前回の記事において示した「4つの切り口」を踏まえて、「技術開発とは何か」について論究を進めましょう。

 そのために、その切り口を次のようにより簡潔化しました。

 ①「創造性教育」における「創造とは何か」を明解に説明できない。

 ②「創造的技術者の養成」という教育実践が発展しているにもかかわらず、その創造性に関しては論究を回避してしまう。

 ③「ロボコン」など実践的な「アイデア対決」という具体例がありながら、その成果を深く理論化することに十分でない。

 ④高専から生まれ国内外に普及した事例として「マイクロバブル技術」における成果が十分に生かされていない。

 ①~③は、そこに積極的な要素を持ちながら、しかし、それが十分に発展していない段階において出現してくる問題ですので、それぞれについてより深く考察してみましょう。

 まず、①に関しては、高専において「創造性教育」が、なぜ、探究されるようになったのか、この解明が重要です。

 この「創造性」、「創造的」という用語が登場してくる前においては、「実践的」という用語が用いられていました。

 「実践」とは、「実際に行動する様」を意味し、その反対には「理論」があります。

 この「理論」に対して、「実践」という反対語を用いて、両者の区別を行うことで、「実践的技術者」という概念が生まれてきました。

 この区別から、「理論的技術者」と「実践的技術者」という技術者のスタイルができあがり、前者は大学生、後者は高専生に相当するという位置づけがなされました。

 ところが、よく調べてみると、これは、大学生と高専生において最初になされたのではなく、前者は、旧帝大を含むエリート大学生、そして後者は地方大学生に当てはまるという先行的区別がなされていたのでした。

 ですから、その旧帝大と地方大学でなされていた区別を、高専に適用したもので、技術者の概念としては、その区別しかなかった、できなかったのではないかと思います。

 それでは、理論的技術者に対して実践的技術者とは何か、これが問題になりました。

 地方大学においては、実践的技術者の養成といいながら、ほとんど、そのカリキュラムは旧帝大のものと同じでしたから、そこに違いはなく、その教育成果も、当然のことながら同じものでした。

 そして、いつしか、実践的技術者の養成という教育目標の概念が、地方大学においては薄れてしまい、そこでは、その教育研究が実質的に無くなってしまいました。

 旧帝大で育った先生が、地方大学にいって教育をするのですから、そこでは、旧帝大の教育を行なうことが最高レベルの教育を行なうのだという指向になるのは、ある意味で自然のことでした。

 こうして、旧帝大と地方大学の教育内容は均一化に向かい、その区別は研究内容においてより活発になされるようになりました。
 
 ところが、高専においては、その均一化において少々無理な要素が存在していました。

 ①その第1は、高専生が若くして技術を学ぶという制度のなかに組み込まれ、大学生よりも2年若い年齢で技術を学び始めたことでした。

 この早期教育は、当時の工業高校生と同じ年齢でしたが、高専生の場合は、それよりも2年多く学ぶことができたこともよい効果をもたらしました。

 柔軟で好奇心旺盛な若い高専生が、5年という年月を通して技術を学ぶことが、大学生や工業高校生と比較して、よりよい教育成果を生み出すことになったのです。

 ②第2は、「実践的技術者教育」に関する教育研究が、高専において意識的に追究され、それが花開くようになってきたことです。

 すでに、何度か述べてきたように、高専のカリキュラムは、当時の東工大をモデルにして作成されました。

 この限りでは、高専は旧帝大教育を行なおうとしていたのです。

 そのままでは、実践的技術者教育ではなく、理論的技術者教育になってしまいますので、その特色をどう出すのか、ここが問題になりました。

 そこで、考えられたのが、実験実習の時間を増やすことで、「実践的技術者教育」を行おうとしたのです。

 ここで大学と高専におけるカリキュラムの単位換算方式が違っていたことが功を奏することになりました。

 大学の場合、1時間の講義で15週を行なうと1単位になります。実験実習の場合も、これに準じて単位が設定されています。

 ところが、高専の場合は、この15週が、その2倍の30週で1単位と換算されますので、結局のところ、大学生よりも2倍の実験実習時間を要して同一単位数を得ることになったのです。

 この状態を基本にして、高専において実験実習の単位をさらに1増やすと、その実質の実習時間は4倍になるわけですから、高専生は、大学生と比較して圧倒的に多い実験実習教育を受けるようになったのでした。

 それだけ、時間数が増えると、教える側も、その実験実習の内容を真剣に考える必要が出てきて熱心になっていくことになり、これが、高専における実践的教育研究の最初の土台形成に結びついたのではないかと思われます。

 何事も、ゆっくり時間が与えられ、そこでじっくり取り組むことによって、そこから創造的要素が生まれてくるものであり、ここが大学とは根本的に違う内容になっていました。

 この「ゆとりの実験実習」は、若い高専生にとって、その詰め込み講義よりは、はるかに好きな時間となり、上記の①の高専生の特徴がより発揮されるようになりました。

 しかし、この時点においては、高専における実践的技術者教育の中身は、実験実習時間を多く増やすという段階に留まるものでした。

 この実践的技術者教育の成果が、1990年代になって、高専教育における自主的研究の流れを生成させるようになります。

 T高専における「創造演習」、日本高専学会における「創造教育・実践事例集」の発光、K高専における「一般科目特研」などの新たな教育研究が髣髴として出現するようになりました。

 一方で、東工大の森政弘先生が開発された「ロボコン」が、高専に適用され、「アイデア対決高専ロボコン」がNHKの放送によって報じられ、その国民的認知を得るようになります。

 そして、このロボコンの成功が、「プロコン」、「デザコン」の発展へと連鎖反応を呈するようになります。

 このようにして1990~2000年代において、高専教育が「創造性教育」として具体的に発展していくのですが、ここでは、その理論的研究が、その実践に付いていけないという、ある意味での次の「弱さと問題」を有していました。

 ①個別の事例を通して、その普遍的な法則性や成果の価値を十分に分析・評価することができなかった。とくに、実践の細部に宿る教育的本質の究明が不十分であった。

 ②実験実習や卒業研究、あるいはロボコンなどの課外活動の成果を講義にも適用し、2010年代半ばから盛んにいわれるようなった「アクティブ・ラーニング」の先導を担うことができなかった。

 すでに、高専の一部においては、授業中に徹底して考えさせる「アクティブ・ラーニング」が実践されていましたが、これらを新たな教育法として理論化していくことができていませんでした。

 当時の私の方法を紹介しますと、それは次のような実践でした。

 1)授業の初めに毎回クイズ形式で10問の試験を行い、学生にその場で採点させる。

 2)一方的に講話する方法を止めて、徹底的に質問を行い、対話していくなかで考えさせる。

 これを行なうと授業が進まなくなるので、教材を厳選し、演習問題は宿題に出す。

 3)関連する内容に関して、興味を持てる事項を明らかにし、それを自分で調べてレポートとして毎回提出させる。

 4)すばらしいレポートの事例を評価し、その都度発表し、誉める。

 このように高専では、すでに10年以上も前に「創造性教育」としての「アクティブ・ラーニング」がなされていました。

 しかし、それらを最大限生かした新たな教育法を開発することができずに、中教審や大学で試みられた「アクティブ・ラーニング」の手法が、もの珍しく「金科玉条」のようにして扱われるという事態になってしまったようでした。

 それは、創造性教育という、新たな教育法の探究の成果が、講義という旧態依然の教育法にまで及ばなかったことで起こった現象であり、それはある意味で高専における創造性教育が未発展の証左でもありました。

 それでは、高専における従来の教育目標であった「実践的技術者教育」に、「創造性教育」が付加されるようになったのは、いつのことか。

 そして、その「きっかけ」は何だったのか?

 次回は、これらについて分け入ることにしましょう(つづく)。

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