私たちが、『私たちの高専改革プラン』において確立させた「日本高専」の概念は、それがいかに重要なものであったのかが、その後の高専において様々に検証されていきました。

 創立当初の高専においては、新しい教育制度なので、どの高専も模索のなかにあり、そのときの国立高専協議会においては「みんなでスクラムを組んで」が合言葉でした。

 これは、ほのぼのとしたスクラム連合でしたので、そのうち二代目、三代目の校長が出てくるなかでしだいに、その意識は希薄なものになっていきました。

 その後の高専は、どうなっていったのか?

 おそらく、自らの高専での教育に精一杯だったのでしょう。

 そしていつのまにか、そこに保守性が蔓延るようになり、必然的に閉鎖的になっていきました。

 私が、1975年に高専に入ったころは、高専間の交流は皆無に等しく、唯一あったのは、『高専教育』という情報交流誌と、偶に開催される「教育研究集会」ぐらいでした。

 ですから、よその高専のことはほとんど知らないままで、学会の全国大会の折に、数人の集まりに参加して、その方々の閉鎖的で保守的な様子を聞いて驚いていました。

 しかし、しばらくして組合を結成し、その全国的な集まりに参加するようになってから、その事情は一変しました。

 なんと自由で本音の交流ができているではないかと驚き、その渦のなかに進んで入っていくことができました。

 
その時、私が気づいたことは、次の3点でした。

 
①どこの高専も同じ悩みを抱えていて、それを持ち寄ることによって共有の課題となる。

 ②みんなで知恵を集め、その課題をどう解決していくかで工夫をすることができる。

 ③他高専との交流ができ、そこに一体感が生まれる。


 これらが、やがて生まれる「日本高専」の概念の素だったのです。

 また、その第1の橋頭堡が、組合活動のなかから生まれた「日本高専学会」だったのです。

 この学会は、それを意識しようがしまいが、日本全体の高専教育や技術者教育の在り方を総合的に研究する機関であり、それらの成果は、「日本高専づくり」への着実な一歩を踏み出すことになりました。


 本学会の現在の会員数は数百名だそうで、これは高専教職員数の約4%に相当しています。

 おそらく、これが増加し、現在の2倍に発展すれば、内外に小さくない影響力を持つようになるでしょう。

 この問題が重要である理由は、それだけ、個別の高専のみならず高専全体のことを考え行動する、いわば「日本高専の核」となる方々が増えることにあります。

 さて、もう一つの重要な視点は、外部の方々が、高専を個別高専ごとに見ているのではなく、高専全体、すなわち「日本高専」として理解していることにあります。


 その第1は、2004年に独立行政法人「国立高専機構」が発足し、ここでは、ある意味で「日本高専」としての事業が生まれてきたことです。

 しかし、それらの事業には、未だ生成期的要素が色濃く十分な発展に転化する段階には至っていないように思われます。

 その管理的側面において、それを個別高専の校長に色濃く反映されており、次のような公言がまかり通っていることに現れています。


 「私は、高専機構の支店長のようなものですので、支店長が本社に向かって自由に発言することはできません。また、本社の言うとおりのことを行うのが支店長の役目です」

 これを聞いて、支店のみなさんは、さぞかし、情けない話としてがっくりされたのではないでしょうか。

 しかし、いろいろな問題は出現しても、そのなかで「日本高専」的発想は、徐々に熟成されていくことことは末がいなく、そこに必然性があることに注目していくことが大切です。


 第2は、野田内閣の国家戦略会議において、高専を地方における技術開発の拠点にしようという発言が、経済界の民間委員から提出されたことです。

 私は、これを耳にしたときに、立場の違を乗り越えて、「これはチャンス!」と思いまし
た。

 この意見は、次の理由において、みごとに的を射ていました。

 ①高専は、全国の地方都市に設立された地域密着型の高等教育機関である。

 同じような使命を担って設立されたのが地方大学であるが、これとは大きく異なる特徴を有している。

 その第1は、地方大学が県庁所在地に数多く設立されているのに対し、高専は第二、第三の地方都市に設立されている。

 地方大学への入学においては、偏差値ランクにしたがって全国的な移動がなされ、地元からの入学者は少数になっている。

 これに対し、高専では地元の中学からの入学がほとんどであり、これが、高専の志願者倍率の急減を防ぐ重要な効果をもたらしている。

 第2は、高専が地元の中小企業や市民と様々にきめ細かい地域交流、協力共同を行う条件を兼ね備えていることです。

 じつは、地方の中小企業が直面している問題は深刻で困難度が高いという特徴を有しています。

 これは、中央の大企業が抱えている問題よりも、その解決が難しく、かつ緊急度を有しているものばかりなのです。

 ここに重要な意味があり、そのことをほとんどの高専教員が誤解されているのではないでしょうか。

 ②「地域に根ざした高専づくり」の根幹には、「地域に根ざした技術づくり」の課題が横たわっている。

 ですから、地域における技術開発の成功は、共同している中小企業のみならず、全国や世界に通じる可能性が大いにあり得るのです。

 その典型的事例が、光マイクロバブル技術の開発です。

 地方の嘲笑企業との共同研究のなかから生まれ、それが発展して今の光マイクロバブル技術の地平が切り拓かれていったのです。

 本技術は、高専から生まれ、各地方を通じて全国へ、そして今や世界へと、その普及が始まっており、この持続的発展が内外から今も大いに注目されています。

 第3は、約10年前から、自民党の政策において、すべての工業高校などを高専に格上げさせることが明記されたことです。

 これは、高専にとって重要な追い風だと思っていましたが、この政策を高専内部においてそれに賛同する意見はあまり出現しませんでした。

 私は、T高専時代に、土木学会土木教育委員会の高等専門教育小委員会の責任者をしばらく続けたことがありました。

 この折、高校小委員会の報告を聞く機会があり、その実情をそれなりに理解することができました。

 そして、一番の問題は、高校レベルで教えている内容が、今の社会に対応可能な水準とはかなり離れていることではないかと思いました。

 そのことは、使用されている検定教科書の内容に現れており、それを教えることで精いっぱいになっていることに現れていました。

 もうひとつは、生徒が希望する就職先が得られず、自分が勉強した専門以外の分野に就職していく事例がかなり多いという状態になっていることでした。

 それゆえに、各地方都市に散りばめられた工業高校、商業高校を高専にして、その卒業生を地方や日本を担う技術者にしていくことは、今の日本にとって非常に重要な課題ではないかと思っています。

 この高専化は、既存の高専においても、その少数派(マイノリティー)からの脱出が可能になり、ますます、高専が日本を代表する技術者教育機関になっていく基盤整備が可能になっていくでしょう。

 以上のように、高専は、日本高専へと発展していく客観的な条件を有していますので、それを実現していくには、高専の教職員自身が、その意味を深く認識して買う同できるようになる、すなわち主体的力量を高めていく必要があります。

 日本高専という、一つの大きな屋根の下で考え、動いていくことが重要であり、個別の高専は、その拠点や足場であるという思いを深めていくのがよいのではないでしょうか。

 幸いにも、個別の高専における教職員は、みなネットワークで結ばれていますので、各高専を超えた活動の拡がりが切に期待されます


 次回は、第三の提言である「高専大学構想」について言及しましょう
(つづく)。

幼児の小路
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