今週の日曜日、杵築市大田村を訪ねることができました。
前者は、わが国の三大「どぶろく祭り」のひとつが開催されていますので、毎年10月17~18日には、全国から多くのみなさんが集まって、どぶろくを嗜みます。
これは、おいしいお米と水があるからで、豊かでおいしい水処を表す象徴的なイベントではないかと思われます。
この白髭田原神社の近くに、目当ての清水寺がありました。
案内していただいたS先生が住職と知り合いだそうで紹介していただき、清水寺の霊水について詳しい説明を受けました。
湧水量はわずかですが、このようにいつも湧き出しているのだそうです。
さて、この湧水のそばで、住職からおもしろい話を聞きました。
この地域一帯は、昔から龍が棲んでいるといわれ、それが龍神様として祀られてきているそうです。
この話がおもしろいのは、龍の身体を分けて、それぞれの場所で龍頭、龍の胴などが置かれていることでした。
この清水寺は龍の頭の部分が割り当てられていて、確かに龍頭の部分が写真の左側に置かれていました。
龍神様の龍頭を通して、この湧水が流出しているように見えます。
また、その奥には石造りの観音様があり、龍に乗った観音様が霊水として表現されていました。
早速、この水を飲んでみて、おやっと思いました。
ーーー これは、何であろうか?これまで飲んできた国東半島の水と香りが違う。
未経験の味に戸惑いながら、二度三度と試飲を続けることで、徐々にこの霊水の味を認識できるようになりました。
その味は、次の2段階に分かれていました。
①すぐに、植物由来のような香りが出てくる。これは、今まで飲んだことがない独特の味であり、嫌味ではない、むしろここちよさを覚える。
②次に出てくるのがほのかな甘さであり、水が舌により浸透することによって生まれる味覚であろう。
これらが合さることによって、名水としての認識が可能になったのでしょう。
飲み終えた印象は、大変ピュアな水で、まさに「霊水」としての感覚もありました。
この霊水の味について住職と意見交換をしている際に、もう一つおもしろいエピソードの紹介がありました。
それは、上図の写真にある石の水路がいつ設置されたかということでした。
かつてテレビ局から取材を受けたときに、この水路の支えの部分のコケを剥いでみたそうです。
そしたら、そこに天保六年と刻まれていたそうです。
この年は西暦で1835年に相当し、坂本龍馬が生まれた年です。
おそらく、水路の上部に置かれた龍頭も、その時に設置されたのではないでしょうか。
周知のように龍馬が生まれたのは土佐であり、この土佐弁と大分北部の言葉がよく似ています。
これは、何らかの文化的な繋がりがあることを示していますので、単なる偶然の一致ではないように思われますが、どうでしょうか?
この住職さんとの話で、私が興味を覚えたのは、年中、この湧水量が変わらない、そして夏は冷たく、冬は暖かいことでした。
この湧水場所を見上げると、すぐ空が見えましたので、ここは山というより、小さな丘といった方がよく、この小さな丘からどうして年中不変の湧水が修験しているのか、これはとてもふしぎな現象でした。
ーーー 背後に、このような小さな丘しかない湧水を見たことがない、なぜであろうか?
富士山や阿蘇山からの湧水は長い距離を通じて流出してくるので、背後に山や丘がない場所もあるが、ここはそれらの事情と異なって、高さ10m程度の丘からの湧水であり、この「謎解き」はおもしろい宿題をいただいたと思いました。
竜頭の清水寺霊水、またひとつ大変ユニークな水と出会うことができゆかいになりました(つづく)。
その第1の目的は、ここに住むS先生宅においてお風呂場を視察することにありました。
先生が「光マイクロバブルB2」装置の導入を検討されており、その際の設置方法を検討する必要があったからでした。
昔風の大きな家で、部屋が7つもあると仰られていました。
このお風呂場の視察を終えて、しばらく先生と歓談して、大田村の水の話になりました。
ここには、白髭神社(正式には「白髭田原神社」)の「どぶろく祭り」や清水寺(せいすいじ)の霊水があり、水が豊かであることが私の興味を駆り立てていました。
前者は、わが国の三大「どぶろく祭り」のひとつが開催されていますので、毎年10月17~18日には、全国から多くのみなさんが集まって、どぶろくを嗜みます。
これは、おいしいお米と水があるからで、豊かでおいしい水処を表す象徴的なイベントではないかと思われます。
この白髭田原神社の近くに、目当ての清水寺がありました。
案内していただいたS先生が住職と知り合いだそうで紹介していただき、清水寺の霊水について詳しい説明を受けました。
この霊水は、1986年に「豊の国名水15」に選ばれており、国東半島では唯一のものとして知られていましたので、かねてから、ぜひとも訪ねてみたいところでした。
ここは年中一定の湧水があり、決して途絶えることがないそうで、近所の子供たちが飲みに来て「甘い」といって喜ばれているとのことでした。
湧水量はわずかですが、このようにいつも湧き出しているのだそうです。
さて、この湧水のそばで、住職からおもしろい話を聞きました。
この地域一帯は、昔から龍が棲んでいるといわれ、それが龍神様として祀られてきているそうです。
この話がおもしろいのは、龍の身体を分けて、それぞれの場所で龍頭、龍の胴などが置かれていることでした。
この清水寺は龍の頭の部分が割り当てられていて、確かに龍頭の部分が写真の左側に置かれていました。
龍神様の龍頭を通して、この湧水が流出しているように見えます。
また、その奥には石造りの観音様があり、龍に乗った観音様が霊水として表現されていました。
早速、この水を飲んでみて、おやっと思いました。
ーーー これは、何であろうか?これまで飲んできた国東半島の水と香りが違う。
未経験の味に戸惑いながら、二度三度と試飲を続けることで、徐々にこの霊水の味を認識できるようになりました。
その味は、次の2段階に分かれていました。
①すぐに、植物由来のような香りが出てくる。これは、今まで飲んだことがない独特の味であり、嫌味ではない、むしろここちよさを覚える。
②次に出てくるのがほのかな甘さであり、水が舌により浸透することによって生まれる味覚であろう。
これらが合さることによって、名水としての認識が可能になったのでしょう。
飲み終えた印象は、大変ピュアな水で、まさに「霊水」としての感覚もありました。
この霊水の味について住職と意見交換をしている際に、もう一つおもしろいエピソードの紹介がありました。
それは、上図の写真にある石の水路がいつ設置されたかということでした。
かつてテレビ局から取材を受けたときに、この水路の支えの部分のコケを剥いでみたそうです。
そしたら、そこに天保六年と刻まれていたそうです。
この年は西暦で1835年に相当し、坂本龍馬が生まれた年です。
おそらく、水路の上部に置かれた龍頭も、その時に設置されたのではないでしょうか。
周知のように龍馬が生まれたのは土佐であり、この土佐弁と大分北部の言葉がよく似ています。
これは、何らかの文化的な繋がりがあることを示していますので、単なる偶然の一致ではないように思われますが、どうでしょうか?
この住職さんとの話で、私が興味を覚えたのは、年中、この湧水量が変わらない、そして夏は冷たく、冬は暖かいことでした。
この湧水場所を見上げると、すぐ空が見えましたので、ここは山というより、小さな丘といった方がよく、この小さな丘からどうして年中不変の湧水が修験しているのか、これはとてもふしぎな現象でした。
ーーー 背後に、このような小さな丘しかない湧水を見たことがない、なぜであろうか?
富士山や阿蘇山からの湧水は長い距離を通じて流出してくるので、背後に山や丘がない場所もあるが、ここはそれらの事情と異なって、高さ10m程度の丘からの湧水であり、この「謎解き」はおもしろい宿題をいただいたと思いました。
竜頭の清水寺霊水、またひとつ大変ユニークな水と出会うことができゆかいになりました(つづく)。
清水寺霊水
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