翌日のホテルアリタハウスの朝食は、新鮮野菜をメインにしたユニークなもので、おいしくいただきました。

 この日は、二手に分かれて、それぞれ面会を行うことになりました。

 相棒と家内は再びK窯へ、打ち合わせの続きとトレジャーハンティングの完了を行うためでした。

 一方、私は、教え子のMさんとともに、久しぶりに佐賀大学名誉教授のM先生と面会することになりました。


 そのためJR有田駅まで送っていただき、特急「みどり」に乗り込みました。

 ここから佐賀駅までは約40分、特急「みどり」も久しぶりの乗車となりました。

 佐賀駅でMさんと合流、タクシーでM先生の研究所まで案内されました。

 先生とは私が大学院生の時以来ですので、じつに47年ぶりの再会でした。

 教え子のMさんを通じて先生の健在ぶりを聞かされていましたので、未だ現役の学者らしく矍鑠とされていました。

 先生との思い出では、一緒にマージャンをしたことがありました。

 私の先生が、メンツが足らないからと私を誘ったのだと思いますが、この両先生方のマージャンの腕は大したことはなく、私が独り勝ちして「申し訳ないことをした」ことを思い出しました。

 しかし、M先生は大変な負けず嫌いで、この時も大変悔しがっておられました。

 また、その後の食事会で、先生が柚子胡椒を好物にされていたことも記憶に残っています。

 先生は、軟弱地盤の改良工法を研究されてきたことが専門であり、議論は、これに光マイクロバブル技術がどのように応用可能かをめぐって盛り上がりました。

 私は、大学の助手として2年間、先生と同じ土質工学の研究室にいたことがありましたので、すこし土のことを勉強したことがありました。

 しかし、M先生と比較しますとまったくの素人同然ですので、まずは、先生のお考えをじっくり拝聴し、それに基づいて返答するという形式の議論になりました。

 一方、M先生の方は、光マイクロバブルのことはほとんど理解されていませんでしたので、互いに手探り状態での意見交換となりました。

 そこから徐々に核心部分に接近していくことになりましたが、それが一気に深まるところにまでは到達しませんでした。

 この手の話は、最初から上手く噛み合って進展することは少なく、いろいろな条件や問題を徐々に究明していく中でいくつかの段階を経て本格化していくことが常なのです。 

 こうして粗方の議論が終わり、それぞれにおける課題が朧げに明らかになったという段階に至った時点で時間切れになりました。

 しかし、M先生の光マイクロバブル技術に関するご関心は非常に高く、結果的には、この日の議論を踏まえて、その後どうするかをじっくり考えてみるということで、久しぶりの面談を終えることができました。

 今回の会談を取り持ってくださった教え子のMさんは、予想以上に会談の中身が進展したので驚かれていました。

 「あのM先生が、ここまで関心を示され、話が進むとは思いませんでした。先生、なんだか、光マイクロバブルの風が吹き始めていますね!」

 「そうですね。光マイクロバブルの風ですか、そうかもしれませんね」

 この会談の成功で気分がよくなられたのでしょうか。

 Mさんが大学生時代に家庭教師をされていたお菓子屋さんが、今では大変繁盛されていて佐賀でも有数のお菓子屋さんになっているそうで、そこに立ち寄って私どもに、そこのお菓子をお土産として、大変ありがたくいただくことになりました。

 そのかれとは、佐賀駅前で別れ、互いに今回の佐賀での「good job」を確かめ合い、この光マイクロバブルの風を吹かせ、大海を渡らせようと思いました。

 帰りの車中では、家内からトレジャーハンティング
の結果を聞きました。

 あのアールヌーボー風の蓋なしポットは、K窯の社長さんが若いころに一生懸命になって作られた作品だそうで、相当に上物であること、その専用の蓋を2000円で作成してくださることになったそうでした。

 「そうなると、
トレジャーハンティング代の1万円の元は完全に取ったことになるね」

 「そうですよ、元どころか、おまけが付きましたよ」 

 
「K窯の社長さんのご配慮に感謝ですね」

 

 途中、佐賀名物の北島の「丸ぼうろ」を購入、ドライブインでは佐賀名物のレモンステーキを、今回K窯を紹介してくださったSさんと一緒においしくいただくことができました。

 車中、Sさんからは、有田焼の生産額が、かつての1/10にまで落ち込んでいることを聞かされました。

 かれとは、この衰退を着実に克服、再生させるために、真に夢とロマンに溢れる数々の話をすることができました(つづく)。

ohuku
                おふくさん(K窯HPより引用)