高専に専攻科が設置される際に、高専本科においてなされていた「実践的技術者の養成」という教育目標とは異なる教育目標を示す必要がありました。

 そこで、登場してきたのが、「創造的技術者の養成論」でした。

 これらを整理すると、

 高専本科  実践的技術者の養成

 高専専攻科 創造的技術者の養成

という「二段構え」でした。

 ところが、この二段階の教育目標設定は長続きしませんでした。

 それは、無原則的に高専全体における関係者の議論なしに、それこそ一部の論者によって、高専本科における教育目標の「なし崩し的」ともいってもよい変更がなされ、「創造的技術者養成論」への移行がなされてしまったのでした。

 当時、この変更に関する議論をきちんと追跡していましたが、30年余にわたって維持されてきた「実践的技術者論」に関する移行に関しての議論や整理はほとんどなく、こんなにいとも簡単に変更できるものなのか、そして、その移行後の創造的技術者論の説得力の無さに驚きを隠すことができませんでした。

 森政弘先生の名著「『非まじめ』のすすめ」の一説に、最初に、子ヤギが曲がって歩いていた道を、他の動物がやはり曲がって歩き、最後にはヒトも同じように曲がってあるき、道路も曲がってしまうという、おもしろいエピソードが紹介されています。

 この創造的技術者論には、これとよく似た側面があるように思われます。

 この道の原形としては、もともと「実践的技術者の養成論」があり、それを深く、そして多面的に研究しなければならない(たとえば、沼津高専K校長、宮城高専K校長、『高専教育』)という反省が何度か示されてきたにもかかわらず、それを深く研究して理論的に仕上げることには至りませんでした。

 そして、安易な「実践的技術者論の投げ捨て」と同時に、創造的技術者論への無原則的移行が、今日の状態(すなわち、高専教員自らが、創造的技術者論の意味を深く探究し、それを堂々と主張することができない、あるいは、大学教員の批判に対して反論できないなど、詳しくは前回の記事の通り)を作り出したのではないかと思われます。

 すなわち、もともと深く考究されていなかった教育論に、さらに、それに上乗せさせられた教育論が積み重ねられた結果が、上述の引用に照らしていうと、道路まで曲がってしまった状況になってしまったのではないでしょうか。

 このような状況は、高専機構の歴代理事長の「あいさつ」においても色濃く反映されていましたが、最近では、多少の検討がなされたのでしょうか。

 その目標において、今度は、「創造性豊かな実践的技術者」の養成をめざすことが明らかにされています。

 これは、一旦、お蔵入りした「実践的技術者論」の復活を意味しますが、このような変遷が理事長の交代ごとに起こるとなると、高専の教育は、その方しだいというように世間から見られてしまいます。

 その程度のことで、教育目標という一番の旗印が変化してもよいのでしょうか。

 もし、それが許されるのであれば、50年余の高専教育の蓄積とは何であったのかという問題にも衝突してしまいます。

 さて、このような批判は、その批判のためにあるものではありません。

 それは、今日的意味において、実践的技術者論と創造的技術者論を批判的に検討し、新たな技術者論を導き出すための「止揚的批判」といってよいでしょう。

 その立場から、まずは、実践的技術者論について、より深く分け入ることにしましょう。

 その考察事項を以下に示します。

 ①「理論と実践」に基づく実践的技術者論の誕生

 ②高専教育における受容とその結果

 ③その研究において何が不足していたのか

 ④「現場技術者論」、「即戦力論」との関係

 次回は、これらについて考察を進めましょう(つづく)。

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黄色い花