今度、下記の要領で開催される東京でのセミナーの案内に関する解説の続報です。

 ●日時 2019年10月25日(金) 10:00-16:40
 ●会場 [東京・京急蒲田]大田区産業プラザ(PiO)6階 F会議室

≪未来を切り拓くイノベーション戦略≫

光マイクロバブル技術の核心と展望

~新たな「命と健康の『ものづくり』」をめざして~


セミナー内容

1.光マイクロバブルの深い「謎」
 1-1 光マイクロバブルとの遭遇
 1-2 光マイクロバブルの「吃驚現象」と「謎」
 1-3 光マイクロバブルの試練
 1-4 光マイクロバブルは「未来材料」

■解説:

 なんとかマイクロメートルサイズの微細な気泡を大量に発生させたい、こう思ってから約15年の開発歳月を経て、私は、1995年にようやくその発生装置を完成させ、世の中に公表することができました。

 その時点において、今でいう「光マイクロバブル」を発生させる装置は国内外になく、世界に先駆けての開発になったことを、その後しばらくして認識することになりました。

 そのことは、後にこの発生装置が世界32か国においてと特許を取得できたことにも裏付けられていました。

 大手化学会社の専門家に尋ねてみると、このような微細気泡の開発に、化学工学の分野を中心に、多くのみなさんが挑戦されていたそうで、私の悪戦苦闘の15年と、その開発の年月はほとんど重なっていたようでした。

 そのころの私どもは、閉鎖水域の水質浄化に関心を持っていましたので、ダム貯水池の水質浄化や排水処理に、それを上手く適用できないかと考えていました。

 ところが、その適用は、みなさんが想定していた分野のごく一部にすぎませんでしたので、この技術が、私どもの既往の知識が及ばない分野に適応されるたびに謎が生まれ、そして、その謎が新たな謎を呼び起こすことになりました。

 当時、私自身に押し寄せてきたのが「専門性の壁」でした。

 「それは、私の専門外だから対応できない」

 こういえば、それで済んだのですが、よく考えてみるとマイクロバブルに関する専門家は、世界中のどこを探してもいなかったのですから、この都合の良い、そして身勝手な「切り札」を振りかざすことはできませんでした。

 それに、マイクロバブルが現場で引き起こす現象があまりにも常識はずれであり、吃驚させられたことに加えて、それが真に魅力的だったのです。

 これに関しては、あるとき共同研究を行っていた民間企業の部長と主任が、次のような会話をしていたことを思い出します。

 私は、そのそばで寝ていたのですが、どういうわけか、その会話の時に目が覚めていたので、そのまま黙っていたら彼らの会話が耳に飛び込んできました。

 「部長は、マイクロバブルにどこまで足を突っ込むのですか。両足ですか、それとも片足だけですか?」

 「両足は、とても無理です。せいぜい片足、そして、その片足は、いつでも抜け出せるように体重をかけないようにしておくのがよいと思うよ」

 彼らは民間企業の社員ですから、このようなスタンスで臨んでいてもふしぎではありません。

 しかし、私は研究者であり、マイクロバブル技術を創生させ、発展させるという当事者そのものでしたので、私が、そのような片足論者になってしまうと、他のすべての方々に影響を与えてしまう可能性がありましたので、ここはぐっと我慢して、聞き流すことで済ませました。

 この選択の問題は、じつは、そのころに私にとってもっと厳密に、より深刻に問われていたことであり、私の周辺で、それに関するいろいろな雑音を耳にしていました。

 これらについては、いつか、どこかで紹介する機会もあるでしょう。

 さて、もう一つは、科学的探究における「謎」の問題でした。

 周知のように、光マイクロバブルが現場で適用され、そこであっと驚くような吃驚現象が生まれることによって注目を受ける、という技術的な先行によって世のなかに知れわたっていきました。

 ですから、その現場においては技術的な確立が追い付かず、あれこれの試行錯誤を行いながら実践的な技術開発を行い、その実証によって技術的か確立がなされるというパターンで発展していったのでした。

 これは、当時の私が、高専という実践的な教育研究を行う職場にいたことも関係していました。

 現場の要望に則して技術を開発し、実践的に発展させていく、この教育研究のスタイルがあったことが、この技術における生成期にとても重要な役割を果たしたのでした。

 しかし、この現場における技術的な成果が積み重ねられるたびに、「それはなぜなのか?、なぜ起こったのか?」という疑問が山積するようになり、その科学的な「謎」は深まるばかりでした。

 なかでも、私にとって忘れられない最大の謎のひとつが、「光マイクロバブルでカキが、なぜ、あのように急速成長できたのか?」の問題でした。

 夏が過ぎてやや涼しい風が吹き始めた夕方、広島の江田島湾のカキ筏の上で、大きく成長したカキを眼下にして、「光マイクロバブルで、このカキを救うことができた」とそこはかとない喜びを覚えながら、「このカキは、どうして、こんなに大きくなったのであろうか?」としみじみ思ったことがありました。

 これは、私の心のなかに、その「謎」が深く刻み込まれた瞬間でもありました。

 「光マイクロバブルには、そのような『すごい力』があったのか?そうであれば、これを何とか探究しなければならない」

 この謎は、光マイクロバブルの科学的研究を行うなかでしか解けない問題でした。

 「光マイクロバブルは、単なる水と空気の小さな塊ではないのではないか?ここには、未知の『重要な何か』が隠されているのではないか?

 もしそうだとしたら、光マイクロバブルは『新たな物質』といってもよいのかもしれない。

 そして、それが未来を切り拓くものであれば、『未来材料』と呼んでもよいものかもしれない!」


 広島カキ養殖の現場で私が学んだことは、このような「謎」にぶっつかったことでした。

 この教訓を得て、その後、私は、両足どころか身体全体を踏み込ませて光マイクロバブル研究に分け入ったのでした(つづく)。

kosumo-66 早くもコスモスが咲き始めました