かなり前に、国東市富来のMさん宅を訪れたことがありました。

 周知のように、この地域は知恵の神を祀っている文殊仙寺に向かう富来路があり、ユニークな手作りの案山子が並べられています。

 国東は、六郷満山の地として知られており、この六郷とは、半島の中心にある両子山
が、かつて活火山だった時に形成された溶岩が四方に流れ出すことことによって形成された丘と平地の里のことです。

 富来は、この六郷の典型的地域といってよいでしょう。

 谷沿いの平地で米作がなされることで生計が営まれてきました。

 この地を訪ねて気づくことは、狭い平地では米作がなされ、周囲の丘と農地の境目に家が建てられいます。

 いずれも大きい立派な家が多く、しかも、この谷沿いにいくつもの寺院が建立されています。

 農家が豊かに米作を行うことによって寺院の建立と運営を支えていく文化が形成されていったのだと思います。

 この生計を基礎として、国東半島が絶好の宗教修行地になっていったのでしょう。

 四方に広がった丘を横切るよりは、谷沿いに海に向かって交通し合うことによって修行僧の山籠もりと生活が可能になったのではないかと思われます。

 この生業の基礎には何があったのか?

 国東に来てから、地域の事情を見聞しながら、この根本問題を探索してみようと思うようになりました。

 それは、「国東の豊かさとは何か?」を考究することでもありました。

 そして、その探究において辿り着いたのが「森と水の豊かさ」でした。

 この豊かさによって、山の幸、平地の幸、海の幸がもたらされていることを認識することができました。

 しいたけ、米、野菜、魚など、これらの食物は、それらを摂取することによって直接確かめることができますので、それらを通して、この探究が実証されていきました。

 そんな探究の過程において、上記Mさん宅の訪問がなされ、次のお願いをいたしました。

 「お宅では、ボーリング水が汲み上げられているそうですが、それを飲ませていただけませんか」

 その水を一口試飲して驚きました。

ーーー 甘い、しかも柔らかい。これは、どこかで飲んだ水とよく似ている。どこで飲んだのか?

 過去に試飲してきた水の記憶を、しっかり探ってみました。

ーーー どうやら、竹田や阿蘇の水とはちがうようだ!香々地の水の口湧水や日出の山田湧水の味とも違う。

 こう思いながら、Mさん宅の地下水を飲み続けているうちに、はっとひらめきました。

 それは、両子山の麓にある走水観音湧水の味とよく似ていました。

 「よく似ている」、というよりも、その味は「そっくり」で同じといってよいものでした。

 「これは、走水よりもおいしいのではないですか?」

 隣で試飲していた相棒が、こういいました。

ーーー そうかもしれない。そこまではっきりということはできないと思いながらも、それを確かめてみよう。

 たしかに、柔らかくて甘い、このおいしい味が私の脳裏にしっかりと刻まれ、いまでもその時の印象が残っています。

 今、そのことを考察しますと、走水観音湧水と富来の地下水は同一の水系の水であり、その水質がよく似ていることにふしぎさはありません。

 この同一性は、次の推察を誘起させました。

 「単に、走水観音湧水がおいしいだけではない。その下流においてもおいしい水が流れて形成されているのだ!」

 むしろ、地下の滞水性岩盤層を時間をかけてゆっくり流れだすことによって、その涵養が進むこともありうることではないか。

 そういえば、国東市朝来の米がおいしいといわれ、それは水がおいしいからだと言い伝えられていることを聞き出し、その米を、同地区で開催されていた「桜まつり」において食べにいったことがありました。

 たしかに、その米はおいしく、それ以来、しばらくの間、その朝来の米を食べ続けていました。

 水がおいしいから、米や野菜がおいしくなる、そうであれば、富来をはじめ、国東半島の他の地域においても同じではないか。

 この問題意識を抱いて、私の国東半島における巡礼の旅が始まりました。

 かつて、著名な作家森村誠一が『高層の死角』でデビューして6年目の脂の乗ったころに、国東半島を主題にした小説『暗渠の巡礼(後に「指名手配」と改名されて再出版』がありました。

 この小説の世界は、暗い暗渠のなかでしたが、私の水巡礼は、南国の陽光と緑豊かな森に接しながらの旅になりました。

 しかも、その旅は、単に行き来を行うものではなく、地域の人々とのダイナミックな交流を伴うものとなりました。

 国東半島におけるゆかいな「おいしい水巡礼」、これからもしばらく続いていく予定です(つづく)。 

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                  岩戸寺の仁王像(日本最古)