孫たちからいただいた風邪が、徐々に伝染してきて、一昨日の夜は、そのピークを迎えました。
咳が酷く、ほとんど眠ることができませんでした。
「体調を壊す」とは、このようなことをいうのでしょう。
朝になって、どうしようか、と思案しました。
ーーー 今日は、近くの農家に視察に行くことになっているが、はたして、こんな具合で行くことができるか?
幸いにも、咳の方はやや治まってきていました。
ーーー とにかく、まずは、光マイクロバブル入浴で元気になろう!
出発の時間を気にしながら、急いで入浴することにしました。
世間の常識では、出かける前の入浴は湯冷めをもたらすので厳禁ですが、光マイクロバブル入浴には、それが通用しません。
ーーー ここで弱ってしまった身体を元気にすれば、何とかなるかもしれない。
こう思って、その入浴を敢行したというわけでした。
しかし、かなり元気になるになるまでには入浴時間が足りませんでした。
ぎりぎりまで、それを延長し、予定の出発時刻を30分遅らせていただきました。
ーーー これだと何とかなるかもしれない。しっかり厚着をして出かけることにしよう。今日は大切な話になるから、それを、すっぽかすわけにはいかない。
この決断は正解でした。
光マイクロバブル入浴で元気を取り戻し、何も問題もなく視察と協議を終えることができたからでした。
さて、この視察先は、国東半島を形成する典型的な農村地帯でした。
この半島は、真ん中に両子山などやや高い山があり、そこからなだらかな峰と谷合が続いて、その川に隣接して農地が形成されています。
このような地形ですので、川に集まった水は、すぐに海まで流れてしまいます。
そのため、ここで農作を行うには「ため池」が不可欠でした。
先年、この地域が世界農漁遺産に指定されましたが、その農業遺産こそ、この「ため池群」のことでした。
このため池に、山の水を効率よく集め、それを基にして農業(主として稲作)を行う、これが、この地域の農業持続に不可欠だったのです。
曲がりくねった川の両側には農地があり、そのやや高いところに農家が設けられ、さらには、岩戸寺、長慶寺、大聖寺といった大変立派なお寺が林立していました。
農家の家がいずれも大きな建物であったこと、そして、これらのお寺も立派であったことから、この地域は古くから比較的裕福な農村地帯であり続けてきたところではないかと想像しました。
この農村に、東日本大震災で大きな被害を受けて移り住んできたM夫婦がいました。
移り住む前は、陸前高田市でリンゴや野菜を栽培されていたそうです。
陸前高田市といえば「奇跡の一本松」が有名ですが、きれいな何千本という松並木があったのが、わずか1本だけしか残らなかったことで、そう呼ばれるようになりました。
私どもは、この松の傍を何回も通過して震災復興の社会実装実験を行った大船渡市に向かいました。
海沿いに一本道があり、その両側にきれいな街並みが形成され、その南側に松並木があったそうです。
ところが、先の大震災による津波によって、この松並木も街並みもすべて根こそぎ流されてしまいました。
水没した野球場、破壊されたホテル、そして木造の家屋が破壊され、瓦礫の山のなかを通過していきました。
この悲惨な光景は、今も鮮明に脳裏に残っています。
その夫婦が、国東にまで移住して来て新しく農業を始めたのです。
しかも、それが真にユニークで大胆、なんと無肥料、無農薬で米を作ろうというのですから、これには吃驚しました。
もともとは、今年始まった大分県の「ゆけむりアクセラレーションプログラム」において選ばれた際に、私の相棒と、この農家のMさんが知り合ったことから、この協力が始まりました。
聞くところによれば、その二人は、こんな会話で互いに親しくなったそうです。
「無農薬、無肥料の米作り、そんなことができるのですか。超ユニークですね」
「そちらもユニークですよ。水と空気による光マイクロバブルで野菜を育てる、そんなことは考えたこともなかったですよ」
「私どもは、無農薬、少肥料での光マイクロバブル水耕栽培技術で野菜を育てています。この栽培方法と共通する部分がかなりありますね」
「そうですよ。化学肥料と農薬をじゃびじゃぶ用いた農作物ばかりですので、それを食べることができない人が増えています。
野菜は、スーパーに溢れていても、それを食べることができない。
これを何とか解決しなければならないと思って、無肥料、無農薬の米作りをめざすことにしました」
「すばらしいですね。その考えに賛同し、ぜひとも協力したいと思いました」
こうして二人の理解が深まり、相互支援を行うことになりました。
いわば、2つの「ゆけむりアクセラレーションプログラム」同士が協力し合うという、いわば「ゆけむり連携」が新たにスタートすることになりました。
これは、新しいもの、珍しいものが好きな私にとっても胸躍らせる中身があり、深刻な風邪を引いていても出かけるだけの意味を有するものでした。
そのせいでしょうか、おかげで、その視察を終えたころには、その風邪がどこかに吹き飛んでいました(つづく)。
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