ、これが結構、私にとってはドラマチックで楽しい体験的学習になるのです。
「何が同じで、何が違っていたのか?」
これまでの実験を振り返りながら思案していると、そこに重要な仮説が浮かび上がってきます。
これをより鮮明していくと、次は、その仮説に基づく検証実験の方法が明確になります。
「そうか、そうだったのかもしれない。そうあれば、この科学における未知のベールは深く、そして広く覆いかぶさっていたことになり、前回の入口ブレイクスルーで明らかになったことは、それこそ光マイクロバブルの女神がほんの一瞬微笑んだにすぎないのかもしれない」
それゆえに、科学は深く、時間的には長い時間が関わるものなのでしょう。
それに比して、ようやく、その入り口に辿り着いた私どもの地歩は、小さくてわずかなものなのでしょう。
2019年における最後の実験を終えて、帰りに、例の「ふじや」で唐揚げを買いました。
今回は、手羽先の唐揚げも食べてみようということになり、その初めてで格別の味に、相棒と共に感激しながらの帰路となりました。
年末から年始にかけては、この仮説に関するしっかりした勉強が求められますね。
銀杏の木
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