お盆も過ぎ、盛夏も下り坂に向かったようです。

 一昨日は、甲府の孫たちの可愛い声の「ハッピーバースデイ」の歌のプレゼントが届きました。

 心のこもった歌声に、胸が熱くなりました。

 このお盆を前後して、研究所の前庭では高砂百合があちこちに咲き始めました。

 家内が、この百合の種を撒いていたのが根付いたのでしょう。

 この白百合は平和の象徴であり、74年前の終戦の日にも日本列島のあちこちで咲いていました。

 純白のやさしい花を見て、多くのみなさんが二度と戦争を起こしてはならないと誓ったそうです。

 その平和の祈りが、脅かされそうになっていますので、ここは今一度、瞳のように平和を大切にしなければなりませんね。

 さて、その終戦記念日に、NHKBS1で驚くような、あの二・二六事件の真相に関する番組放送がありました。

 これは、当時の海軍省の将校が克明に記した文書が最近見つかったそうで、合計で五冊の赤い表紙で綴られた最高級の極秘文書に基づいて制作されていました。

 この二・二六事件については、その一切が公にはされず、闇のままに葬り去られてしまっていたのですが、この第一級の記録文書によって、その深い闇が白日の下に晒されることになりました。

 この日は、私の誕生日でしたので、お祝いのケーキとお茶をそこそこにいただき、この番組を食い入るように視ました。

 この資料には、当時の海軍が総力を挙げて、この事件に対応した様子が克明に記されていました。

 二・二六事件を起こした陸軍の一部とを海軍が戦うために、九州沖で演習を行っていた戦艦や巡洋艦を急遽呼び戻し、海軍の総力を挙げて、この戦争に備えていました。

 一方、海軍の陸戦隊も組織され、国会議事堂前に集結させられていました。

 これに対し、陸軍の方は、どのようになっていたのでしょうか。 

 皇道派と呼ばれた青年将校ら1400名余は国会議事堂や首相官邸、陸軍省などを占拠し、大蔵大臣や内務大臣などを殺害しました。

 海軍は、この動きを計画段階から察知し、首謀者名まで突き止めていました。

 ここで重要な事実は、事件勃発当初において、彼らの行動を陸軍大臣が内々に認めていたことを海軍が知っていたことが明らかにされたことでした。

 すなわち、この行動は、陸軍の上層部が認知していたことだったのです。

 しかし、すべてを統帥していた昭和天皇には、この行動は事前に報告されず、了承を得たものではありませんでした。

 すなわち、天皇の裁断も得ずに、陸軍の一部が暴走し、それが陸軍全体に影響を与えていたのでした。

 昭和天皇は、この反乱をすぐに治めようとしますが、陸軍は、その命令下では動いていなかったのでした。

 実際、天皇は、陸軍がいうことを聞かないといいながら、かれらの行為を「下克上」とまで呼んでいたことが明らかにされています。

 当時の陸軍のなかには、昭和天皇が意のままにならないとして、天皇を別の皇族に挿げ替えようとした動きがあったことも報じられていました。 

 海軍幹部は、そのすべての情報を昭和天皇に報告し、その信頼を得ますが、その際に昭和天皇は、対決する海軍陸戦隊の編成についても意見を述べられたということも明らかにされていました。

 こうして、陸軍の皇道派と海軍の陸戦隊が向かい合い、東京湾には戦艦が待機するという緊迫した状況が続くことになりました。

 この時点で、昭和天皇は、海軍を後ろ盾にして、陸軍の皇道派を反乱軍とみなして鎮圧せよという命令を下します。


 そして、混乱していた陸軍も、この命令を受けて、最後には、反乱軍の鎮圧に乗り出します。

 こうして二・二六事件は、一部の陸軍将校たちが起こした反乱としてみなされ、関係者の処刑とともに、その真相は明らかにされないままで、80年近くが過ぎてしまっていたのでした。


 番組では、戦後最高の機密文書が明らかになったことに対して驚きと感慨を示すとともに、歴史の暗闇のなかにあった真相が白日の下に明らかにされた意義は大きいと仰られていましたが、真に、その通りだと思います。

 この放送は、最近のNHKにしては珍しい、大ヒット作品となったのではないかと思われます。

 昭和天皇が「下克上」と呼んだ陸軍の精鋭部隊と海軍が、国会議事堂前で対戦し、互いに殺し合う危険の一歩手前まで行っていたことを考えると、この海軍の機密文書が示している事実は、あまりにもショックでした。

 この時期にして、こうして闇の一部が見えてきたという、歴史の凄まじさを感じました。

 この番組の最後には、この事件によって昭和天皇の軍に対する統率力が大きく強まることになったことも示されていました。

 戦争のない、平和な社会であり続けることの大切さを考えさせられた終戦の日の一夜でした
(つづく)。

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黄色いコスモス