先ほど、私の担当分の本文(様式3)を脱稿しました。

 これで大きな山を越えたことになります。

 残りは、それに付随した申請書づくりがあり、これから、休む間もなく取り組むことになるでしょう。

 審査員へのアピールにおける第4のポイントは、その実績です。

 この場合、当初は、何といっても論文でしたが、それが途中から特許に変わっていきました。

 世の中に役立たないものが多い論文よりは、特許の方が役に立つ、そして、その取得が難しいので、それが重要視されるようになったのは無理からぬことだと思います。

 しかし、特許について国の機関は、当初、とても冷ややかで、文部科学省の科学研究費を使用した研究においても、その特許費用は自前で出すようにという指導がなされていました。

 ところが、独立行政法人化されると、その話が反対になり、何でもかんでも国が、その特許を占有したいという姿勢になりました。

 ただし、これは、特許の申請数が極端に少ない段階の話であり、そのうち、いくつもの特許が出されるようになると予算オーバーになり、国から個人への移管が普通になっていきました。

 そんなわけで特許を申請するのは個人の費用でという具合になり、私自身も相当な金額を支払うことになりました。

 よくある話は、その特許費用が溜まって、それを退職金で支払った事例です。

 私の場合は、そんな悠長なことはできませんでしたので、それを借金と思って、その埋め合わせ分を自分で稼ぐ、すなわち外部資金を自分で得ることをめざしました。

 ですから、その申請書づくりにおいて、特許の実績を示すことができ、それが審査員にアピールできて採択になるのであれば、私費を投入しての特許申請も少しはカバーできたのではないか、としみじみ思ったこともありました。

 ところで、今回の「ものづくり」に関する申請において、私が「非常識の商品群づくり」という手法を考えた理由は、次のような問題意識を持っていたからです。

 ①大型予算に適う大型の装置を3年かけて作っても、それが商品になって、どんどん売れるものにはならない。かえって、大型商品を売る方が難しい。

 ②一時期、多品種少量生産方式が流行ったことがありましたが、それは下請け側に要求されたことであり、自らが持続的に少量多品種生産を指向したものではなかった。

 ここを自前で行うとすると、どのようなブレイクスルーが必要なのか。

 ③今の時代、一貫したテーマで、それを基本として、たとえば「命と健康の『ものづくり』」を探究していくことでしか、持続的で魅惑的な商品づくりはできないのではないか。

 はたして、それはチャレンジしてみる価値があるものなのか。

 その持続的で優れた商品づくりを行なうにはどうすればよいのか? 

 ここが焦点の問題になります。

 それには、まず、しっかりした科学的裏付けがあり、普遍的な価値を生み出せる技術的巧みさが重要になります。

 この場合、その科学的裏付けとは、光マイクロバブルの物理、化学、生物的特性を根拠にすることができることです。

 そして、その「技術的巧みさ」とは、その商品の顧客をワクワクさせる魅惑性、やっぱり使ってみてよかったという満足性、これなら安いと思わせる高付加価値性を持たせることだと思われます。

 今日における数々のランキング順位に示されているように、一見、わが国のものづくりは衰退の一途を辿っています。

 しかし、そのことによって「ものづくりニッポン」の火が消えてしまうわけではありません。

 それだけ、自分の頭と力で、時代を貫くような発明やイノベーションを容易に起こすことができなくなっただけのことであり、その足元を掘り下げていけば、そこに滾々と湧く泉が潜んでいるのではないかと思います。

 さて、問題は、今回の試みによって、それが成就される方向に動きだすのか、にあります。

 これを審査するのは、当然のことながら私どもではありませんので、まさに、これから俎板の鯉の心境を迎えることになるでしょう

 これは宝くじを買ったときの心境によく似ていますね(つづく)。

rabe
ラベンダーの先端