今回は『私たちの改革プラン』における2つ目の提言について深く分け入ることにしましょう。

 2)地域に根ざした高専の実現と「日本高専」への発展

 「高専が地域に根ざしてさまざまな協力共同を行うことは、単なる地域貢献に留まらず、やがてはそれが高専教育の充実・発展に少なからずの効果をもたらし得る。
 その意味で、地域に根ざした高専の実現は、きわめて重要な今日的課題である。

 この高専づくりとそのネットワークを中心にした交流は、『日本高専』への発展に導かれる。高専の特徴のひとつはその共通性にあり、それを生かした高機能のネットワーク事業を発展させる」

 
日本高専学会の創設と、その後の発展は、高専と高専教育に関する総合的な研究が開始されたことで、小さくない意味と成果が生まれることになりました。

 このなかで、日本高専学会誌が定期的に発行され、そのひとつが論文特集号として定着するようになりました。

 また、高専生自身が積極的に学会で発表するようになり、高専生と高専教職員の連携が深まったことも新たな注目すべき成果でした。

 同時に、同学会が高専生と高専専攻科生の学術研究に関する表彰を行うようになり、その賞状などが卒業式等で発表されるようになったことも特筆されることでした。

 これらを基礎に同学会を軸として、高専と高専教育を本質的により発展していく可能性が大いにありますので、これについては、後で詳しく検討したいと思っています。

 さて、本日の本題である「地域に根ざした高専づくり」を発展させて「日本高専」へと結びつけていくという第二提言に関する考察に分け入りましょう。

 じつは、約7年前の野田内閣の時に開催された国家戦略会議において、この問題が検討され、そこに提出された民間委員から、高専を地域における技術開発機関として重要であることを示す意見が提出されました。

 また、その後自民党の堀政調会長が、すべての工業高校を高専に格上げするという政策をまとめ上げ、自分でそれを推進したこともありました。

 さらに直近では、長岡技術科学大学の新原学長が、豊橋技術科学大学と共同して、すべての国立高専を統合した「世界一の規模」の高専大学構想の実現にかなり努められました。

 一方、専門学校を中心にして「専門職大学」構想が検討され、それが中央教育審議会においても議論されるようになりました。

 これは、専門学校を基礎にして、それを発展させた大学化を目指す動きでしたので、当然のことながら、この動きに高専側も触発されることになりました。

 この専門職大学の議論の当初においては、単に専門学校のみに限らず、地方の国立大学をも視野に入れた意見も飛び出していましたので、そのなかには、高専も当然のことながら含まれていました。

 徐々にこの議論が進むなかで、それは専門学校を中心にした大学化であることに集約されていきましたので、それ以上に高専内が動揺することはありませんでした。

 しかし、それでは治まらないと思われたのでしょうか、当時の高専内では、全国の高専を7つのブロックに分けて「7年制高専」を検討せよという指示がありました。

 その際、これを受けて各高専内では、高専の将来をどうするのか、を議論することになりました。

 この場合、「7年制高専」とは、高専の設置基準において高専が研究機関としては認められていないことから、その既往の設置基準のままで、高専を7年に拡張していこうということですから、それにはいくつもの制度上の無理がありました。

 すでに、ほとんどの高専において専攻科が設置されていましたので、それは、専攻科の拡張のみで実現できたことです。

 しかし、それによって、必然的に何が生まれることになるのかについての議論にまでの到達には至らなかったようです。

 この折、私はすでにT高専を定年退官していましたが、上述の専門職大学化の動きや高専内の議論を耳にして、高専の将来をどう考えていくかに関して考える機会がありました。

 それをまとめて日本高専学会誌に論文として発表を行いました。

 そのなかで、私は、高専の未来は、どこまでも地域に根ざすことによって、様々な交流を豊かに成し遂げることによって切り拓かれる可能性があることを示しました。

 私の高専時代の地域交流は1980年代後半から始まりました。

 この活動は、当時としては非常に珍しく、高専のなかでは孤軍奮闘になり7、地域に出かけては「珍しい人がやってきた」という反応でした。

 そのようなレベルのことはあまり頓着せず、地域になかにどんどん溶け込んでいくと、まず、その地域が変わり始めました。

 高専側が積極的に出ていけば、地域が響くという新たな事態が生まれ、その響きが高専に影響を与えるようになり、やがては高専自身が変わらざるを得なくなったのでした。

 こうしてさまざまな交流が可能になり、それこそ雪が溶けるように高専の保守性が瓦解していきました。

 そして、この活動は、全国にも影響するようになり、新設されたテクノ・リフレッシュ教育センターには少なくない見学者を迎えることになりました(因みに、私は初代センター長でした)。

 こうして、高専における地域協力の流れが大きく形成されるなかで、「地域貢献が重要な校務である」という判断が、高専機構によって下されることになり、堂々と地域との交流がなされるまでになりました。

 いまでは真に滑稽な話ですが、私がセンター長になる前に、地域の企業のみなさんと盛んに交流を行っていた際に次のようなことを聞かされました。

 「お宅の教務主事が来られ、高専の対外的なことは、私が担当していますので、かれは(私のこ)担当者ではないから話をしないでください」

  こういって回ったそうで、「あなたの学校はいったいどうなっているのですか」と、この企業の方は心配されていました。

 百歩譲って、かれが地域に対して活発に働きかけをしていたのなら、まだ許せる余地はありましたが、いわゆる地域協力活動は皆無の状態でしたので、さすがの私もあきれ果ててしまいました。

 同時に、この地域協力をますます発展させ、これらの障害を乗り越えていかねばならないと思いを強めました。

 真に情けない話ですが、このようなことが起こるほどに、高専の地域協力は遅れていたのでした。

 私が、一人で始めた地域交流活動(たとえば百人の仲間づくりのための100社訪問、ロボコンのロボット訪問など)が徐々にその影響範囲を広げ、やがて、それが全国の高専教員の校務として位置付けられるようになりました。

 ここには、その地域にねざした高専づくりに、時代に適合した普遍性、法則性があったことを示唆しており、これをより高次に発展させていくことが非常に重要なことでした。

 上述の「私たちの高専改革プラン」においては、次の解説が加えられています。

 「この高専づくりとそのネットワークを中心にした交流は、『日本高専』への発展に導かれる」

 高専がしっかりと地域に根を下ろすことによって、その強固な基盤形成がなされ、地域とともに高専が発展することが可能になります。

 すでに大企業と中央から見放されつつある地域においては衰退の速度を増していますが、
これに抗して地域を再生し、ともに持続的な発展を遂げることが、その地域に根ざした高専づくりにおいて鋭く、そして大きく問われるようになるのです。

 すなわち、衰退か再生かをめぐって鋭い対決点が露わになってくるのです。

 ここで重要なことは、高専間においてすでに十分なネットワークが形成され、その活用が簡単に可能になったことです。

 たとえば、A高専がBという課題に取り組んでいるとしますと、その解決がA高専で難しくても、C高専においては解決済みであれば、AとCが協力してBに対応できるのです。

 すなわち、Bという地域問題が全国の高専において解決手段を探し出し、支援できる世の中になっているのです。

 このネットワークの活用が発展していけば、やがてそれは「日本高専」という巨大なネットワーク形成が可能になります。

 すでに、ロボコン、プロコン、デザコンにおいては、これに近い発想で貴重な試みがなされ重要な成果が生み出されているのです。

 私が高専機構のトップか関係者であれば、このネットワークの機能を今の次元から数段上のレベルにまで発展させることをすぐに提案し、実践していくでしょう。

 たちまち、この活動を行う中心舞台は、各高専にあるテクノセンター長と同センターであり、すぐにその会議を招集することでしょう。

 なぜか、そのような会議はなされたことがないようで、それこそ「宝の持ち腐れ状態」になっていることが惜しまれます。

 個別の高専のなかに閉じこもらず、「日本高専」という視野から教育研究が行われることが、いかに高専教員を励ますことになるか、そのことにトップの方々は早く気付くべきです。

 もちろん、これはトップの方々だけが考えればよいことではありません。

 高専教員の一人一人が、これを考究され、身近なところから、小ネットワークを創造し、ゆたかに、そしてきめ細やかに実践していくことが期待されます。 

 個別高専から地域を巻き込んで日本高専へ、これが改革プランで示された核心部分だったのです。

 次回は、日本高専の意味を、さらに深く考究してみましょう
(つづく)。

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