最近の高専における教育目標において「創造性」という概念がよく用いられるようになりました。

 「創造的技術者」、あるいは「創造性豊かな実践的技術者」などの表現が、それに相当します。

 しかし、その「創造的」や「創造性」を深く探究しようとした事例は意外にも少なく、そのことが、次のような現象の出現に影響しているように思われます。

 ①「創造性教育」における「創造とは何か」を明解に説明できない。

 また、説明できたとしても、単に「新しいことを生み出させる」程度の解説しかできない。

 ②「創造的技術者の養成」という教育実践が発展しているにもかかわらず、その創造性に関しては論考せず、「学校のホームページを見てください」といって回避する姿勢に終始する。

 ③「ロボコン」、「プロコン」という実践的に「創造的なアイデアの競争」という具体的な事例がありながら、その成果を深く追究できていないのではないか。

 ④高専から生まれ、国内外に普及した唯一の事例として発展している「マイクロバブル技術」における「創造性」、「創造的技術」の意味が実践的に究明されていないのではないか。

 これらは、ある意味で、その教育概念の確立における未熟性、未発達性の反映でもあり、その研究をより深めていく必要性があることを示唆しています。

 とくに、筆者は、上記の①~③の教育に関係し、しかも④については、その当事者でもありましたので、予てより、その意味を考究してみようと思っていました。

 かつては「永遠なり」と豪語されていたはずの製造業はすっかり衰退し、見る影も無くなってしまいました。

 いったい、ニコンの「一眼レフカメラ」、ソニーの「ウォークマン」、ホンダの「CVCC」、東芝の「フラッシュメモリ」などは、どこにいってしまったのでしょうか。

 しかも、最近は、ますます窮地に陥ってしまったのでしょうか、もともと無理な海外原発セールの全滅、トヨタ巨艦主義への固執、イギリスからの撤退、医薬会社の失敗など、目を覆うばかりの後退現象が次々に生まれています。

 なぜ、このようなことが起こったのでしょうか?

 その原因は、どこにあるのでしょうか?

 個々の事例においては、それぞれ異なる原因があると思われますが、それらに共通しているのは、技術力が原因で失敗や衰退をしたのではないということが指摘されるのではないでしょうか。

 その失敗や衰退の主因が、その経営にあったとしても、その高水準の技術力が、それを挽回させ、逆に盛り返すまでには至らなかったことも事実であり、そこに小さくない問題が横たわっていたのだと思います。

 一方で、世界はAI時代を迎え、アメリカと中国は、その覇権をめぐって激烈な競争が繰り広げられています。

 近い将来において、労働者の環境は激変するといわれており、ますます、AIが担うことができない仕事の開発が重要になってきています。

 これらは、創造的な技術、創造性に富む教育、実践的な技術の創生などに密接に関係しており、その意味を深く掘り下げることによって、その本質を探究していくことがますます重要になっています。

 そこで、これらの問題を踏まえ、「高専の未来図」を描く際に不可欠となる、今日の時代における「技術開発とは何か」について考察することにしました。

 折しも、私どもは、「命と健康の『ものづくり』」において、この課題の探究に直面していますので、この事例を実践的に研究する機会を得たとも思っていますので、この論考を試みてみようとも思ったしだいです。

 さて、この重要な命題にどう切り込んでいくのか?

 これを考究するには、上記の4つの問題が絶好の切り口になると思っていますので、次回は、それらに、より深く分け入ることにしましょう(つづく)。

chu-rippu
チューリップの蕾(大成研究所前庭にて)