「創造的技術者の教育論」を検討するにあたって、その経緯の「おさらい」を行っておきましょう。

 この教育論が登場したのは、高専における専攻科設置の時でした。

 それまで、高専の本科(1年生から5年生までの教育課程)における教育目標は、「実践的技術者の養成」でしたので、これとの比較において、この「創造的技術者の教育論」が持ち出されてきたのでした。

 ここで重要なことは、殊更特別の「創造的技術者教育のプログラム」が考案され、実施されたのではなかったことでした。

 しかし、高専の専攻科においては、より高次の教育が行われ、本科のそれとの差異がないといけませんので、それを特徴づける教育として「専攻科生は研究を行う」ことが強調されたのでした。

 すでに、高専の本科では、カリキュラムのなかに「卒業研究」という授業科目が設定されていますので、その用語をそのまま使用できませんでした。

 そこで、それを新たに「特別研究」と呼び、ここで研究を発展させることが求められました。

 この指向は自然であり、必然的なものでしたが、次の本質的問題を孕んでいました。

 ①高専本科における「卒業研究」の水準を質的にも量的にも、どう乗り越えて本格的な研究へと発展させていくのか。

 ②その際、高専本科および専攻科に、それぞれふさわしい研究とは何か、その個性化をどう図り、独自の発展を遂げるにはどうすればよいのか。


 しかも、高専本科生よりもより高度な研究を自主的に行うのが専攻科生であり、その教育こそ「創造的技術者教育」だと考えられたことから、その具体的な教育研究がなされる必要があった。


 ③高専の設置基準においては、高専は教育機関であり、研究機関ではないと明確に定式化されていて、この現状を維持したままで、専攻科における研究も発展を志向するのか、それとも、研究機関としての新たな位置づけの下にその発展をめざすのか。

 この①と②に関する研究を行うには、③の問題解決が不可欠でしたが、ここは不問のままでした。

 すでに明らかにしてきたように、この専攻科設置問題が発生する少し前においては、高専を専科大学にするということで、国立高等専門学校協会は合意していましたので、上記の①と②の問題は、当然のことながら検討されるべき重要な課題でした。

 しかし、③の問題が解決できないままに、その名称変更のみを強行しようとしたことで、その高専全体を巻き込んだ「騒動」はとん挫し、霧散してしまったのでした。

 その教訓を踏まえれば、③の問題解決を図ることが不可欠だったにもかかわらず、しかも、①と②の問題を本質的に解決できないままに進んでしまったことが、次の事態を生み出すことになりました。 

 1)高専に本科における卒業研究の水準が、それを担当する教員の委ねられたことと同様に、専攻科におけるより高度な研究としての「特別研究」の水準も、それを指導する教員に任されることになった。

 2)ただし、これには、上記③の問題として、特別研究の評価に関しては、高専教員自らが行えないとされ、そのレポート提出による面接試験が、学位授与機構によって毎年行われることになった。

 この原因は、教育機関に過ぎない高専教員では、その特別研究のレポートを審査できないという見解に基づいて行われたのであり、ここにも小さくない③に関する矛盾が露呈していた。

 3)これらの結果、専攻科における「創造的技術者の養成教育」は、大学並みのカリキュラムと特別研究を主としてなされたことで、結果的には、その目標と現実的教育実践において、その乖離はますます拡大していくことになった。

 なぜ、このような現象が生まれたのでしょうか?

 半世紀以上も続いてきた高専教育、30年を超えた専攻科教育のなかで、いったい何が不足し、あいまいだったのか? 

 より具体的には、実践的技術者教育における研究不足が、あいまいさが、今度は、創造的技術者教育においても同じように生まれているのはなぜか?

 そして、専攻科のみに限定されていた創造的技術者教育論が、いつのまにか高専本科にも適用されるようになり、今日を迎えているのはなぜなのか? 

 おそらく、このような疑問のなかで良心ある高専教員のみなさんは悪戦苦闘されているのではないでしょうか。

 製造業だけでなく「平成経済」そのものが衰退してしまった今日、この暗闇と停滞の中で一隅を照らす灯を探しておられるのだと思います。

 その灯としての一助となれば幸いと思って、この考察を継続していきたいと思いますので、高専教員のみなさま、よろしくお願いいたします
(つづく)。

amenosizuku
雨のしずく