10月も下旬、過ぎ去る時間は速いものですね。

 月末になってしまわぬうちに、ブログガイダンスを認めるこにしました。

 最初は、新たにスタートした「マイクロバブル洗浄における誤謬とトリックについて」からです。

 おかげさまで出だしは好調のようで、その反響が別便にて寄せられ始めています。

 この執筆における直接のきっかけは、初回の記事において紹介したように、地元の銀行の支店長さんが心配されて日経新聞の一面広告を持ってきてくださったことにありました。

 すでに、各方面の方々から、この記事に書かれている内容に関して疑問や問い合わせがきていましたので、この記事を拝見したときに、その執筆を決めることになりました。

 この広告内容に関することは、かなり前から、それに関係する実験や体験をしていましたので、それらを思い出して整理し、どこに、その問題の本質があるのかを究明することにしました。

 私は、マイクロバブル技術(最近は、それを『光マイクロバブル技術』と呼んでいます)の創始者であり、そのことは多くのみなさんによって認知されています。

 その創始者としての責任を次のように考えています。

 ①マイクロバブル(光マイクロバブル)技術を正しく発展させることによって、それを国民生活と産業に生かす。

 ②わが国発のオリジナル技術として国内外に普及させる。

 ③マイクロバブルあるいは光マイクロバブルに関する似非科学や技術が出現し、それが社会的混乱を与え始めた際には、その似非科学および似非技術を究明する。

   この③の問題は、①と②に小さくない影響を与え、そして何よりも、その社会的混乱によって多くの人々に小さくない問題をもたらしますので看過できません。

 あるとき、長野県の小さな和風旅館の食堂において、そこで働いていた女性が、私に嬉しそうに、このように話しかけてこられました。

 「私も、マイクロバブルのシャワーを買い、使っています」

 どうやら、「マイクロバブル」ということで、それを私が造ったと思われて購入されたようでした。

 そして、その購入価格を教えていただき、それが私とは関係ないものであることを知りました。

 しかし、むげに「それが偽物だ」というわけにもいかず、少々返答に困ってしまいました。

 ある高専の校長だった方の場合は、これも「マイクロバブル」だと書かれていたので、同じく、私が開発した商品だと思われてシャワー装置を購入されたそうで、その後に私のところに連絡が入りました。

 「それは、私が開発したシャワー装置ではありません」

 こういうと、その方は、とても落胆されていました。

 この類の話は、個人の方だけでなく企業においても山ほどあり、それを逐一紹介すると膨大な量になりますので、ここでは、その2、3について触れておきましょう。

 1)1個200万円の装置を購入させられて、それがちっとも効果的でないので困って相談に来られたある大手電機メーカー、結局、その1/20程度の価格で私どもの装置を再購入されました。

 2)1機600万円という請求を受け、それでも購入を希望していた水産業者がいましたが、そのうち、その販売業者が理由も言わずに「売れない」といってきて困り果てて近隣の高専に相談したところ私どものところに相談に行けといわれたそうです。

 結局、この業者は、1機あたりに換算すると1/100以下の価格で、はるかに強力な装置を購入することができました。

 3)あるとき、子供さんでしょうか、マイクロバブルのお風呂の装置を買ったといって連絡がありました。良く聞いてみると、それは加圧溶解式の装置だそうで、その価格は約50万円もしたそうです。


 とてもうれしそうにされていましたので、「その装置では、何も起こりませんよ」ということができませんでした。

 この会話で、私自身も少々傷ついてしまいました。

 なぜ、このように破格の対応になるのか、それは、上記の①と②の使命と責任を心に命じているからであり、それがスタンダードになってからでもあります。

 これらには、必然的に「似非科学」の装飾がなされていて、それによって価格のつり上げがなされています。

 その結果として、「まがい物」が横行するようになり、似非科学がますます蔓延るようになりました。

 この氾濫は、一定の範囲で社会的混乱をもたらすという否定的側面を有する一方で、その氾濫のなかでは、本物が際立って見えてくるようになるという肯定的側面も有しています。

 周知のように現代技術は激烈な競争下に置かれていることを常としていますので、似非か本物かも、この競争の中で淘汰されていきますので、このフェアな競争こそが重要でおもしろいのではないかと思っています。

 この観点から、本記事は、あえて記念シリーズものとはせずに、かなりの長期物として継続させていくことになりますので、読者のみなさまもよろしくご理解ください。

 第二に、3700回記念の「おもしろくゆかいに光マイクロバブル」について言及しておきます。

 これは、文字通りに、いかに「おもしろくゆかいな」ことを創り出し、披露するかという意図のもとで企画されたシリーズです。

 おかげさまで順調に回を重ねてきましたが、その「おもしろくてゆかいなこと」を生み出す主役は人であり、それらの方々を軸とした内容が多くなってきました。

 最近は、私どものところを訪れる方々が増えてきましたので、その反映が、この記事においても出現しているのだと思います。

 世間では、「製造業がなくなる」、「銀行がなくなる」、「コンビニがなくなる」など、真に恐ろしいことが平気で真しやかにいわれるようになってきました。

 これは、高杉晋作が感じた「おもしろきことなき世のなか」がますます蔓延っていることを示唆していますので、こんな世の中だからこそ、高杉がいうように「おもしろい」ことを創り出し、みんながゆかいになることを増やしていく必要があります。

 人が集まるところに「おもしろさ」がある、そのおもしろさを増幅させることで「ゆかいになる」、これからも、この軌跡を伸ばしていくことにしましょう。

 第三は、同じく記念シリーズ「地域に根ざす光マイクロバブル(3750回記念)」についてです。

 
この開始にあたり、地元での2つの取り組みを主題にしました。

 これらは、地域のニーズに応え、そこで発生している問題を解決するなかで、新たな発展方向を明らかにすることを基本としています。

 もちろん、そのニーズは個別的であり、どうしようもない、すなわち簡単には解決できないものとして受け留められていました。

 この問題を、どう解決するのか、そこに光マイクロバブルという新技術を適用するとどうなるのか、これが、そこに根ざすことができるかどうかの重要問題でした。

 これによって、小さくない問題だったことが大きく改善された場合には、それが当事者にとっても解りやすく、私どもが、なぜ上手く問題解決できたかを考察することにおいて非常に役立つことになります。

 そして、その考察を通じて、決して個別問題に留まらない、普遍的な課題解決の問題がより明らかになってくることにも小さくない意味が出てくるのです。

 こうなってくると、小さな個別のニーズが、より大きく強固になり、そこに普遍的要素が観えてくるようになります。

 この普遍性には水平方向の広さと垂直方向の深さがあり、このニーズから重層的な本質を探し出すことができます。

 もう一方の菓子作りの方は、その作用効果が比較的わかりにくいことから、その当事者の判断も揺れています。

 ここに当事者以外の評価が加わると、その動揺がますます大きくなります。

 厄介なのは、それを目でみて判断することができず、ヒトの味で評価していきますので、それがヒトによってかなり違う因子が入り込むことになります。

 ヒトの舌が感じる味は、非常に微妙なものまで区別することができますので、その際の攪乱因子を排除しながら、どこに優位性や新規性があるのかを、その都度判断していく必要があります。

 しかし、一方において当事者には、その迷いのなかで何とか突き抜けたいというブレイクスルーに寄せる思いも湧いてきますので、今が頑張り時、正念場ですよと励まし続けています。

 わずかな改良の積み重ねが、最後には大きな違いになり、その時にブレイクスルーに気づく、このようなパターンになるのではないかと予想しています。

 これらのような事例に遭遇しますと、「地域に根ざす」ことは容易なことではなく奥深い課題であるとしみじみ感じています。

 その他の記事についても、そのガイダンスを行う予定でしたが、紙数もかなりの量になりましたので、今回は、この辺で筆をおくことにしましょう(
つづく)。

hoto-6
ほととぎす