昨日は、南の国から暖かい風が吹き込んできたようで、とても、ここちよい心情になりました。

 この風は、沖縄では南風(はえ)と呼ばれています。

 だいぶ前のことになりますが、韓国のイ・ビョンフン監督が製作したドラマに「商道(サンド)」がありました。

 これは貧しい家に生まれた主人公が、高麗ニンジンのビジネスを通じて巨財をなして成長していく商人の物語です。

 このなかで、主人公のイム・サンヨクは、かれの師匠から、商売のコツは、「金稼ぎ」ではなく「人稼ぎ」であることを教えられます。

 この「人稼ぎ」とは、本当に金を稼ぎたいのであれば、まず、「自分を信用してくださる人を得よ」、それが可能になれば、その人が金運を呼び込んでくださる、という意味のことでした。

 以来、この言葉を大切にし、私どもの基本に据えてきました。

 約6年前、ある若い外国の方が訪ねて来られました。

 その方が持参されていたのが、拙著『マイクロバブルのすべて(2006)』でした。

 それを開きながら、訪問の意思を告げようとしたかれらに驚きました。

 それは、その拙著なかのたくさんのページにおいて傍線が引かれていたことでした。

 「日本語を勉強しながら読みました」

という、かれの話には実感が籠っていました。

 以来、かれは何度も(株)ナノプラネット研究所にやって来るようになりました。

 そして、光マイクロバブル技術の最新情報を収集しながら、それをビジネスにしたいという素直な意向を示されるようになりました。

 その真摯でひたむきな姿勢姿勢に、私どもも心を動かすようになり、そこから、かれとの共同研究が開始されるようになりました。

 この研究は、最初から「開発物」として始まりましたので、私どもとしても珍しい形態の共同研究となりました。

 この開発をめざした商品は、日本においては市場規模がそんなに大きくなかったことから、あまり、その技術もあまり発展していませんでした。

 そういえば、山口県下関にある大手企業が問合せをしてきたことがありました。

 「どうぞ、やってみてください」

これが、その時の私の返事でした。

 しかし、その後、この開発の話は途中で消えてしまったようで、そのままになってしまいました。

 かれからの要請は、その話を忘れてしまうほどに時が経過していました。

 「そういえば、そんな話があったな」と記憶を辿りながら、「なぜあの話は立ち消えになってしまったのであろうか?」

 その理由を気にしながら、この開発に本気で分け入ってみようと思いました。

ーーー おそらく、かれらが投げ出したことには理由があり、それが簡単な技術的適用では成功しなかったのではないか?

 光マイクロバブル技術の場合、その発生装置購入して、ある開発商品を作り出す、あるいは、その機能を利用して目的を達成することで成功することがあり得ます。

 これを「第一次的適用」と呼ぶことにし、ここでは、光マイクロバブル発生装置の性能のみが有効であれば、その目的をある程度達成することが可能になります。

 この段階においての技術的適用は、ある意味で誰にでもできることですから、この平易さが、マイクロバブル技術を用いてビジネスを行なうことを手助けしたのだと思います。

 また、この第一段階の適用、換言すれば、低水準における適用での成功が広く普及されると、類似の発生装置の開発を呼び起こし、その装置を用いても、私どもが成功してきた成果と同じものができるという「吹聴」を生むことにもなりました。

 つい最近、ある大手企業の方が訪問され、このようなエピソードを語られていました。

 「大成先生は、とても度量のある方で、私どもに、光マイクロバブル発生装置を作っていいよといわれましたので、大成先生が開発された装置と同じものを販売しています。したがって、その性能も同じです」

 まことに荒唐無稽で、とんでもない話ですが、世のなかには、このようなことを堂々といわれる方もおられるのでしょうね。

 ここで、きちんと反論しておきますが、そのような認可を与えたことは一度もありませんので、その荒唐無稽で厚顔無恥な方に出会ったときには、「そのようなことは止めなさい」と、はっきりいうことにしましょう。

 また、その方は、次のようにも仰られていました。

 「マイクロバブルやナノバブルの発生装置を販売している会社が、わが国には110社ぐらいあるそうで、私どもは、どの装置を信用してよいのかわかりませんので、直接、私に会って聞いてみたいと思いやってきました」

 私が、光マイクロバブル発生装置を世の中に初めて公表したのが1995年ですから、以来四半世紀近くで110社が生まれたことになり、「よくぞ、まあ、たくさん生まれてきましたね」という、ある意味で小さくない感慨がありますね。

 細かいことをいえば、いろいろありますが、ここは大局的に捉えることが重要であり、その110社余は、ある意味で、光マイクロバブル技術が産み出した産物でもあるといえます。

 それは、この光マイクロバブルが多様で広大な裾野形成を行なうようになってきた証ともいえます。

 そして、この状況は、私が予測し、それを望んできたことでもありますので、「これでよい」というのが、偽らざる「本音」といってよいでしょう。

ーーー おそらく、光マイクロバブル技術の生成期には、このような、ある意味で多様で、低きに流れる現象が、いくつも発生するであろう。

 この四半世紀近くに及ぶ経過のなかで、雨後の竹の子のような状態が過ぎ去り、今や、その「生成期の後期」に入ってきました。

 この時期の特徴は、次の通りです。

 ①生成期の次には「発展期」がやってきます。

 したがって、その後期とは、発展期に突入することを可能にする特別のイノベーション的現象が出現してくる可能性があります。

 ②日本社会を根本的に変えることとは、国民のみなさんの生活と産業において、その様式を新たにすることです。

 したがって、その生活と産業を大きく変革することができる技術と商品が広く世に行きわたるようにしなければなりません。

 その前者においては、上記の「第一次的段階」に留まる技術からの本質的なブレイクスルー(突破)が必要になります。

 すなわち、生成期後期および発展期へと向かうにふさわしい、より高度で、広範に影響力発揮できる技術開発が求められるようになります。

 この「第二段階における技術的適用」が、この数年間においてより切実に必要とされるようになってきたのだと思います。

 「第二段階」にふさわしい技術、それは、どのような特徴を有しているのでしょうか。

 そして、それは、どのような「人稼ぎ」を可能にするのでしょうか。

 次回は、そこに分け入ることにしましょう(つづく)。 

kiiro-5
黄色い花