『私たちの高専改革プラン』で示された3つの画期的な提言は、当時の英知を集めて練り上げられたものでしたので、その後四半世紀余を経た今も、その生命力を発揮し続けています。

 「その生命力とは何か?」

 ここでは、その3つの提言に沿って、その重要な内容を検討することにしましょう。

 1)高専教育研究の総合的発展

 「高専教育30年のなかで生み出された長所を基礎として、その発展・飛躍を可能とするための総合的な教育研究運動を展開する。

 その中心機関の一つとして、『高専教育学会(仮称)』の創設を実現する」 

 この第1の提言をまとめるにあたり、高専教育が創立以来30年を経過しても、なぜ、未発展のままだったのかについて、本質的な究明が次のようになされています。

 「自治も研究も認められない状態で、教育と研究が分断されたまま必要な情報が与えられないために、高専教官による高専改革の意欲が常に萎えさせられてきた」とされ、その30年は「生成期」を脱しておらず、「いまこそ、本格的で総合的な教育研究の発展が求められている」ことが強調されています。

 この総合的な発展の基本として、まず、高専5年の教育における各年ごとの到達目標を明確にすることが指摘されています。

 当時も、そして今も、この5年一貫の各年ごとの到達目標の明示と活用は、ほとんどの高専においてなされていないのではないでしょうか。

 この到達目標に関する一覧表づくりにおいては、相当な労力と時間を要した、いわば「力作」といえます。

 この表は、縦に各学年、横に「到達目標」、「高専生の持ち味」、「克服すべき否定的側面」の欄があり、それらにぎっしりと箇条書きで各項目が示されています。

 因みに、5年生から1年生までの項目数を示すと、14、13、11、9、8になっています。

 この到達目標表の特徴は、高専の最高学年である5年生のあるべき姿を示し、それに基づいて4年生以下の各到達目標を考究していったことにあります。

 また、その到達目標の優秀性は、高専生固有の持ち味をいかすことによって、その「克服すべき否定的側面」を改善していけば、それが長所となって到達目標を達成できるという相互関係を明確にしたことにありました。

 ここで、この到達目標に関する秘密のエピソードを紹介しておきましょう。

 この出来立てほやほやの到達目標表を、私がいた高専のO校長に見せたことがありました。

 「こうれからの高専教育には、このような教育目標が必要ではないでしょうか。解りやすくて、個々の教育に関していろいろな意見や見識を持っていても、この目標を基にして、教員が力を合わせて教育を行うことができるのではないかと思います」

 こういうと、まさに膝をたたいて喜ばれ、「これが必要だと思っていた」と仰られていました。

 「ここには、高専生をどう育てていけばよいかが、明確になっており、しかも、何をどうすればよいのかの課題も具体的に示されています」

 O校長は、この到達目標表のすばらしさと重要性を即座に理解されたようで、胸を張って「文部省に持っていき、説明をしたい、それでよいか」と尋ねられました。

 そのように尋ねられたことで、私も、本文書が収録される予定の『私たちの高専改革プラン』のことを正直に説明し、理解をしていただきました。

 それほどに画期的で、魅力的な到達目標表だったのだと思います。

 第2に、この到達目標が縦の糸とすれば、横の糸に相当するのが、「あるべき高専生像」の問題でした。

 私は、高専教員であるからには、あるべき高専生像を明確にする必要があると思って、若いころから、その探究を行ってきました。

 最初の発表は、初期のころの『高専教育』という教育誌の「高専における技術論の有用性」という論文において「高専生の4原則」として明らかにしました。

 ①科学的知識に裏付けられた「専門性」

 ②自己の学ぶ行為を意義、位置付ける「社会性」

 ③個別的ではなく、個人と集団を結合しうる「組織性」

 ④人間の尊厳を重んじ、真理と平和を希求しうる「人間性」

 この発表の時を含めて、各方面から問い合わせや賛同の声が寄せられ、少なくない方々にも引用されることになりました。

 上記の到達目標を縦糸、この4原則を横糸にし、その織り成す「妙」を統一させることを高専生のあるべき姿としてめざそう、これが「改革プラン」に示された核心のひとつだったのです。

 しかし、このような教育研究を実現していくためには、私たちは、その主体的力量における未熟さを、同時に併せ持っていました。

 毎年行われていた教育研究集会での勉強程度では、それにふさわしい主体的力量の形成は難しく、系統的で恒常的な、そして総合的な自主的機関としての学会組織の設立がどうしても必要だったのです。

 学会創設の目的として、次の4つが示されています。

 イ.高専教育の総合的研究

 ロ.日本における代表的技術教育の実現とその研究

 ハ.中小企業をはじめとする地域の人材育成を中心にした社会教育の研究

 二.地域に根ざした高専づくりに関する研究

 
なかでも、この第二項目の重要性が強調され、「国民のための高専づくり」の必要性が示されていました。

 こうして、教職員組合による『私たちの高専改革プラン』が1994年春に発表され、その影響と高揚によって翌年8月に「日本高専学会」が設立されることになりました。

 その発表から間もなくして、締め切りが過ぎているが、今からでも間に合うので外国留学はどうかと、上述のO校長から誘われました。

 それが、学内の複雑な事と関係していたとはつゆ知らず、その提案を受けて「この辺で自分を見つめなおして変えた方がよい」と思っていましたので、その提案を受け入れることにしました。

 運命とは、ふしぎなもので、その学会が創設された話は、私が帰国した直後(1995年9月)に聞かされました。

 あの時、『私の高専改革プラン』がまとめられていなかったら、そして3項目の提案が明らかにされていなかったら、その後の学会創設問題は、どうなったのでしょうか。

 ふと、そのような過去の局面が頭を過っていくこともありました。

 しかし、何はともあれ、我が国に高専のことを研究する自主的な学会が創設されたことの意味は小さくなく、堰を切って水が流れ出したように、この創設を契機として、今日までに果たしてきた学会の役割は多大であるといってよいでしょう。

 どういうわけか、その学会においては、一会員として参加することから開始することになりましたが、それも「運命のいたずら」なのでしょうか。

 今では、かえって、その方がよかったのではないかとさえ思っています。

 何事も、「必要、必然、ベスト」という格言通りであり、その実際の成り行きは、必然であり、結果的にはベストを創造することになったからでした。

 次回は、残りの2つの提言について深く分け入ることにしましょう
(つづく)。

 
happa
                夏の日差しを受けて