通常生活における光マイクロバブル湯へのお湯の供給には、水道水が用いられています。

 今では便利になって、給湯スイッチの「自動」ボタンを押せば、予め設定された、お湯の温度と量が得られるようになっています。

 ここ国東市武蔵町向陽台の水源は地下水だそうで、そこから汲み上げた貯水槽から配水されています。

 ところが、娘が水のおいしさに凝りはじめ、国東市の両子寺にある走水観音水を汲んできるようになりました。

 このおいしい軟水を用いて光マイクロバブルを一定時間発生させると、さらに柔らかくて甘い水に変化していきます。

 この水を用いて各種のお茶を飲むと、これがまた格別のおいしさになり、最高水準のお茶タイムになります。

 私の生活においては、仕事の合間に飲む「お茶タイム」が非常に重要であり、その一段落の合間にお茶を楽しみ、再び仕事に向かうを繰り返しています。

 この「お茶」の水が定着してくると、娘の水好きは、さらに発展するようになり、今度は、その湧水を風呂に入れるようになりました。

 かつて私は、大分県竹田市にある河宇田湧水のお風呂に入った経験がありましたが、この時は、光マイクロバブル発生装置が1機でしたので、その良さを十分に、詳細に把握することができませんでした。

 しかし、わが家の光マイクロバブル風呂においては、それが十分すぎるほどに配備されていますので、格段に走水観音湧水の良さを肌で直接感じることができるのではないかと思いました。

 興味津々、ワクワクしながら、その光マイクロバブル湯に浸かってみました。

 そしたら、どうでしょう。

 まず、そのお湯の柔らかさに驚きました。

ーーー これほど柔らかいのか、こんなお湯に浸かったことはない。すばらしい!

 しばらく、このお湯に浸かっていると、その清々しさ、爽快さに気づきました。

ーーー やはり、いつものお風呂とは相当に違う。この水の違いは、なんであろうか。ムクムクと私の研究心に火が点いたような気分になりました。

 また、風呂上がりのお湯が、いつもよりは幾分汚れていたように思いました。

 これは、体内からのデトックスの溶出を可能にした、皮膚に付着していた汚れ成分をより洗浄した結果ではないかと考えられます。

 後で聞くと、この湧水供給は、父の日のプレゼントも兼ねていたとのことで、身体だけでなく、心も温まったようでした。

 よい水を飲み、よい水を用いてお風呂に入る、かつての日本人は、このようなすばらしい生活をしていました。

 世の中が便利になり、その良さが徐々に遠ざけられ、それが普通になってしまいました。

 しかし、ここでよく考えなければいけないことは、「便利」は「豊か」と同一ではないことです。

 改めて、今日において大切なことは、「本当に豊かなことは何か」を追究することではないか、と思いました。

 そのことの重要性をつくづくと再認識させられた走水観音湧水の光マイクロバブル湯でした(つづく)。

aji0644
紫陽花