1994年に発表された『私たちの高専改革プラン』において示された第3の提言であった「高専大学構想」は、今尚色あせない画期的なものでした。

 わかりやすくいえば、「高専の長所を最高度に生かした大学」のことであり、これを発展させることがますます重要になってきています。

 25年前の当時においては、この高専の長所を生かした大学化の具体的内容を明瞭に描くことができませんでしたが、この25年を経て、その先見性と正当性は、誰の目にも明らかになってきました。

 その理由の第一は、専攻科生自身が、その正当性を実践的に実証し続けたことです。

 専攻科設置の際に定められた各専攻の定員は4名でした。

 それは、本科の定員40名に比してわずかに1/10、地方大学の工学部の学科の定員50名に対しては1/12にすぎませんでした。

 おそらく、大学ではない高専の専攻科の定員は、この程度でよかろう、それに、専攻科の定員は1割程度が適当、という、さして根拠のない配慮がなされたのでしょう。

 高専における専攻科設置の経緯については繰り返し述べてきたように、二人の文部大臣が二度にわたって記者会見を行って「高専を専科大学に変える」ことを宣言したにもかかわらず、それがとん挫して、批判を受けた代償として出された、いわば「苦肉の策」だったという側面を有していました。

 華々しかった「専科大学」構想と比較すれば、専攻科構想は、きわめて控えめであり、その「穴埋め」として出された方針でした。

 それ故に、どのような専攻科構想にするかは、その方針が定められた後から検討するというちぐはぐな経緯を辿ったという、通常ではありえないことが起きたのでした。

 すなわち、専攻科で何をするかを検討することなしに、専攻科設置の方針が決まり、いわば後付けで、その教育の目標や内容が決められていったという、どさくさぶりだったのです。

 このような対応は、当然のことながら批判を浴びることになりましたが、一方で、当事者の側においては、それを自分で考えようという自立意識を生み出すことにもなりました。

 また、この批判の一部には、その専横なやり方に対して反発し、「そんな専攻科は不要である」という声もありました。

 このなかで、ある高専の調査結果が非常に重要な意味と影響を与えることになりました。

 それは、在校生とその保護者に対して「専攻科が必要かどうか、それが設置された場合には専攻科に進学する希望はあるか」などを問うアンケートでした。

 結果は、高専生と保護者の圧倒的多数が専攻科設置を希望し、かなりの数の学生が専攻科への進学の意思があることを示していました。

 高専の制度の関係する事項において、高専生と保護者に意見を聞いたことは、高専史上初めての画期的な出来事であり、これが、その後に次のような重要な影響を与えたのでした。

 ①専攻科設置を希望している高専の校長やスタッフ、教職員に対して励ましの風を吹かせ、それが強力な追い風になった。

 ②高専専攻科不要論の方々に、この結果を報告すると、かれらは何も言えなくなって黙ってしまった。


 さすがに、高専生や保護者の意見に逆らって、その不要論を吹聴することはできなかったのです。

 この結果は、当時の文部省にも影響を与え、それ以降の専攻科設置の申請を行う高専に対しては、必ず高専生と保護者の意見を調査するように指示するようにまでなったのです。

 これは、何事も自分で決めると思って専横してきた「校長先決主義」が、その一部においてもろくも崩れ去った現象を意味していました。

 「専横は、このようにして崩れていくのか!」

 今思えば、「よい勉強をした」ことになりますね。

 さて、一割の定員4名でスタートした専攻科は、その後どのように発展していったのでしょうか。

 前記事に示したように、昨年の専攻科生の修了生は1550名でした。

 全国の高専数は57校ですので、1校あたらいは、約27名になります。

 一校あたりの専攻科専攻数を3とすると、1専攻あたりは9名になります。

 定員は4名ですので、その2倍を超えています。

 すなわち、人員においては十分に充足しているのです。

 聞くところによれば、地方の私立大学や短大では、定員に満たない学科が数多くあるそうですが、その事情とは大きく異なって定員の2倍以上を確保していることは、きわめて珍しく優秀だといってよいのではないでしょうか。

 なぜ、このような充足がなされるのか?

 高専の関係者のみなさん、とくに校長や高専機構の理事長さんは、その理由を考察されたことがあるでしょうか?

 その最大の理由は、きちんと「質」が確保されていることにあります。

 私は、T高専時代に、高専生の学習到達目標の達成度が、大学生のそれとの間において、どの程度の相対的な関係にあるかに関心を持って研究したことがありました。

 その比較を行うために、地方の国立大学との共同研究を行いながら、それに参加している大学生の様子を観察しました。

 また、ある教育認定における責任者や審査員を務めることができ、地方の国立大学や私立大学、高専の教育内容や成果を詳しく調べることができました。

 次回は、その内容に深く分け入ることにしましょう(つづく)


hotaru-7

 まだ咲いていた蛍草