この3週間、ある大型の申請書づくりに没頭していました。
朝早く起きて、すぐに、その前日までの記事を読み直し、再度書き直す、そして新たに書き進める、これを繰り返してきました。
その後、午前中の会議を経て、その打ち合わせを済ませてから、再度の執筆を夕方まで取り組み、さらに夜になっても文章化に励む、この作業を繰り返してきました。
この間、緑砦館にもなかなか入れず、週に一度の組み立て作業も約30分のそこそこで切り上げて、その申請書づくりに打ち込んでいました。
このような状態で作業を続けていくと、当然のことながら体調が弱って、それが身体にしだいに現れてきます。
すでに何度も、このようなことを繰り返してきましたので、そのことを熟知してきました。
まず、胃が痛むようになり、続いてやや腹具合がおかしくなります。
食欲も減退しますが、よく頭を使うと、やたら何かを食べたくなり、不規則な食生活になっていきます。
ここまでは、まだ許容範囲です。
そして、しだいに足がむくむようになり、とくに、足の脹脛(ふくらはぎ)、足首、足の甲などが膨らんできます。
いわゆる、足がパンパンに膨らんでしまうようになるのです。
こうなると、この足の腫れは、なかなか改善されません。
「これは、危険信号だ!」
慌てて、文書づくりの合間に、ちょっとした体操を行い始めましたが、これくらいでは、何の改善効果もありません。
ーーー どうしようか?
こんな時は、光マイクロバブルお風呂にゆっくり入って、その出浴後にマッサージをするのが有効です。
しかし、そのようにゆったりして光マイクロバブル入浴を楽しむ余裕はなく、できれば、その入浴も毎日ではなく、1日置きにして入りたい気分になっていました。
ーーー このままの状態で執筆を続けていると、中断を余儀なくされるかもしれない。その場合には、当然のことながら間に合わなくなるかもしれない。
このような不安を覚えながら、無理をせず、なんとか体力を維持することに努めようと思っていました。
ーーー 何か良い方法はないか?
なぜ、わざわざ、しかも古希を迎えた私が、このように「大きな賭け」に挑むのか、
「そこまでしなくても良いのではないか?」
という意見もありました。
さらに、次のような意見も、当然のことながら飛び出してきました。
「なぜ、そのように大きな申請に取り組むのですか?
わざわざ、自己資金も使いながら、そのメリットがわかりません。それを教えてください」
ここで、より突っ込んだ議論が必然的に、そして本格的に行われるようになりました。
後から考えると、これが非常に有効であり、より中身のある、充実した内容を創り出すことができました。
何事も、とことん議論を尽くすことが大切であり、それによって「深い納得」に至ることが何よりも重要です。
しかし、この意味のある議論を数日間行ったおかげで、その分だけ、執筆時間を失うことになりましたので、その分を急いで取り戻すことも考慮しなければなりませんでした。
こうして、私の半ば「籠りっきり」の執筆生活が始まりました。
ここで、最初に考えたことは、どのようにして採択までに至るか、これを考えることでした(つづく)。
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そもそも、T高専時代のドクターの生活は尋常ではなく、当時、教官と学生の間柄ではありましたが、毎日帰宅が午前3時。完全な「ブラック」でした。しかしながら、30代と70代では体と精神に加わる疲れが全く異なっているはずです。ある意味ドクターのマゾヒスティックな性分は治りませんが、ほどほどに。
さて、「こんなことあった。平成★カルチャー」の3回目です。
⑪平成11年(1999年)
・「だんご3兄弟」が社会現象に。
・「AIBO・ファービー」などのペットロボットがブームに。
・「ノストラダムスの大予言」に注目が集まる。
・「厚底靴」が人気ファッションに。
⑫平成12年(2000年)
・サザンオールスターズ「TSUNAMI」が当時のCDシングル売り上げ1位に。
・ソニーが家庭用ゲーム機「PlayStation2」を発売。
・慎吾ママ「おっはー」が流行語に。
・男子中高生を中心に「腰パン」が流行し始める。
⑬平成13年(20001年)
・「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」が開園。
・映画「千と千尋の神隠し」が大ヒット。興行収入300億円を超える。
⑭平成14年(20002年)
・日韓共催で「FIFAワールドカップ」が開催
・TV番組「トリビアの泉」が大人気。
・多摩川の「たまちゃん」ブーム。
今でいう。『失われた時代』の真っ最中ですね。ではでは。