教え子さんから、おもしろそうでエキサイティングなコメントが寄せられましたので、ここで紹介しておきましょう。

 下記の青字の部分が、そのコメントの該当箇所です。

 さて、本題。

  「今年のマイクロ・ナノバブル学会では、マイクロバブルは溶解するが、ナノバブルは溶解しないという比較がなされ、後者の方が、溶けて無くならないからより優位であるという論調が示されたようです」

 ですが、そもそも、マイクロバブルは溶解し、ナノバブルは溶解しないなどと、誰が勝手にそのようなことを定義したのか訳がわかりませんね。

    光マイクロバブルの考え方は光マイクロバブルが収縮し、その過程を経て、「光ナノバブル」になる、のではないか?でよろしかったでしょうか。

 ナノバブル信仰者は、マイクロバブルの最期は溶解し、ナノバブルは溶解しないで留まるなどと、たわげたことを当たり前のように述べております。

 一方で、ファインバブル信仰者は、ドクターが最も嫌う「白い泡」でサイズがどうのこうの、定義までインターナショナルで基準で決めてしまう始末であります。ヤレヤレ。

 どうやら、最初の3行は私の記事の文章を引用していますので、その解説をより詳しく行っておきましょう。

 まず、マイクロバブル一般ではなく、ここでは正確を期すために、それを光マイクロバブルに限定して考察します。

 光マイクロバブル内の気体成分の大部分は溶解し、液体になっていきます。

 これに対してナノバブルは溶解しないで、そのまま残っているという主張のようですが、そうだとすると、ナノバブルには、どのような作用効果があるのかという問題に帰結します。

 この作用効果が明らかにならないかぎり、その優劣を論じることは到底できないはずです。

 これは、気体成分が溶解していく光マイクロバブルにおいても同じことがいえ、その溶解に伴う現象によって、どのような作用効果が生まれるのか、これが解明されないと、その特性は明らかにならないはずです。

 すでに、私どもは、その溶解に伴う作用効果を科学的に明らかにしています。

 同学会においても2年前の私の特別講演においても、その作用効果を詳しく解説いたしましたが、それに関する正しい理解ができていなかったのでしょう。

 そうであれば、他人の理解の問題ですから、これ以上、それをとやかく言うことは差し控えておきましょう。

 この問題の核心は、光マイクロバブルが溶解するか、そしてナノバブルが溶解しないかにあるのではなく、光マイクロバブルが溶解する過程で「何が起こるか」であり、ナノバブルにおいては、それが溶解しないとすれば、「その存在によって何が起こるか」にあります。

 これらを明らかにしないと、その本質的な理解に達することはできないと思います。

 光マイクロバブルにおいては、この本質的究明がなされており、それを一言で表すと、「その溶解過程において『革新的機能物質が合成される』」いってよいでしょう。

 ここで「合成」という用語を用いたことには特別の理由が存在しています。

 それは、光マイクロバブルの収縮によって、その内部が高温高圧化し、その結果として特殊な化学反応がおこることで、その革新的機能物質が合成されることを意味しているからなのです。

 それでは、ナノバブルにおいては、このような化学反応は起こるのでしょうか。

 あるナノバブル研究者は、そのような化学反応は起こらないことを明言されています。

 そうであれば、ナノバブルが形成されて存在するだけで、何が起こるのでしょうか。

 仮にそれが起こるとすれば、そのメカニズムは何かを説明できるのでしょうか。

 ここに、ナノバブルの機能性に関する本質問題があります。

 もう一つの重要な論点は、教え子さんの指摘にあるように、光マイクロバブルが収縮して光ナノバブルになっていくのか、という問題です。

 これについては、かなりしっかりした科学的検証が必要と考えていますので、その可能性はあるのではないかという「仮説」を持っに留まっています。

 問題は、その仮説をより詳しく検討し、それが正しいとすれば、どのような光ナノバブルの形成メカニズムがありうるのか、これをより具体的に明らかにする必要があります。

 その際に、次の問題を解明することも重要であると考えています。

 ①圧倒的多数のナノバブルが、どのようにして形成されるのか。

 ②光マイクロバブルから光ナノバブルへの形成ルートだけでなく、簡単にナノバブルを発生させる装置もあるようであり、そのルートを経ないで単にナノバブルを発生させた場合のナノバブルと光ナノバブルの性質は同じなのか、それとも違うのか、これを明らかにしていくことが重要です。

 ③光ナノバブルには、革新的機能物質を合成する力はあるのか、どうか。

 ですから、教え子さんには、「光ナノバブルは、それは仮説にすぎないですよ」といっておかねばなりません。

 これらの表層的理解と深部の本質的理解の問題は、常に出てくることです。

 しかも、それを無責任に、あまり根拠なしに主張していると、そのうち、その真偽が明らかになり、そのことが鮮やかに浮き彫りになってきますので、それは「科学者の良心」に関わる重要問題として認識していくことが重要です。

 この良心に照らしてみると、幸いにも、光マイクロバブル技術を、ここから大きく誤って偽らせることはありませんでした。

 1995年における、光マイクロバブル技術の開示以来、これを日本に根付かせて発展させるにはどうすればよいのか、これを世に問い、そして、この課題は、日本国内に留まらず、世界規模に広がってきました。

 この発展は、25年、そして50年、100年と続いていくものですから、その歴史的検証の試練にも立派に生き残っていく必要があります。

 このなかで、その本質部分のみが継承されていくことで、みな賢くなっていくのではないでしょうか。

 その意味で「人生は短く、技術は長し」ということができるでしょう(つづく)。

kiku
小菊