第4のエピソードにおいて示した、次の③と④の解説を行いましょう。

 ③高専危機論の解明を踏まえて

 ④運動論の視点を踏まえて


 この時点において「高専の危機論」は、「専科大学」への名称変更が唱えられた際の根拠として示されたものでした。

 それは、折しも日本経済がバブルで踊っていることを背景にして「大学への進学率の急増」、「少子化の進行」、「産業構造の急変」が起こり、「高専は、それらに対応できなくなる」という3つの主張が主な危機論の内容でした。

 この専科大学論は、結果的に「騒動」で終わりましたが、この危機論の主張は正しかったのでしょうか?

 現時点においては、それが明確になっていますので、その歴史的検証を行ってみましょう。

 第1の大学進学率は、1990年代になって30数%から急増し、今日では50数%にまで向上しています。

 これに対し、高専への進学率は変わっていませんので、相対的には、高専はより厳しい状況には置かれるようになりましたが、これによって高専が大きく脅かされるほどにはなりませんでした。

 それは、高専への入学者が、大学入学者の階層と大きく違っていたことが影響していました。これについては、どこかで詳しく言及する予定です。

 第2の少子化においては、どうだったでしょうか?

 これを中学生の総数の変化において比較すると。1987年に620万人だったのが2017年には320万人と、この30年間で半減するという急激な少子化が進行してきました。

 これらの第1と第2の要因の影響を受け、このように、この30年間において日本社会における少子化は急激に進行してきましたので、これも高専への入学事情に関してはより厳しい環境となっています。

 この影響を受け、高専のなかには志願者が減少して、若干の学科において大幅な定員割れが起こったこともありました。

 これらの学科を含む全国の高専においては、高専への志願者を増やす努力がさまざまに行われ、その減少から増加への打開策が試みられています。

 第3の「産業構造の急激な変化」に関しては、かれらの予測とはまったく反対のことが起こりました。

 当時の専科大学を主張した論者たちの予測は、「黄金の80年代」、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という論調にもあったように、日本の製造業を中心とする企業が世界的に快進撃を続けると考えられていました。

 これに伴って大学への依存度がますます増加し、高専は産業界からますます注目されなくなってしまうのではないかという乱暴なものが、その高専危機論の主要なものでした。

 ご周知のように、日本経済のバブルは1991年に弾け、その後は銀行の破綻、大量リストラ、就職氷河期の発生などと、未曾有鵜の出来事が相次いで発生しました。

 これによって日本経済は低迷に陥り、「失われた10年」がいつのまにか「20年」、「30年」と伸びていきました。

 とくに、この30年の間に、日本の製造業は電気産業を中心にして衰退し、残るは自動車産業のみという状態になり、今や、それも危うくなり始めています。

 地方では、大手企業の工場閉鎖、海外進出に伴う空洞化が進行しました。

 高専が存立する地方の経済は、なすます衰退の一途を辿り、工場閉鎖や大量リストラの様子を高専生や高専志願者たちは、直接眺めることになりました。

 かつては、電機産業や自動車の雄であったシャープや東芝、日産などの身売りや低迷、不正が日常的な話題になっています。

 創立当初の高専生は、これらの企業の電化製品や車を見て憧れ、それらを製造する技術者になることを目標にしていましたが、今や、そのような夢や志を容易には持てない時代になってしまったのです。

 いや、それどころか、それらの製造業の再生をどうするのかという課題までも考えざるを得なくなったのです。

 以上のように、当時の専科大学推進論者のみなさんは、相当に甘くて楽観すぎる時代及び産業認識を持たれていたのではないでしょうか。

 したがって、これらも、その「騒動の要素」としってよいでしょう。

 しかし、この騒動のおかげで、高専には、自分たちの未来を自分たちで創っていこうという重要な潮流が生まれるようになりました。

 これは、それ以前の組合運動のなかにも小さな流れとしてあったのですが、それが、この騒動によって大きく変化を遂げるようになりました。

 そして、その自主的潮流の一つの到達点が、すでに紹介してきた『私たちの高専改革プラン』でした。

 ここで、高専の30年をきちんと総括し、自前で高専をどう持続的に発展させるか、この大議論が繰り返されました。

 これは、豊かな創造性を高専から、どう生み出すのか、これをめぐっての探究でした。

 当然のことながら、議論は一進一退を繰り返し、最後には行き詰ることになりました。

 二泊3日の予定で行った最後の検討会議において深夜においてまで行われたにもかかわらず、高専の未来をどう描き、その未来をどう実現していくかにおいて優れたアイデアが出てこない、このような状態で3日目の朝を迎えました。

 最後の5つ目のエピソードは、その日の朝の出来事でした。

 次回は、その重要なエピソードに分け入ることにしましょう(つづく)。
 
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                 イタリアンパセリの花