昨日は、1964年中学校卒の古希同窓会に参加しました。

   開催場所は、宇佐市の駅館川沿いにある「リバーサイドホテル」でした。

 ここへは、JR杵築駅で電車に乗り、柳ヶ浦まで行きました。

 この間、列車は、国東半島の付け根を横断し、宇佐平野に向かいました。

 車窓からは、その間の山々や谷間が見え、国東半島は、これらによって遮断されているのだと思いました。

 「これでは、国東半島の村々には、豊前や豊後の文化や経済・流通が浸入できない。それゆえ、神仏混合の六郷満山文化が独自に育ったのか!」

 こう思いながら、柳ヶ浦駅に降り立ちました。

 ここは、戦時中宇佐航空隊という基地があり、最後には爆撃を受けたところです。

 タクシーの運転手に、その場所を尋ねると、もうひとつ西側の道路沿いに、その基地があったとのことでした。

  ここには銃弾を受けた跡が今も残っているそうで、一度機会を得て尋ねてみたいところです。

 その後、運転手さんと歓談を行っているうちに目当てのホテルに到着しました。

 なにせ55年ぶりに、同級生のみなさんに対面するわけですから、少しドキドキしながら受付に臨みました。

 その受付で名前を告げると、みなさんが一斉に注目の声を挙げられ、二人の女性が自己紹介をなされましたが、こちらの方は、その名前を告げられても、彼女らを思い出せずに困ってしまいました。

ーーー 55年とは、その幼き友人たちの名前や関係をほとんど忘却させるに十分な時間なのだ! 

 こう思って、周りを見渡すと、そのほとんどは、「知らない方」ばかりで、記憶が繋がっていたのは、ほんの数名だけでした。

 こうして始まった古希同窓会、事務局の方々のご努力で、中学校の頃のデータが明らかになりました。

 同級生の総数は304名、クラスは7組まであり、私は3年4組だったことを知りました。

 同封された資料のなかにクラス写真がありました。

 それを見て、自分を探してみましたが、何度も見直しても、自分を見つけることができませんでした。

ーーー そうか、中学校の頃の自分の姿も忘れていたのか!
 
 残念なことに、自分の姿をも忘却していたのかと思って、改めて、その時間の長さを思い知らされました。

 それで仕方なく、その写真にあった一人一人を消去法で確認し、最後に残った、最高段の右端が私でした。

ーーー これが私なのか。一番良く似ているので、おそらく、これが自分であろう。

 ようやくですが、この観察によって、中学生の私に巡り合うことができました。

 自分でさえ、このような認識水準ですから、ましてや、他人の友人たちが解らなくなっていたのは無理からぬことでした。

 しかし、みなさんと語り合い、酒を酌み交わしているうちに、ふしぎなことに、昔の幼き時代のことが徐々に蘇ってきました。

 やはり、幼き年代において、大部分は小学校の6年と中学校の3年を過ごした仲間たちですから、そこから親しき温故が髣髴と湧いてくるような思いに至りました。

 E君とは、同じ工学畑で学問の研鑽を語り合ってきたを踏まえ、最近の状況について情報交換を行いました。

 かれは、2日後にドイツのA大学に短期留学をなされるようで帰ってきてから、そのお祝いを兼ねての交流を深めることになりました。

 また、Tさんとは、その後の人生を過ごされた様子を聴きながら、昔のことを思い出し、懐かしさが込み上げてきました。

 さらに、K君には、いじめを受けていた私を救っていただいたことのお礼を述べました。

 しかし、かれは、そのことをすっかり忘れていました。

 Wさんからは、同じクラスのT君に、その場で電話をしてくださいと頼まれました。

 かれは、交通事故のために本日の同窓会に参加できなかったそうで、私と話したいとの希望を持っておられたそうでした。

 電話に出たかれは、とてもうれしそうで、私の旧家の前を通った時には、私のことを思い出していたと聞き、私のなかにも込み上げてくるものがありました。

 電話で話をしてかれも、私もうれしくなり、それを斡旋していただいたWさんも、とても喜ばれていました。

 Wさんのことはよく覚えていて、互いに窓から教室に出入りする仲でした。

 宴の後半においては、四日市中学校の校歌をみんなで唄う機会がありました。

 私は、この校歌が好きでしたので歌詞を見ずに唄うことができました。

 また、参加者86名全員が一人一人の自己紹介のコーナーもありましたので、私は、簡単な略歴を述べ、最後に、次のように締めくくりました。

 「この度、国東市に研究所を設けました。

 長い間、大分を留守していましたので、これからは、大分のために全力を注がせていただきます。

 みなさん、どうか、ご協力とご支援をよろしくお願いいたします」

 このように見栄を張った発言は他にありませんでしたので、みなさんにとってかなり印象深かったようでした。

 中学校の頃の私に負けないようにプラス思考で郷土の豊かな発展に寄与できれば幸いと思います。

 古希同窓会、熱き心、ほのかな恋しく切ない名残、確かな友情の絆、これらが次々に蘇ってきて、真に、うれしい宴となりました。

 次回は、77歳の喜寿を祝って再び集まることになりました。

 「来てよかった!」

 これはみなさんの感想ですが、私もそう思いました。

 これから7年、元気で過ごすのに、よい目標ができました。

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ハイビスカス(沖縄にて)