高専設立当初から約30年間継続して教育目標に掲げられ、最近になって密かに復活させられている「実践的技術者養成論」を次の4項目に関して考察を行いましょう。
①「理論と実践」に基づく実践的技術者論の誕生
高専創立時のカリキュラムは、東工大のそれをモデルにしていました。
カリキュラムは、教育の基本中の基本ですから、それが大学と同じであれば、大学生によく似た高専生を育てようとしたことになります。
しかし、それでは、高専の存在意義がなくなりますので、それに「ふさわしい」特徴づけが必要になりました。
これに関係して、高専創立世代の教員が、まるでオームのようによくいっていたのが、「高専は、三流大学とは違う」でした。
それでは、どう違うのか、何が高専らしいのか。
これらについては、よく議論がなされていましたが、結局は、それが明確にならないままで終わることがよくありました。
もともとは、当時の東工大教授で、後に長岡技術科学大学の初代学長になられた川上正光氏の提唱がよく紹介されていました。
それは、大学は理論を養うところであり、それに対して高専は、実践力を身に付けるところであるという対比がなされていたことに特徴がありました。
そこで、高専での現場においては、この実践力とは何か、すなわち実践的技術の中身が問われることになりました。
今振り返れば、これは真に奇妙なことであり、教育の基本となるカリキュラムにおいては、東工大モデルが適用されたにもかかわらず、大学とは異なる「実践力」という新たな教育概念が持ち出され、それが新たな目標として掲げられたのですから、当然のことながら、ここに小さくない矛盾が発生することになりました。
高専創立当初の教育目標は、次の3つでした。
①実践的技術者の養成
②中堅的技術者の養成
③大学生に準じる教育
まず、③については、大学の4年分を高専の2年で教えてしまおうという意気込みで教育がなされましたので、典型的な過密教育が展開されました。
大学で用いられている教科書を用いて、大学卒の教員が教育を行ったことも手伝って、大学とは異なる教育ではなく、大学以上の教育が、高専で猛烈に展開されたのでした。
②については、上級が大学生、低級が高校生という意識の下にランク付けがなされていましたが、これは、すぐに上記③との関係において矛盾が噴き出してしまいました。
また、全国の地方大学において、この②を教育目標していたために、それは、地方大学生徒の違いがますます解らなくなることになりました。
さらには、このようなランク付けを行った教育は、誤解を与えてしまうということで、その創立から20年後には、それが削除するということが高専当局者によってなさることになりました(『高専の振興方策』、1981年)。
残るは①についてですが、カリキュラムの本体は大学と同一でしたので、これに関係して違いを出そうという矛盾に遭遇し、そこから見出されたのが、「実験実習の時間を増やして、丁寧に実験実習を行うことが実践的技術者の養成に相当する」という結論付けがなされたのでした。
たしかに、実験実習の時間を増やして丁寧な専門教育を行なうことによって、その実践性はより身に付くことになりましたが、これだけでは、その本質的発展を得ることはできませんでした。
ここには、実践的技術教育における未熟性、未発達性があり、これを「第1段階の実践的技術教育」と呼んでおきましょう。
もうひとつ重要なことは、その「出口問題」にありました。
周知のように、高専は、産業界の要請に基づいて唯一設置された高等教育機関でした。
高度成長期を迎えていたわが国の産業界では、大きな労働力不足が起こると指摘されていましたので、大学では、地方大学における工学部の拡充、短期大学の新設、高専の設置、高校では、工業高校、商業高校の拡充、専門学校の新設、拡充などが一斉になされることになりました。
このなかで高専生に求められたのは、生産現場における技術者としての役割を果たすことでした。
朝鮮戦争を契機にして、工業製品の製造においてアメリカのマニュアルに基づく工業化によって発展し、高度成長を開始したわが国の製造業が求めていたのは、大量の生産現場における労働者であり、高専生対しても、その一翼を担うことが求められていました。
この入口における実践的技術者養成と出口における生産現場の技術者としての対応が、その目標において結び合っていました。
しかし、当初の高専においては、この実践的技術教育の研究は、ほとんど進展しませんでした。
それは、その重要な意味を高専教員や高専当局者たちが見出せなかったからでした。
おそらく、そのような理論的指針がないままで、高専教員たちは、丁寧に実験実習を行い、大学並みの知見を持たせ、手作りの卒業研究などにおいて立派に卒業さえることで精一杯だったのだと思います。
それでは、この時期に何が必要だったのか、今日の時点においては、それを十分に振り返ることができます。
その第1は、どのようにすれば、実践的技術者教育の本質的発展を実現できるのかを深く研究することでした。
大学では、講義を中心に据え、実験実習は、その付け足しとしての教育がなされていました。
高専においても、この基本的構図は不変であり、その実際は、講義を中心にしながらより実験実習の時間を多くしただけのことでした。
まず、専門科目を講義で教え、それを補強させるために実験実習を行うという方式ですから、この主従関係は明確でした。
この方式は、理屈を頭で学び、後から、手足を用いて体験的学習を実験実習として行うというものでした。
高専生にとっては、それぞれは別物であり、講義で習った内容を忘れかけたころに実験実習がなされていましたので、それぞれは、ちっとも連動していませんでした。
「これではだめだ!何か良い方法はないか」
暗中模索のなかで、2つのヒントに出会うことができました。
その第1は、ドイツの理科教育に関する講演を聞いた時でした。
次回は、その教育について分け入ることにしましょう(つづく)。
コメント
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まず、高専卒学生のそもそもの必要性についてですが、「高度経済成長期」に当時の企業から大学4年の22歳まで待てないので、何とか大卒レベルの人材を20歳で仕上げてほしいとの要望があって出来たものであるという認識ですが、今でも企業はそう思っているのでしょうか?
次に、未だに高専創立当初の教育目標を引きずっているのでしょうか?高専創立当初の教育目標が、①実践的技術者の養成、②中堅的技術者の養成、③大学生に準じる教育であるならば、時代錯誤も甚だしいと言えますがどうでしょうか?
第3に、『教育の基本となるカリキュラムにおいては、東工大モデルが適用されたにもかかわらず、大学とは異なる「実践力」という新たな教育概念が持ち出され、それが新たな目標として掲げられたのですから、当然のことながら、ここに小さくない矛盾が発生することになりました。』とのことですが、何故、そんな不細工なことになったのでしょうか?また、話をそらすわけではありませんが、2つの技術科学大学の存在価値をどう考えますか?
文字数に限りがありますので一旦終わり。
さて、質問攻めだけでは永田町のアホ野党みたいで情けないので、カリキュラムに絞って意見を述べることにしましょう。
50年~40年前と今とでは何が違うのでしょうか?いっぱいありますね。その中でも明らかに違うのは、1980年~1995年にかけてのパソコン文化大革命があった。ボーダレスやグローバルといった横文字のおかげで英語の必要性が明らかに上がった。etc・・・。切りがありません。
この時代の流れをカリキュラムに組み込んでいくことこそが重要であります。また、高専卒の学生が就職し実際何をやっているのか?民間企業の経験がない教官に分かるはずもなく、分かろうともしない。
土木建築に限って言いますと、現場で汗だくになりながら朝から晩まで穴を掘ってるわけじゃないのです。無論、若い時はあるでしょう。が、少なくとも設計~算定~施工~監督になると専門知識だけではやっていけませんね。今風に言いますと、ヒューマンスキル・テクニカルスキル等々も必要となり、また、管理職になればマネジメントスキルとともに経理スキルが必要になるわけです。
なので、土木建築工学科のカリキュラムに簿記があってもいいじゃないですか。将来的に必要なものを学ばなければ会社に入って勉強しないといけませんね。そういう発想転換が今のカリキュラムには必要だと考えます。
小生は高専機構に再就職した方がいいかもしれませんね。ではでは。