先日、東京の芸術大学を卒業された方々が訪問されました。

 なかなかユニークな活動をなされていると聞かされていましたので、事前に、その方が書かれたレポートを読んでみました。

 その主張は、今後の日本社会を「総合芸術の国にしよう」というものでした。

 このレポートのなかで、その意味と内容が詳しく考察されてしましたが、いくつものおもしろい指摘がなされていました。

 そのひとつは、総合芸術の国をめざしたのは、このSさんではなく現在のパナソニックを創設された松下幸之助であったことが紹介されていたことでした。

 松下幸之助の「総合芸術」とは何か。

 その命題を自ら実現されようとしているSさんの姿や発言には、高杉晋作のような輝きがありました。

 かれには、利発な鋭い直観があり、それが言動によく現れていましたが、それに似たものがSさんにも垣間見えていました。

 このような方々が、これからの日本を背負っていくのであろうか。

 独立心が旺盛で、寄らば大樹の下で活躍しようという、かつての大企業に入って事を為そうとした若者とは本質的に違う特徴があるような気がしました。

 司馬遼太郎は、高杉晋作の人格形成において決定的に重要な影響を与えた原因を、自著『棲みなす日日』において、次のように述べています。

 ①吉田松陰に会い、世の中を知ることの大切さを学んだことでした。松下村塾には、久坂玄瑞など優れた門下生がいて、かれらがずっと先を行っていることを恥じた。

 ②幕府の命を受けて上海視察を行い、そこで外国の技術に啓発された。

 かれは、上海に進出していた欧米諸国の源に、優れた技術(軍事技術と機械工学)があると察し、その勉強を熱心にした。

 ③反政府勢力であった「義和団」に接し、女性や子供までもが、その反政府運動に参加していることに驚き、感化された。


 これらは、いずれも常識を根本的に覆す、いわば、かれにとっての「革命的出来事」だったのです。

 どこか、この高杉の言動によく似ているように感じたSさんの名前は、高杉に因んで付けられていました。

 また、その息子さんにも、高杉由来の命名がなされていました。

 そのかれの卒業作品をネット上で拝見しました。

 彫刻が専門と聞いていましたので、ミケランジェロやロダンの作品を想像していましたが、それはまるで違っていました。

 なんとそれは、影が主役の造形物であり、光の変化によって影を造り出し、それが時々刻々と動いていました。

 「これが、現代彫刻なのか!」

 まるで、頭を叩かれた気分でした。

 この作品は、首席卒業作品となり、出身大学によって買い取られたそうで、末永く大学によって保管・展示されるそうです。

 この作品を創り上げたかれの芸術思想が、さらに発展し、松下幸之助の「総合芸術」へと進化していったようです。

 これらに触れ、直にかれと話し合ってみて、私は、次のような時代が来ていることを悟りました。

 「技術イノベーションから経済イノベーションへ、そして今や社会イノベーションへとダイナミックに向かう時代が到来し始めている。
 
 より速く、より複雑に、より広く、大規模に、そして劇的に世の中が変化している。

 これは単なる技術イノベーションを望む時代ではない。

 そして、このダイナミックに変化している世の中を変革することは容易ではない。

 むしろ、そのヒントは、社会そのものを変えていくイノベーションのなかに潜んでいるのではなだろうか。

 壮大な、そして持続していく社会イノベーションのなかにその鍵があるのではないか。

 かれらは、そのイノベーションそのものを相手にしているのではないか。

 単なる技術イノベーションだけではない、そこに芸術も思想も息づいていく豊かな人間性そのものが沸き立つもの、それが総合芸術の考え方かもしれない。

 松下幸之助が唱えたことの本質は、ここにあったのではないか?」


 こう考えていきますと、それはなかなか容易ではない、かなり困難なことのように思われます。

 しかし、意外に思われるかもしれませんが、私はかなり楽観的です。

 あれこれ考えるよりも先に、実践的に先例が出てきて、それが連鎖反応していくのではないかと思っているからです。

 それ故に、その指向に基づく大胆で緻密な実践こそが何よりも重要であり、かつての吉田松陰や高杉晋作のように、それを迸る熱意で実践的に乗り越えていこうとするのではないかと思われます。

 そのために、ますます、この世のなかを、「高杉流」におもしろく豊かにしていく必要があります。

 おもしろきことなき世のなかで、おもしろきことをなすことができる「おもしろさ」にこそ、「重要な何か」を見出す鍵とヒントが潜んでいるのではないでしょうか。

 二人の芸術大学を卒業された若手の訪問、これは、私にとってとても刺激的で、ゆかいなものとなりました。

 若い清廉な血液が体内に注がれ、新たな想いを沸き立たせたのではないかと思いました。

 21世紀初頭の新たな時代にふさわしい「酒」には、「新たな若い革袋」が必要なのではないか。

 そのことを、しっかり学ぶことができました(つづく)。

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チェリーセージが花盛り