前回の記事において、この25年間に起こった高専に関する重要な出来事を示しておきましたので、それを再録しながら、それらについてより考察を深めることにしましょう。
①1992年に奈良高専をはじめとして3高専に専攻科が設置されました。これを皮切りに、すべての高専における専攻科設置が完了しました。
②この設置に伴い、その修了生において、日本技術者教育認定機構(JABEE)による審査・認定を受けることが可能になりました。
①1992年に奈良高専をはじめとして3高専に専攻科が設置されました。これを皮切りに、すべての高専における専攻科設置が完了しました。
②この設置に伴い、その修了生において、日本技術者教育認定機構(JABEE)による審査・認定を受けることが可能になりました。
また、現役の高専教員が、その審査と認定に加わるようにもなりました。
③また、高専においては、本科5年と専攻科2年の教育プログラムが実行され、それぞれの特徴を生かした教育を発展させることが可能になりました。
④とくに、本科5年生と専攻科生の共同研究が可能になり、長い間の桎梏であった「教育と研究の分断」が徐々に改善され始めました。
⑤同時に、高専の研究力における総体の向上が図られるようになり、それによって地域に対する貢献がより可能になりました。
⑥これらの教育研究の成果が日本高専学会の年会や学会誌に集約されるようになり、本学会は、わが国における高専教育研究を総合的に発展させる核になり始めています。
⑦さらに、それらの成果が外部機関からも注目されるようになり、それが国家戦略会議における議題になり、自民党の政策にまで掲げられるようになりました。
⑧この評判は、外国にまで波及するようになり、高専がモデルとなって諸外国に拡散するまでに至りました。
この25年における、とくに重要な出来事を赤字で示しました。
これらの着実な発展は誰に目にも明らかであり、それ故に、国家戦略会議における経済界の民間委員や自民党の政調会長までもが大きく注目したのです。
私は、この2つの重要な出来事に関して、その時の経済界から選ばれた民間委員が提出した文書を精読しました。
その意見のなかで、かれらが強調していたことは高専の地域密着性であり、これに依拠すれば地域の中小企業とともに技術開発を通じた地域の再生が可能になると指摘されていました。
この指摘に接したときに、私には、一つの疑問が湧いてきました。
それは、戦後の教育改革において、地域を担うのは地方の国立大学だったはずで、なぜ、その技術開発と再生を大学ではなく、高専に委ねようとしているのか、その判断は、どこから生まれてきたのかに関することでした。
ーーー この意見は、かれら特有の財界を担っている大企業中心ではなく、地方の中小企業や人々のことをも考慮しようとしたものであり、その中心として高専が位置付けられていたことに注目すべきである。
それだけ、地方の衰退は深刻であり、この意見は検討に値する。
この時期、政府は、大学に対して大学発ベンチャービジネス起業やTLO(技術移転機関)への支援を強力に行い、地方の国立大大学においても、その起業や移転が盛んに試みられましたが、そのほとんどは大きく成功するまでには至りませんでした。
③また、高専においては、本科5年と専攻科2年の教育プログラムが実行され、それぞれの特徴を生かした教育を発展させることが可能になりました。
④とくに、本科5年生と専攻科生の共同研究が可能になり、長い間の桎梏であった「教育と研究の分断」が徐々に改善され始めました。
⑤同時に、高専の研究力における総体の向上が図られるようになり、それによって地域に対する貢献がより可能になりました。
⑥これらの教育研究の成果が日本高専学会の年会や学会誌に集約されるようになり、本学会は、わが国における高専教育研究を総合的に発展させる核になり始めています。
⑦さらに、それらの成果が外部機関からも注目されるようになり、それが国家戦略会議における議題になり、自民党の政策にまで掲げられるようになりました。
⑧この評判は、外国にまで波及するようになり、高専がモデルとなって諸外国に拡散するまでに至りました。
この25年における、とくに重要な出来事を赤字で示しました。
これらの着実な発展は誰に目にも明らかであり、それ故に、国家戦略会議における経済界の民間委員や自民党の政調会長までもが大きく注目したのです。
私は、この2つの重要な出来事に関して、その時の経済界から選ばれた民間委員が提出した文書を精読しました。
その意見のなかで、かれらが強調していたことは高専の地域密着性であり、これに依拠すれば地域の中小企業とともに技術開発を通じた地域の再生が可能になると指摘されていました。
この指摘に接したときに、私には、一つの疑問が湧いてきました。
それは、戦後の教育改革において、地域を担うのは地方の国立大学だったはずで、なぜ、その技術開発と再生を大学ではなく、高専に委ねようとしているのか、その判断は、どこから生まれてきたのかに関することでした。
ーーー この意見は、かれら特有の財界を担っている大企業中心ではなく、地方の中小企業や人々のことをも考慮しようとしたものであり、その中心として高専が位置付けられていたことに注目すべきである。
それだけ、地方の衰退は深刻であり、この意見は検討に値する。
この時期、政府は、大学に対して大学発ベンチャービジネス起業やTLO(技術移転機関)への支援を強力に行い、地方の国立大大学においても、その起業や移転が盛んに試みられましたが、そのほとんどは大きく成功するまでには至りませんでした。
これに反し、このような支援は、高専にはほとんどありませんでした。
おそらく、その反省もあって、地域再生の切り札として高専に熱い視線が投げかけられたのだと思います。
その後、地方大学においては、この反省を踏まえ、「地域創生学部」、「地域創生学科」などというより一層の地域に根ざした教育的アプローチが積極的になされるようになってきたましたが、それが大きく花開くまでには至らず、その模索が今も続いています。
一方で、第51代の自民党政調会長に就任した保利耕輔氏は、現在の工業高校および商業高校のすべてを高専にする構想を明らかにし、それを地方再生の目玉にしようとしました。
この構想は、彼自身によってメディア上で披露されていましたので、私も注目すべきことだと認識するようになりました。
私は、土木学会の土木教育委員会の委員を長く務めていた時期があり、そこには、土木学科のある高校の委員も参加していて、その取り組みが毎年報告されていました。
その折、そこには次の問題点があるのではないかと思っていました。
①最大の問題は、高校を卒業して就職する際に半数以上の高校生が、自分の希望する会社に就職できないことでした。
②もう一つの重要な問題は、その教科書にありました。文部科学省の検定を受けた学習指導要領に基づいた教科書に基づいて教育がなされており、その内容が基礎的過ぎて、当時の現状に対応できていないことでした。
これを高専との比較で考察すれば、高専の2~3年生に教える内容に匹敵していましたので、これでは「現実に対する柔軟な対応ができない」という危惧を抱いていました。
逆に、高専では、その内容を踏まえ、4~5年でより深く専門性を学び、その集約として1年をかけて卒業研究を行うことに小さくない意味があることも浮き彫りになりました。
③この①と②の問題を有効に打破していく、あるいは着実に改善していく取り組みに関してのアイデアがなく、毎年同じような取り組みがなされていましたので、他の大学の委員のみなさんなどからも、「もう少し工夫はできないですか?」という意見が毎年のように投げかけられていました。
しかし、その体質はほとんど変わらず、かれら自身が「どうしようもない」と思われているように感じました。
おそらく、堀政調会長さんも、このような状況をよく理解されて、「高専化」の提言をなさったのではないかと思われます。
私は、先の国家戦略会議における民間委員の意見に続いて、政府与党の政調会長の提言について、次のように注目いたしました。
①現在の専門高校の生徒数は約59万人であり、この半数が高専化されると約30万人の高専生が輩出されることになります。
これは、現在の高専生の数の約30倍に相当しますので、これによって「高専のマイノリティー問題」は一挙に解決することになります。
かつての意識ある高専校長が、最も嘆いていたことが、この問題であり、「高専は少数過ぎて何もできない」でしたので、今の校長先生方は、この問題をどう考えられているのでしょうか。
②もともと工業高校、商業高校の生徒は、その住んでいる地域から入学してきますので、高専生と同質の地域密着性を有しています。
この高専化によって、より地域に根ざすことが可能になり、地域の中小企業との連携が強化されていくことが確実になされるようになるでしょう。
③これによって、日本を代表する技術者養成機関が文字通り大きく形成されることになります。
毎年30万人の高専生が輩出され、かれらが日本のモノづくりを担うようになります。
この快挙は、衰退の一途にある日本の製造業の再生の根幹を担うことになり、「新モノづくり大国日本」を再生させる原動力にもなっていくことでしょう。
④この代表的技術者養成機関づくりは、展望を無くしていた教員のみなさんを大いに鼓舞することになります。
そして、地域に根ざした技術づくり、モノづくりに関する情熱的実践が開始され、やがてそれが高度に洗練されていくことでしょう。
最近、よくいわれていることに、AI時代がやってきて、労働者や技術者は要らなくなるという表面的見解があります。
この高専化によって、少なくない高専関係者が、そのAI時代を乗り越える次の時代を創生させるための総合的で実践的な研究を行い、その新たな時代づくりを担えばよいのです。
ここには、素晴らしい英知を滾々と生み出す源泉があり、高専の50年余は、その発掘を成し遂げたことを教えています。
ですから、これからも、その規模を飛躍的に増大させて泉を掘り当てることは可能なのです。
しかし、このような展望が見え始めている反面、そのことに高専関係者が気づくかどうか、あるいは、それに積極的に挑むかどうか、この問題があることを忘れてはいけません。
その後、地方大学においては、この反省を踏まえ、「地域創生学部」、「地域創生学科」などというより一層の地域に根ざした教育的アプローチが積極的になされるようになってきたましたが、それが大きく花開くまでには至らず、その模索が今も続いています。
一方で、第51代の自民党政調会長に就任した保利耕輔氏は、現在の工業高校および商業高校のすべてを高専にする構想を明らかにし、それを地方再生の目玉にしようとしました。
この構想は、彼自身によってメディア上で披露されていましたので、私も注目すべきことだと認識するようになりました。
私は、土木学会の土木教育委員会の委員を長く務めていた時期があり、そこには、土木学科のある高校の委員も参加していて、その取り組みが毎年報告されていました。
その折、そこには次の問題点があるのではないかと思っていました。
①最大の問題は、高校を卒業して就職する際に半数以上の高校生が、自分の希望する会社に就職できないことでした。
②もう一つの重要な問題は、その教科書にありました。文部科学省の検定を受けた学習指導要領に基づいた教科書に基づいて教育がなされており、その内容が基礎的過ぎて、当時の現状に対応できていないことでした。
これを高専との比較で考察すれば、高専の2~3年生に教える内容に匹敵していましたので、これでは「現実に対する柔軟な対応ができない」という危惧を抱いていました。
逆に、高専では、その内容を踏まえ、4~5年でより深く専門性を学び、その集約として1年をかけて卒業研究を行うことに小さくない意味があることも浮き彫りになりました。
③この①と②の問題を有効に打破していく、あるいは着実に改善していく取り組みに関してのアイデアがなく、毎年同じような取り組みがなされていましたので、他の大学の委員のみなさんなどからも、「もう少し工夫はできないですか?」という意見が毎年のように投げかけられていました。
しかし、その体質はほとんど変わらず、かれら自身が「どうしようもない」と思われているように感じました。
おそらく、堀政調会長さんも、このような状況をよく理解されて、「高専化」の提言をなさったのではないかと思われます。
私は、先の国家戦略会議における民間委員の意見に続いて、政府与党の政調会長の提言について、次のように注目いたしました。
①現在の専門高校の生徒数は約59万人であり、この半数が高専化されると約30万人の高専生が輩出されることになります。
これは、現在の高専生の数の約30倍に相当しますので、これによって「高専のマイノリティー問題」は一挙に解決することになります。
かつての意識ある高専校長が、最も嘆いていたことが、この問題であり、「高専は少数過ぎて何もできない」でしたので、今の校長先生方は、この問題をどう考えられているのでしょうか。
②もともと工業高校、商業高校の生徒は、その住んでいる地域から入学してきますので、高専生と同質の地域密着性を有しています。
この高専化によって、より地域に根ざすことが可能になり、地域の中小企業との連携が強化されていくことが確実になされるようになるでしょう。
③これによって、日本を代表する技術者養成機関が文字通り大きく形成されることになります。
毎年30万人の高専生が輩出され、かれらが日本のモノづくりを担うようになります。
この快挙は、衰退の一途にある日本の製造業の再生の根幹を担うことになり、「新モノづくり大国日本」を再生させる原動力にもなっていくことでしょう。
④この代表的技術者養成機関づくりは、展望を無くしていた教員のみなさんを大いに鼓舞することになります。
そして、地域に根ざした技術づくり、モノづくりに関する情熱的実践が開始され、やがてそれが高度に洗練されていくことでしょう。
最近、よくいわれていることに、AI時代がやってきて、労働者や技術者は要らなくなるという表面的見解があります。
この高専化によって、少なくない高専関係者が、そのAI時代を乗り越える次の時代を創生させるための総合的で実践的な研究を行い、その新たな時代づくりを担えばよいのです。
ここには、素晴らしい英知を滾々と生み出す源泉があり、高専の50年余は、その発掘を成し遂げたことを教えています。
ですから、これからも、その規模を飛躍的に増大させて泉を掘り当てることは可能なのです。
しかし、このような展望が見え始めている反面、そのことに高専関係者が気づくかどうか、あるいは、それに積極的に挑むかどうか、この問題があることを忘れてはいけません。
コメント
コメント一覧
たしかに、高専の未来を研究している方は非常に少なく、目の前のことで動いているばかりで、私もその一人です。この一連の長文を拝見し、目が覚めました。
高専教員は、もっとこのような勉強をまじめにしなければならない、と思いました。