私は、地方大学の工学部の学生と高専生の比較に関心を持つようになり、それを詳しく調べるようになりました。

 近隣の大学の工学部や理学部とは共同研究を行っていましたので、そのなかで直接的に大学の4年生と高専5年生の研究発表の場があり、そこで比較を行うことができました。

 また、ある教育認定においては、高専、九州地区の国立の地方大学、近畿の公立大学、東北の私立大学などにおいて、その審査の過程で教育成果の実態を調べることも可能になりました。

 それぞれにおいて個々の微妙な違いはありましたが、決定的には、学習総時間において、高専では2400時間前後、大学では1800時間と大きな違いがあったことでした。

 また、大学においては、その教育の重点が大学院生を軸として行われていて、大学の4年生は、その前半において就職活動に多くの時間を費やし、本格的な卒業研究は、実質的に後期になってからの半年間で行われていました。

 これに対し、高専では丸1年間の卒業研究期間が確保されていましたので、ここで小さくない教育成果の違いが現れていました。

 高専において積極的な成果を出しているところと、大学の大学院生における教育成果がよく似ている、これが私の受けた顕著な印象でした。

 この学習総時間の相違は、高専生の4、5年において大きく、専攻科生においては、大学の3、4年生との違いはほとんどありませんでした。

 ですから、高専の方では、より積極的に教育成果をあげようと努力すればするほど、同年齢の大学生における教育成果の違いがより顕著になっていったのだと思います。

 さらに大学院生まで含めて考えると、その学会発表においては修士課程の2年間において1度程度の発表がなされているのに対し、高専の5年生と専攻科生の3年間において、より積極的なところでは3年間で2~3回の学会発表がなされている事例も少なくありませんでした。

 かつては高専生が学会発表を行うことは、ほとんど存在していませんでしたが、それがより普通になってきたのは、その高専において教育成果の向上がなされてきた証拠の一つということができるでしょう。

 このような状況に対応して、日本高専学会は、私の会長の時に「専攻科論文賞」という表彰制度を発足させました(その後、『研究奨励賞』という改名がなされています)。

 この審査過程において、高専の専攻科生が素晴らしい学会活動をしていたことがより明瞭になりました。

 これらには、国立大学工学部の修士課程の2年生にも相当する実績が示されていて、ここでも高専専攻科生の注目すべき教育成果が現れていました。

 このように、高専生と専攻科生における教育成果は、質的には大学と同様の水準に到達しており、場合によっては2年の年齢差を感じさせないほどになっていたのです。

 これは、高専側において、より熱心に、そしてより積極的に教育に取り組まれてきたからであり、その成果と実績が大学を追い越し、凌ぐ領域にまで到達しようとしているのだと推察しています。

 このような高専における教育成果と実績をより豊かに発展させ、その長所をより一層伸長させていくことが、私たちの考えた「高専大学構想」の中身だったわけで、それが、この25年余においてより明確になってきたのです。


 この高専と高専生の長所は、外部の地域のみなさんからも小さくない評価を得るようになり、それは、実質的に「高専を高専として見る」というかつての見方ではない、「高専を大学とみなす」という観方に変わってきていることを示唆しているのです。

 「地域からは、大学と同等の機関として高専が観られるようになっている」

 これが率直な「高専観」ではないでしょうか。

 それ故に、国家戦略会議や自民党の製作において、高専の役割や高専化の方針が出されるようになってきたのではないかと思われます。

 この高専の発展は、ここで終わり、あるいは停滞するというわけではありません。

 これからも持続的に発展を遂げていく可能性を大いに有していますので、むしろ時代に呼応していくものではないかと思っています。

 次回は、その高専大学の可能性についてより深く分け入ることにしましょう(つづく)


kiirotiisaihana 小さな黄色い花