今朝の気温は15℃、このところ夕方から夜にかけて冷えを感じるようになりました。

 太陽が出て地表が温まり、ハウスの中も20℃へ、そして最高時には換気扇を回した状態で約25℃まで上昇していきます。

 地表の変化が緑砦館ハウスにも影響し、その植生環境が形成されています。

 8月下旬から9月、10月と足しげく3つのホームセンターに通い、野菜の苗の物色と購入を行ってきました。

 今は、その苗が、どこに行っても無くなってしまい、苗屋も冬に備えて店じまいなのでしょう。

 今からでは苗を売っても、それが育つのは真冬や正月にさしかかり、その低温状態では育たなくなりますので、苗が無くなっても止むを得ません。

 今月後半からは、気温がぐっと下がり、野菜がほとんど成長しないようになります。

 これは一般に「低温障害」といわれています。

 ご周知のように、この障害のために東日本のほとんどにおいて野菜が希少になり、それによって値段も高騰します。

 おそらく、東日本だけでなく日本中の農家や家庭菜園を持つ多くの市民の方々が、冬場に野菜を育てることができたら、しかも夏野菜を育てることと同じようにできたらすばらしいと思っているはずです。

 しかし、そのようなことは叶わぬこと、採算を度外視しないかぎり不可能なことは、みなさん、よくご存知のことと思われます。

 誰もがそう考えても、立派な暖房付きのガラス製のハウス以外では一度も成功していない、これが現実です。

 もう、10年以上も前のことでしょうか。

 長野県の南にある阿智村のO村長が、次のようによくいわれていました。

 「村を発展させるためには、農業を何とかしなければならない。

 これなしに、村の持続的発展はありえない。

 農業で十分に食べていけるようになる、これが村の最重要課題です」

 この言葉が、胸のなかに突き刺さって残ったままになっていました。

ーーー さて、この課題を、どう実践的に解決していけばよいのか。

 そのためには、何をブレイクスルー(打破)しなければならないのか?

 以来、この課題解決のために、さまざまな模索を繰り返してきました。

 農業といっても、当時の私は、何も知らない素人でしかなく、

 「それなのに大それたことを、いったい何を考えているのか?」

という想いは、いつも脳裏を過っていました。

 それで諦めていたら、何も解決策を見出すことはできません。

 しかし、一方で、

 「大それたことを考えないと、本当のブレイクスルーにはならない。

 だが、その達成に至るには、それこそ途方もないアイデアを生み出す労力と時間が必要になる。

 それでは、いったい、どうすればよいのか?」

 これでは、真に堂々巡り、いつまで経っても、その解決の扉は開きませんでした。

 しかも、やっかいなことは、この到達には、頭のなかで考えるアイデア探しのみでは埒が明かず、その実現には、コツコツと実践を積み重ね、そこでアイデアをより上位へと昇華させていく方法が不可欠でした。

 これが、素人同然の悲しさですが、それを嘆いても仕方ありません。

 あるとき、昔から知り合う仲であった農学者が私の研究室を訪ねてきて、その野菜栽培の様子を観察していきました。

 かれは、専門家ですから、それがどの程度であったかは、すぐにお解りになったのでしょう。

 何も言わずに帰られましたが、当時の私は、その判断と評価ができていませんでしたので、後になって真に恥ずかしい思いを認識したことがありました。

 ここ国東に来てからも、水槽一つで始めた野菜栽培ですが、それが簡易ハウスでの栽培にになりました。

 たしかに、水槽よりはよく育つようになりましたが、そのハウスには換気用の窓がなく、野菜が上に伸びていくと、その部分がたちまち枯れてしまいました。

 それではいけない、と思い、窓付きのポリカーボネートハウスに移行しましたが、冬になると、ハウスの内外の温度差がなくなり、それこそ野菜たちが低温障害を諸に被ることになりました。

 「これでは、O村長に報告ができない」

 こう思い続けていたら、時の経つのは早いもので、あっという間に10年が過ぎていました。

 結局、上記のポリカーボネートハウスでは、それなりに善戦はしたものの、完全に勝ち切ることはできませんでした。

 そして、ここ国東に来て5年が過ぎたころから、

 「自前の研究所を設ける時期がきた!」

と思うようになり、その付属施設として「緑砦館」ができ上りました。

 私としては、念願のハウスでした。

 これによって、簡易ポリカーボネートハウスの弱点をかなり克服することができました。

 しかし、それでも「圧倒的に勝ち切る」までには至らず、ここは、ここでの弱点と難問も明らかになってきました。

 より上位の困難には、それをブレイクスルーことを可能にする洗練されたアイデアが必要とされたのでした。

 こうして、この苦闘ぶりを俯瞰すると、ここには切りがないぐらいの何重ものブレイクスルーが必要であることが明らかです。

ーーー 果たして、これらの困難を克服し、明察が可能になる日がやってくるのか。

 こう思うと、気が遠くなることを隠すことができませんでした。

 一方で、その包囲網は狭くなり、解決すべき具体的な課題もより明らかになりはじめていますので、これから、その山場を迎えることになるのではないか密かに思い始めています。

 このような思いのなかで、緑砦館にわが身を置く時間も自然に増えてきました。

 そのおかげでしょうか。

 今では、毎日の野菜たちの成長が手に取るように解るようになりました。

 ところで、本日の記事のサブタイトルは「AからBへ」です。

 これは、直接的には、緑砦館に設置されているAとBのレーン水路を指しています。

 前者は、より小型の水路であり、ここに小さな苗を植えて育て、それが育ったところで、より大型のBへと移す、これが当初の意図でした。

 ところが、このAの方で、まず最初に水路に関する問題点がいくつも発生して、それらを逐次改善していきましたので、そのAからBへという移植計画があまり実行されずに、いきなりBへ初移植が行われることもしばしばありました。

 これは、Aレーンにおけるいくつもの重要な改善に時間を要したからで、ある意味で仕方ありませんでした。

 ここで断っておきますが、その改善とは、その栽培の可否に関わるものではなく、もっと能力を引き出せるのではないかと思って行ったものでした。

 それらを具体的に示すと、ポンプ能力の増、光マイクロバブルの発生量の大幅増加、下流の水位調節、ハウス内温度制御と通風に関する改善などがありました。

 こうしてAレーンが想定した通りの能力改善にまで漕ぎつけましたので、そこで苗たちがよく育つようになったことで、そのAからBへの移植が始まりました。

 その主役はセロリです。

 これについては移植されたBレーンにおいて、その周辺に伸びた茎落としも始まり、その試食を行うまでに至りました。

 その詳細についてはべ別稿において述べる予定です。

 ここで、もう一つの間接的な表現としての「AからBへ」についても少し触れておきましょう。

 これは洗練度に関する移行問題のことであり、それがAからBへ、すなわち第一段階から、次の第二段階へ移行し始めたことを示唆しています。

 この移行は、その生産性、独創性、新規性、高品質性等に関することであり、これらを総合した採算性、ブレイクスルー性(革新的機能性による打破性)をも決定づけることになりますので、「AからBへ」は、本質的転換への第一歩を意味していることになります。

 これらの「AからBへ」の本質的な転換、これが、これから科学的に試されることになります。

 これは、私としては、いくつかの困難を通り抜けてきただけに、この挑戦には、ふかいおもしろさとともに、そこはかとないゆかいさを今から感じ始めています。

 こうなると朝な夕な緑砦館へ足を踏み入れる回数が、これから、さらに増えていきそうです(つづく)。

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ツルムラサキ