前回、前々回の記事において、この四半世紀における高専の諸々の発展は注目に値することであることを指摘しました。
また、高専が、質的にも量的にもわが国を代表する技術者教育機関になっていく「必要条件」とその可能性についても言及しました。
これらを踏まえ、今回は、より深い本質的な考察を試みることにしましょう。
周知のように、全国の高専のすべてにおいて専攻科の設置が完了しました。
この完了は何を意味するのでしょうか?
修了した専攻科生は、学士として日本技術者教育認定機構(JABEE)から認定され、文字通り大学生と同等の資格を有することが社会的に認められました。
私は、土木学会における土木教育委員会において、この認定に関する課題に取り組んできました。
ある高専において、その模擬認定に委員として参加したことがありました。
その時の審査長と、その現場で高専の話をしていたら、いきなり次のようにいわれて吃驚しました。
「高専は、JBEE審査が必要ではないのではないですか?」
かれの主張は、JABEE審査は大学だけを対象にすればよいということのようでした。
もちろん、かれは大学から選出された審査長でしたので、本音がポロリと出たのでしょうか。
真剣に私に、そのような意見を吐露されましたので、私は吃驚仰天するとともに、「そうか、高専を、そのように見ておられたのか」と深く認識させられました。
この時以来、高専自らが、高専教育の長所を明らかにし、より一層アピールできるようにしなければならないと思いました。
もともと、古くから高専は、大学側から不当に低く見られていました。
その典型は、高専生が大学の編入学試験に合格して大学に進学する場合に、次のような措置がなされていたことにありました。
①ある大学では、編入試験で合格した高専生を、大学の3年生ではなく2年生に編入させた。
②3年生に編入させた大学でも、その単位認定においてはかなりの制限があり、高専生は、その不認定単位を再履修しなければならなかった。
③その単位の再履修において、教養部と専門学部が離れている場合には、その2つの場所に通い続けるという困難を背負った。
このように扱いを受けていた高専と高専生は、この不平等をぐっと我慢して、それらを粘り強く克服していきました。
その克服の原動力になったのは、大学に編入学した高専生が、まじめによく勉強し、ほとんどの大学において成績のトップスリーを占めるようになったからでした。
卒業研究における真摯で器用な研究ぶりが大学教員を唸らせました。
これは大学の先生方にとっては大きな驚きであり、上述の不平等をそのままにしていては恥ずかしいという思いを出させたのだと思います。
2年編入が3年編入に変わり、しかもほとんどの単位を認定するようになり、最後には、試験をせずに面接試験だけで合格させるという大学が増えていったのです。
ある高専では、勉強しない成績最下位近くで大学進学を希望している学生に対して、
「勉強をしないと大学に合格しないぞ!」
といったら、次のようにかれは返答したそうで、これが高専教員間でちょっとしたエピソードとして知れ渡ることになりました。
「大丈夫です。私は必ず合格しますので心配しないでください」
こういって、この成績最下位近くの学生は、志望する大学に難なく合格していきました。
また、ある高専の機械工学科クラスでは、一人を除いて全員が大学に編入学するという事例も生まれました。
このように、高専と大学の関係は学生において大きな質的転換がなされてきましたが、大学教員のなかには、上記のような高専観が未だ残存していたのでしょう。
幸いなことに、そのような高専観を有していた方が、大学の学士と同等であるという認定作業に加わったのですから、その方は、高専に関するよい勉強をなされたのではないかと思われます。
さて、高専における専攻科卒業生の数は約1550人、高専本科の卒業学生数は9300人であり、その占める割合は16.7%です。
これでは、日本全体の技術者輩出数と比較するとまだまだ少数派でしかなく、高専卒業生は1/50、専攻科修了生は約1/300にすぎません。
この規模では、高専とその専攻科が、わが国を代表する技術者教育機関になっていくには、その数において圧倒的に不足していることは、だれの目にも明らかなことです。
しかし、この少数の問題は、そんなに心配する必要はありません。
物事は常に少数派から始まり、それが発展して多数を占めるようになっていくのです。
これを「質から量への転換」といい、これを成し遂げることができるかどうかが、最初の重要な課題といえます。
それでは、その転換の要となる「質」の方はどうでしょうか?
大学や企業への就職、進学後の活躍、現役高専生の学会発表、ロボコン、プロコン、デザコンでの専門性の発揮、求人倍率など、これらを考慮すれば、高専生の質は、相当に向上していて、その実績もかなり蓄積されてきているといってよいでしょう。
これらは、高専生と高専教職員における真摯な努力の成果であり、ここに、その転換を成し遂げる原動力があるのではないでしょうか。
問題は、この高専において築かれてきた長所を、さらにどう発展させながら、持続的成長を遂げていくかにあります。
そのためには、将来におけるビジョンをより鮮明にして、それを高専生と高専教職員が深く理解し、その実現に粘り強く努めることが何よりも重要です。
その必要条件を示します。
①高専には質的にも量的にもわが国を代表する技術者教育機関になっていく可能性があり、その実現をめざす。
②時代に則した新たな教育目標を持つことが重要であり、現在の創造的技術者論、あるいは創造性豊かな実践的技術者論はより止揚されるべきであるように思われる。
③我が国の製造業の中心を担うトップたちが「製造業がなくなる」という時代を迎え、それに従うのか、それともそれに抗して自らが製造業の再生と持続的発展を担うのかが鋭く問われるようになってきており、高専の教育は、そのどちらを選択していくのかも直に問われるようになっている。
④地位に根ざした高専づくり、地域に根ざした技術づくり、地域に根ざした人づくりによって、これまでの縦型ではない、横型の連携による自律的活動を遂行できるようになる。
⑤地域や地域の人々が困っているニーズを探し出し、その困難を解決できる技術と商品を開発できるノウハウを見出し、その技術イノベーションを経済イノベーションへ、さらには社会イノベーションへと持続的に発展させる技術者としての本懐を修練する。
これらの必要条件を「十分条件」へと転化させていくには、いったい何が必要なのでしょうか?
また、高専が、質的にも量的にもわが国を代表する技術者教育機関になっていく「必要条件」とその可能性についても言及しました。
これらを踏まえ、今回は、より深い本質的な考察を試みることにしましょう。
周知のように、全国の高専のすべてにおいて専攻科の設置が完了しました。
この完了は何を意味するのでしょうか?
修了した専攻科生は、学士として日本技術者教育認定機構(JABEE)から認定され、文字通り大学生と同等の資格を有することが社会的に認められました。
私は、土木学会における土木教育委員会において、この認定に関する課題に取り組んできました。
ある高専において、その模擬認定に委員として参加したことがありました。
その時の審査長と、その現場で高専の話をしていたら、いきなり次のようにいわれて吃驚しました。
「高専は、JBEE審査が必要ではないのではないですか?」
かれの主張は、JABEE審査は大学だけを対象にすればよいということのようでした。
もちろん、かれは大学から選出された審査長でしたので、本音がポロリと出たのでしょうか。
真剣に私に、そのような意見を吐露されましたので、私は吃驚仰天するとともに、「そうか、高専を、そのように見ておられたのか」と深く認識させられました。
この時以来、高専自らが、高専教育の長所を明らかにし、より一層アピールできるようにしなければならないと思いました。
もともと、古くから高専は、大学側から不当に低く見られていました。
その典型は、高専生が大学の編入学試験に合格して大学に進学する場合に、次のような措置がなされていたことにありました。
①ある大学では、編入試験で合格した高専生を、大学の3年生ではなく2年生に編入させた。
②3年生に編入させた大学でも、その単位認定においてはかなりの制限があり、高専生は、その不認定単位を再履修しなければならなかった。
③その単位の再履修において、教養部と専門学部が離れている場合には、その2つの場所に通い続けるという困難を背負った。
このように扱いを受けていた高専と高専生は、この不平等をぐっと我慢して、それらを粘り強く克服していきました。
その克服の原動力になったのは、大学に編入学した高専生が、まじめによく勉強し、ほとんどの大学において成績のトップスリーを占めるようになったからでした。
卒業研究における真摯で器用な研究ぶりが大学教員を唸らせました。
これは大学の先生方にとっては大きな驚きであり、上述の不平等をそのままにしていては恥ずかしいという思いを出させたのだと思います。
2年編入が3年編入に変わり、しかもほとんどの単位を認定するようになり、最後には、試験をせずに面接試験だけで合格させるという大学が増えていったのです。
ある高専では、勉強しない成績最下位近くで大学進学を希望している学生に対して、
「勉強をしないと大学に合格しないぞ!」
といったら、次のようにかれは返答したそうで、これが高専教員間でちょっとしたエピソードとして知れ渡ることになりました。
「大丈夫です。私は必ず合格しますので心配しないでください」
こういって、この成績最下位近くの学生は、志望する大学に難なく合格していきました。
また、ある高専の機械工学科クラスでは、一人を除いて全員が大学に編入学するという事例も生まれました。
このように、高専と大学の関係は学生において大きな質的転換がなされてきましたが、大学教員のなかには、上記のような高専観が未だ残存していたのでしょう。
幸いなことに、そのような高専観を有していた方が、大学の学士と同等であるという認定作業に加わったのですから、その方は、高専に関するよい勉強をなされたのではないかと思われます。
さて、高専における専攻科卒業生の数は約1550人、高専本科の卒業学生数は9300人であり、その占める割合は16.7%です。
これでは、日本全体の技術者輩出数と比較するとまだまだ少数派でしかなく、高専卒業生は1/50、専攻科修了生は約1/300にすぎません。
この規模では、高専とその専攻科が、わが国を代表する技術者教育機関になっていくには、その数において圧倒的に不足していることは、だれの目にも明らかなことです。
しかし、この少数の問題は、そんなに心配する必要はありません。
物事は常に少数派から始まり、それが発展して多数を占めるようになっていくのです。
これを「質から量への転換」といい、これを成し遂げることができるかどうかが、最初の重要な課題といえます。
それでは、その転換の要となる「質」の方はどうでしょうか?
大学や企業への就職、進学後の活躍、現役高専生の学会発表、ロボコン、プロコン、デザコンでの専門性の発揮、求人倍率など、これらを考慮すれば、高専生の質は、相当に向上していて、その実績もかなり蓄積されてきているといってよいでしょう。
これらは、高専生と高専教職員における真摯な努力の成果であり、ここに、その転換を成し遂げる原動力があるのではないでしょうか。
問題は、この高専において築かれてきた長所を、さらにどう発展させながら、持続的成長を遂げていくかにあります。
そのためには、将来におけるビジョンをより鮮明にして、それを高専生と高専教職員が深く理解し、その実現に粘り強く努めることが何よりも重要です。
その必要条件を示します。
①高専には質的にも量的にもわが国を代表する技術者教育機関になっていく可能性があり、その実現をめざす。
②時代に則した新たな教育目標を持つことが重要であり、現在の創造的技術者論、あるいは創造性豊かな実践的技術者論はより止揚されるべきであるように思われる。
③我が国の製造業の中心を担うトップたちが「製造業がなくなる」という時代を迎え、それに従うのか、それともそれに抗して自らが製造業の再生と持続的発展を担うのかが鋭く問われるようになってきており、高専の教育は、そのどちらを選択していくのかも直に問われるようになっている。
④地位に根ざした高専づくり、地域に根ざした技術づくり、地域に根ざした人づくりによって、これまでの縦型ではない、横型の連携による自律的活動を遂行できるようになる。
⑤地域や地域の人々が困っているニーズを探し出し、その困難を解決できる技術と商品を開発できるノウハウを見出し、その技術イノベーションを経済イノベーションへ、さらには社会イノベーションへと持続的に発展させる技術者としての本懐を修練する。
これらの必要条件を「十分条件」へと転化させていくには、いったい何が必要なのでしょうか?
その第1は、数年前に高専の将来に関する外部の有識者会議の結果によって示された「高専は、当面今のままでよい」という足かせを外す必要があることです。
同時に、第2に、高専の内部で高専の将来に関する徹底した論議を巻き起こし、集約していくことです。
その際に、次の視点を明確にし、それをたたき台として議論を洗練化を徹底していくことが大切です。
①高専の長所とは何かを詳しく明らかにし、それをどう発展させていくかを議論の中心にして、ここからぶれないようにする。
②その長所伸長を担う主役は高専生と専攻科生であり、それを育てるのは高専教職員であることを明確にし、かれらの意見に立脚した議論を行う。
③地域に根ざした高専生づくりをめざし、地域の保護者、市民、教育者を巻き込んだ議論を行い、地域における高専の役割、高専と地域の連携の在り方をとことん探究する。
これらの民主的論議と探究を徹底して行なうなかで、高専は必然的な発展を豊かに遂げていくでしょう。
その過程において、『私たちの改革プラン』が示した3つ目の提言である「高専大学構想」に関する議論が大いになされるはずです。
この「高専大学構想」は、高専の長所を最大限に生かした大学構想であり、単なる「大学化」ではありません。
当時、この「単純に高専を大学化してしまばよい」という意見と、「高専は今のままでよい、大学化してしまうと高専の良さが無くなってしまう」という意見が衝突しては並行したままで終わる現象が起きていました。
そこに分け入り、それでは、高専の良いところをすべて受け継ぎ、大学へと発展させることについてはどうか、という問題提起を行いました。
そしたらどうでしょう。
共に、「そうであれば問題ない」という賛同が寄せられ、その結論として「高専大学構想」が導かれたのでした。
その当時から約四半世紀の時が流れました。
次回は、この時の流れのなかで、それがどのように準備され孵化してきたかについてより深く分け入ることにしましょう(つづく)。
同時に、第2に、高専の内部で高専の将来に関する徹底した論議を巻き起こし、集約していくことです。
その際に、次の視点を明確にし、それをたたき台として議論を洗練化を徹底していくことが大切です。
①高専の長所とは何かを詳しく明らかにし、それをどう発展させていくかを議論の中心にして、ここからぶれないようにする。
②その長所伸長を担う主役は高専生と専攻科生であり、それを育てるのは高専教職員であることを明確にし、かれらの意見に立脚した議論を行う。
③地域に根ざした高専生づくりをめざし、地域の保護者、市民、教育者を巻き込んだ議論を行い、地域における高専の役割、高専と地域の連携の在り方をとことん探究する。
これらの民主的論議と探究を徹底して行なうなかで、高専は必然的な発展を豊かに遂げていくでしょう。
その過程において、『私たちの改革プラン』が示した3つ目の提言である「高専大学構想」に関する議論が大いになされるはずです。
この「高専大学構想」は、高専の長所を最大限に生かした大学構想であり、単なる「大学化」ではありません。
当時、この「単純に高専を大学化してしまばよい」という意見と、「高専は今のままでよい、大学化してしまうと高専の良さが無くなってしまう」という意見が衝突しては並行したままで終わる現象が起きていました。
そこに分け入り、それでは、高専の良いところをすべて受け継ぎ、大学へと発展させることについてはどうか、という問題提起を行いました。
そしたらどうでしょう。
共に、「そうであれば問題ない」という賛同が寄せられ、その結論として「高専大学構想」が導かれたのでした。
その当時から約四半世紀の時が流れました。
次回は、この時の流れのなかで、それがどのように準備され孵化してきたかについてより深く分け入ることにしましょう(つづく)。
コメント
コメント一覧