8月28日付の記事「第32回光マイクロバブル技術特別セミナーを終えて」の続きを期すことにしましょう。

 わざわざここで取り上げる理由は、その内容が「おもしろくてゆかい」だと思ったことにありました。

 それは、セミナーに参加されたMさんが次のように語られた内容にありました。

 かれは、自然農法の実施者であり、自分の田んぼをはじめとして全国各地の田んぼのことを熟知されています。

 裸足になって、それらの田んぼに入り、その感触を確かめてきたそうです。

 その経験によって、田んぼの善し悪しがすぐに解るようになりました。

 そのかれが、最高によいのは、そのなかに入るだけで強い「ここちよさ」を覚える田んぼだそうです。

 そこでは、土がさらさらしていて温かく、足が滑り込まないのだそうです。

 反対に、気持ち悪く感じる田んぼは、土の水分が多く、足で踏み入れると冷たく感じ、すぐに出たくなるのだといわれていました。

 土の中の有機物がよく分解されていて、表層の湿り気がなく、ほどよい乾燥がなされているようです。

 この土では、根がよく張って、茎がよく育ち稲の収穫も多いのだそうです。

 そして、ここにいったん足を踏み入れると、心身が「ここちよく」なるようです。

 土の触感、田んぼ全体によって創り出された空気環境が整備され、それらが、足を始めとする身体の神経に伝達され、脳が「ここちよい」と判断できたのではないでしょうか。

 この空間に入り込むと、「ずっと、そのここちよさを味わっていたい」と思われるようです。

 まるで、田んぼの土と空気がヒトと対話し、共鳴しているのではないかと感じました。

 長年、このように親しく植物と触れ合っていると、一入の「ここちよさ」を覚えることができるようになるのでしょう。

 ここちよい田んぼとは、このようにヒトと自然が一体になって創り上げていったのではないでしょうか。

 ところで、この「ここちよさ」を感じた時の脳波はどうなっていたのでしょうか?

 田んぼ、それを取り巻く風や光などの自然環境とヒトの脳が共鳴し合うことで、その時の脳波も、それにふさわしい変化を遂げていたのではないでしょうか。

 その田んぼに入ってすぐは、「なんて『ここちよい』のであろうか」と驚き、そして感激し、リラックスをしながら、頭は、それらの刺激によって冴えていたのではないでしょうか。

 これまでの苦労が走馬灯のように蘇り、かれの頭は目まぐるしく回転していたのだと思います。

 この「ここちよさ」に慣れてくると、より強くその「ここちよさ」を欲するようになります。

 その欲求は、田んぼと自らが一体化して、互いに共鳴しながら、それぞれが溶け込んでいくように仕向けていくのかもしれません。

 「なんて気持ちがよいのであろうか!」

 頭は、リラックスを通り越してぼーっとなり、ひたすらその「ここちよさ」を老い求めているように思われます。

 おそらく、かれの脳波は、より周波数が低下し8ヘルツ前後に至っているのではないでしょうか。

 もう周りを見渡すこともなく、ひたすら田んぼのなかで感じる「ここちよさ」に集中している、このような姿を想像したくなりますね。

 その田んぼは、ヒトが長年培ってきた努力の結晶のようなものですから、そのなかに足を踏み入れる

 
このおもしろくてゆかいな話を聞いて、私も、その田んぼに分け入ってみたいと思いました(つづく)。

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国東市来浦の田んぼ