初回の記事から少し時間が経過しましたが、その第2回を認めることにしましょう。

 先日の「見極め試験の三段階」で紹介した結果は良好だったようで、正規の共同研究へと発展させることが検討されるようになりました。

 さて、前回の記事において紹介した新たな見極め試験の結果に関する続きを述べることにしましょう。

 この試験は、送られてきたサンプルに「『時』を加えようとした」ものでした。

 その目標は、時が何も加わっていないサンプル1を光マイクロバブル技術を用いて、相当に時を加えたサンプル2に近づけようとすることにありました。

 その接近が、どこまで可能か、そして、それをどのような方法で実現するか、真に直観と工夫が試される実験でした。

 すでに、類似の実験を行ったことがありますので、これが非常にデリケートであることはよく理解していました。

 わずかな条件の違いで、大きく異なる、これを深く認識しながら、鋭い直観を研ぎ澄まさないと、この種の実験を成功に導くことができないことも解っていたつもりでした。

 しかし、常に、このような実験をしているわけではないので、その直感を蘇らせることで、試験における洗練度を高める必要がありました。

 そのために、最初に設定した条件から始め、一段階ずつ確かめながら、その「あっちこっち」を探りながらの模索を積み上げていきました。

 こうして、第1回目の模索試験が、「行きつ戻りつ」でなんとか終えることができました。

 「第1回目は、上手くいかなかったね。試験は、あと何回できるの?」

 「もう1回しかできません」

 「そうか。サンプルが少ないので、もう1回送ってくださいということはできない。残り1回に勝負をかける必要があるね」

 「そうですよ。次は、どうしましょうか?」

 「そうだね、それをどうするかを考えるので少し待って!」

 こういいながら、実験済みのサンプルを再度検討しました。

 それは、ずらりと並んだ試験サンプルを確かめながら、サンプル1と2の関係を探ることに関する検討でした。

ーーー ここで焦ってはだめ、ここはじっくりと腰を落ち着けて、五感(もしかして六感かもしれない)を総動員して、その「違いがわかる」ようにしよう!

 それぞれの試験サンプルの検証結果を記憶のなかに押し込め、つい先ほどに形成させた記憶と比較しながら、その微妙な違いを再度探索していきました。

 ヒトの認識とは、真にふしぎなもので、それが未知の場合には、たとえ、それが大きな違いであっても、最初はわずかな違いに見えてしまいます。

 それは、そのような知識が脳内に備わっていないので、かすかにしか脳が判別できないのだと思います。

 その正体は、それがそこにあると思わないと、目の前には現れてこないのです。

ーーー ちょっと待てよ。もしかして、これは・・・? あれっ、そうだったのか!

 これは、真に意外な結果でした。

 私どもは、サンプル1からサンプル2に近づく経路上での模索をしていましたので、その経路上に探し求めている答えがあると思っていました。

 しかし、その答えは、その経路上ではなく、新たに派生した経路上に存在していたのでした。

ーーー なんと浅はかな探索思考であったことか!

 これは洗練度の浅さがゆえの想定でしかなく、そのことを深く思い知らされました。

ーーー それでは、この新たな結果は、過去の経験に照らしてみると、どうなるのであろうか?

 そこに違和感を覚えるようであれば、その新たな認識には問題が含まれていることになります。

 そこで、いくつかの記憶を辿って、一つずつを検証していくことにしました。

 そしたら、どうでしょうか?

 そのすべてにおいて、今回の新たな認識の方がよく適合するではありませんか。

 その認識の甘さ、深さにおいての未熟さが、過去においても同様に存在していて、それを今日まで引き摺(ず)ってきていたのでした。

ーーー そうか、これが本当に解るということなのか!

 この新たな到達は、私どもを大きく励ますことになりました。

 おそらく、この「技術刷新」は、今後に少なくない影響を与えることになるであろう。

 こう思うと、今回の依頼者の反応がどうなるのか、それをゆかいに待つことになるでしょう。

 偶には、こういう「女神の微笑み」があってもよいですね(つづく)。

      
moeshasinn
         私のシンボルイラストだそうです(MOさん提供)