「私たちの高専改革プラン(1994年3月)」が明らかにされたのは、全大協高専協議会の教育研究集会が木更津で開催された折でした。

 その反響は、大変大きく、これによって多くの組合員のみなさんが確信をえたことが重要でした。

 私は、この文書作りの実質的な責任者でしたので、その時のエピソードをいくつか紹介しましょう。

 この「改革プラン」は次のような章立てになっています。

 第1章 はじめに

 第2章 高専30年の総括

 第3章 高専における今日的問題と課題

 第4章 高専の未来ーその限りない発展を求めてー

 第5章 おわりに

 B5版二段で34ページにわたる比較的大きな著作といえます。

   もちろん、このような画期的で系統的な論文をまとめ上げることは、高専の組合にとっても初めてのことでした。

 これには、全国から論客9名の教員が参加しました。

 まず、全体的な討議を行いながら、それぞれにおいて、そのたたき台における執筆分担がなされました。

 ただし、第4章と第5章は、それらのたたき台を基にしての討議を踏まえることになっていました。

 それぞれのたたき台が持ち寄られ、それを踏まえての討議が行われましたが、それが上手くまとまらず、集約できない状態が続いてしまいました。

 私としては、このプラン作りの提唱者の一人であり、事務局長的立場の役割も果たしていましたので、それを何とか集約させて、本格的な文書作りにまで仕上げていかねばならないという思いがありました。

ーーー みなさん、意見を活発に出されるのは非常に結構なことではあるが、なぜ、この議論がまとまらないのであろうか?

 そんなことを考えていたら、はたと、その理由の一つが判明しました。

 それは、いつも日本列島の真ん中あたりにある神戸で、その会合を1泊2日で開催していたことに問題があったということでした。

 その開始時間が午後13時から、終わりは翌日の12時、丸一日の日程において、それぞれが持ち寄った原稿を討議していたので、明らかに討議の時間が不足し、残りは次回に行うというパターンに嵌まり込んでいたことでした。

ーーー これでは、いつまで経ってもまとまらない。2泊3日の日程で缶詰状態にしてとことん議論するしかない。

 こう思って、この缶詰案を提案すると、みなさんから快く賛同が得られました。

 さて、会場をどうするか、みなさんが集中して議論し、やり合うのに最適の場所を確保する必要がありました。

 じつは、その最適と思い当たる場所がありました。

 そこは、広島の南区にある民間企業の研修所であり、ここを無料で借りることができました。

 広島の中心地からは南の方角にあり、その高台に、静かでモダンな社員研修所がありました。

 因みに、この高台があったおかげで、その南の宇品港付近のみなさんは原子爆弾の被ばくを免れることができました。

 このすばらしい宿泊付きの場所を確保できたことが最初のエピソードでした。

 第二は、暗礁に乗り上げていた文書の「まとめ」を、この会合の日までに、かなりの時間と労力を使って練り上げたことでした。

 当日、それをみなさんに披露すると、口々に、「もうこの文書は完成しない、仕上がらない」、「まとめることができない」と思っていた、という主旨の発言が相次ぎました。

 「それでは、せっかくここまで努力してきたのですから、この2泊3日でまとめましょう。みなさん、そのつもりでよろしくお願いいたします。

 幸い、ここは住宅街ですので飲み屋は一軒もありません。夜も討議ができますよ」

 猛者ぞろいですので、私の提案を彼らは無条件で受容されていましたし、それを行う研修所の近代的な設備も気に入られていました。

 これで、2つの条件整備が可能になり、残るは肝心の「中身の問題」でした。

 第3のエピソードは、その中身に関することであり、それは、「高専というある意味で矛盾の巣窟のなかにあって、高専教員が日々苦労する根源は、どこにあるのか」をめぐる問題でした。

 この討議のなかで、よく示されたのが「地を這うような苦労」という表現であり、これをメンバーのひとりひとりがよく認識していましたので、その根源に関する集中的な議論が行われました。

 おそらく、今日の高専の教員が認識している同一の根本問題ですので、その原文を以下に示しておきましょう。

 「高専における根本問題は、『校長先決体制』のもとで自治意識の成長を阻害され、高等教育機関でありながら、教育と研究を分断するさまざまな論理が持ち込まれたことにあり、唯一開かれていたのは大企業を中心とする学生供給の道のみであった。
 このことは、卑屈なまでに高専を保守的、閉鎖的にし、高専生の自主性、創造性を欠如させる傾向を促進させた」

 
ここでいう教育と研究の分断とは、自らの教育研究すら行わない「えせ教育派」が、卒業研究において高専生と共同で研究を行う教員に対して「教育をしない」と公然といって執拗な攻撃を行うことに典型的に現れていました。

 ここには、「教育」という名で教育にまじめに取り組まない、教育研究を行わないで「教育」を行える、その研究実績を示さないで、自分が昇格できるという過信があり、教育研究を行っている他人の素晴らしい業績を認めたくないという安易な「えせ教育」の蔓延が横たわっていました。

 同時に、そこには学校の当局者が、その分断に手を貸し、校長先決体制を徹底させるという互いの野合もしつこく存在していました。

 また、高専生に対しては自主性を認めないことから、その発揮が創造性を生み出さない体質を形成させていましたので、専攻科の発足に伴って、その創造性を豊かにすることが前面に押し出されたことには、少なくない戸惑いが生まれることになったのでした。

 2日目は、これらの傾向をいかにして打破し、それをどのようにして「提言」に結び付けていくかが集中的に議論されました。

 次回は、それに関するエピソードを紹介しましょう
(つづく)。

momiji
モミジ